はじめましてさようなら
*名前変換無








 はじめまして、君が笑った。さようなら、君が泣いた。カラン、コロン。カラン、コロン。心が音を立てて僕に"タスケテ"と叫ぶ。これは誰の心? 僕? それとも君? たぶん、両方。カラン、コロン。カラン、コロン。ガラン、ゴロン。ガラン、ゴロン。次第に音は大きくなって、僕は思わず頭を抱える。やめてくれ。聞きたくない。ガタン、ゴトン。やめてくれ。やめてくれ。――やめろ!

「雪男くんっ!」

 焦燥に満ちた声に揺さぶられて、沈んだ思考を浮上させる。眼前の少女はひどく心配そうにこちらを見つめ、僕の肩に優しく触れている。ああ、夢を、見ていたんだ。ほんの些細なすれ違いから心を病んで、毎日のように憂鬱と焦燥に胸を掻き立てられていた頃の夢を。あの頃は、なにも見えていなかったし、なにも見ようとはしなかった。そんな日々に終止符を打ってくれたのは、他の誰でもない、目の前の彼女。闇に飲み込まれかけていた僕を、光の中に連れ戻してくれた愛しい人。懐かしいな。あの頃の自分が。戻りたくは、ないけど。

「大丈夫? 魘されてたよ」

 大丈夫だよ。掠れた声でそう言うと、彼女は渋渋納得したように頷いた。心配してくれているのは有り難いけど、今は誰とも話したくない気分だ。どうしたんだろう、僕は。こんな風に人を拒んでいたら、またひとりになってしまうのに。

「雪男くん、本当に大丈夫?」

「心配してくれて有り難う。本当に平気だから、ちょっとひとりにしてくれるかな」

 最低だなあと、自己嫌悪。彼女の目には、僕はちっとも大丈夫には見えないんだろうな。どんな風に映っているかな、今の僕は。わかってる。相当酷い有様なんだろう。だけど、それでもいいから、僕を放っておいてはくれないか。そう口にしたいのに、彼女は僕を強く抱き締めて離してくれない。少しだけ、苦しい。でもそれ以上に、あたたかい。

「くるしいよ」

 かろうじて絞り出した声は弱弱しく震えていて、ひどく情けない。僕はこんなにも、脆弱な生き物だっただろうか。いつもの自分がおぼろげにしか思い出せない。僕は、僕は、もっと強いはずだ。

「大丈夫だよ。雪男くんは、ひとりじゃないよ」

 あたたかい。君はどうして、そんなにもあたたかいの? 疾うに枯れ果てたはずの涙が、頬を伝って流れ落ちる。なんて弱く、脆い心。まるで世界と溶け合うように、涙がこぼれ、消える。まだ、僕を飲み込む闇は消え去ってはいなかったみたいだ。カラン、コロン。崩壊の音は随分軽やかだなあ。カラン、コロン。鳴り止まない。ガタン、ゴトン。カラン、コロン。ふたつの音が交互に鳴り合って、僕の心を震わせる。いい加減耳障りだ。もういい。早く壊れてしまえよ。

「雪男くん。私、あなたを救いたい」

 なに言ってるの? 僕はもう、十分君に救われたんだよ。なのに、どうして君は泣いているの? どうしてそんなにつらそうなの? 君がそんな顔をしていると、僕までますます涙が止まらなくなるじゃないか。

「うっ……くっう……!」

 噛み殺せなかった嗚咽が、堪らず口からこぼれだす。ダメだ。僕は強くいなくちゃ!

「弱くたっていいじゃない。あなたがあなたでいられるなら、いいじゃない」

「え……?」

「私は好きだよ。そのままの雪男くんが」

 あなたが崩れ落ちてしまっても、その残骸は私が拾うから。そう言って彼女はふわりと笑う。その笑顔は朝焼けみたいに輝いていて、夕焼けのように切ない。ビターのチョコレートを食べたときみたいに口の中に苦味が広がって、胸がきゅうっと締め付けられる。切なさに顔を顰めたって、彼女は笑顔を絶やさない。僕の背に回す腕の強さだって、少しも緩めない。胸の締め付けも相俟って苦しいのに、離してほしいとは思わない。カラン、コロン。ふと思う。これは本当に崩壊の音? カラン、コロン。ちゃんと耳をすませれば、その音は、ひどく優しいということがわかる。鈴の音のように軽やかで、僕になにかを呼びかけるように鳴り響いている。ガラン、ゴロン。この音は、僕が崩れる音なんかじゃない。僕の心が、痛みに気づいてと叫ぶ声。"タスケテ"って言ってるんじゃないんだ。むしろ僕を助けるためにそこにいる。まるで、君と同じ。もしかしたら、こうして心と向き合ったのは、初めてかもしれない。痛みに気づかないふりをして、平気だと、大丈夫だと自分に周りに言い聞かせてきた。でも本当はつらかった。それに気づかせてくれたのは、やっぱり、君なんだよ。

「ありがとう」

 僕が笑えば、彼女は涙を流す。それでも懸命に笑顔を作ろうと顔を歪ませる彼女に、どうしようもなく愛しさは募る。僕が苦しいと、君も苦しいんだよね。大丈夫。僕も同じだ。そのつらさがわかるから、今はこんなに素直に心を開ける。伝えたい言葉も、ほら、溢れ出してくるよ。伝えたいな。聞いてくれるかい。

「僕は、君がいなくちゃだめみたいだ。ねえ、一緒にいてくれる?」

 彼女の涙を拭いながら、そう語りかける。カラン、コロン。これは君の心の音。愛しい愛しい君の言の葉。しっかりと耳をすませれば、なになに、"アリガトウ"。

「私、雪男くんと出会えてよかった。本当にそう思うの」

「うん、僕も」

 カラン、コロン。心の音色はひどく心地好い。なによりも、砂糖菓子のように甘ったるい。それでも不快に感じないのは、おそらく君と気づいたものだから。君にも聞こえているかな。この澄んだ音律が。

「外に行こう。星を見よう」

 どちらともなく言い出して、僕らは暗夜の中へ飛び出した。しんと静まり返った街並みを、ふたり手を繋いで歩く。そうすれば彼女との距離が、ぐっと縮まったような不思議な錯覚。空を見上げれば、絵の具をぶちまけたように鮮やかな濡れ羽色に、金ぴかに輝く無数の星屑。

「きれい……」

 ほうっと息をつき、彼女は星空に手を翳す。カラン、コロン。目を閉じれば聞こえる、僕と君の心の音色。初めて知ったよ。こんなに綺麗だったなんて。はじめまして、僕のこころ。さようなら、悲しい孤独。僕はもう大丈夫。今度こそ本当に。だって、君が居るから。僕に纏わり付くどんな闇も、君がすべて消してくれる。逆にもし、君が闇に囚われそうになったら、僕が君を救うから。だから、僕らはずっと離れられないんだ。それでいい。切なくなんかない。悲しくなんかない。これが、僕と君の有るべき姿。そう、これで、いい。カラン、コロン――。




はじめましてさようなら


(君と出逢い、僕は僕に別れを告げるんだ)



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参加させて頂きました。
Shall we dance,Juliet?




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