優しい嘘 *名前変換無
「好きだよ。雪男くん、あなたが好き」
「僕も、君が好きだよ」
いつからだろう。僕が気持ちを偽るようになったのは。いつからだろう。君が僕の本心に目を瞑るようになったのは。僕らはいつから、本当の想いを押し殺して寄り添うようになったのだろう。始めこそ、そうだ、愛していた。心から。狂おしいほどに。永遠を、信じていた。
「ずっとそばにいるよ」
それは本心だったよ。今では形を変えてしまった愛も、あの頃は本物だったんだ。信じられるかい。こんなに冷めてしまった今でも、なぜだか君とは離れられないんだ。笑ってしまうよ。なんて、不毛。
「愛してる」
「ずっと一緒にいよう」
ああ、なんて、不毛。こんな関係が続くなら、いっそふたりで死んでしまいたいよ。こんなことを言ったら君はどんな反応をするだろう。いいよ、そう言って微笑んでくれるのかな。それとも嫌だと僕を拒絶するかい。この際どちらでも、構わないけれど。今や君を愛してもいないのに、それでも君を手放せない。君が愛おしいんだと、思ってもいない嘘で塗り固めた都合の良い甘辞。わかってる。君は全て気づいているんだろう。それでも別れを告げないのは、君が誰よりも優しくて、卑怯だから。僕を傷つけるのも、自分が傷つくのも嫌な君は、悟ってしまった真実に目を瞑って決して見ないようにしている。その行為こそが、互いの心を擦り減らしていることにも気づかずに。――もっとも、僕にそんなことを言う資格は、これっぽっちもないけれど。
「ねえ、雪男くん」
いつだって変わらない、不毛な日々。君との愛のない口づけ。少し傷んだ君の髪を撫でながら、いつもと違う君の呼びかけに、どきりと心臓が跳ねる。これは"ときめき"なんかじゃない。君との関係が崩れ壊れる、不吉の予感。
「雪男くんは、本当に私のこと、すき?」
もちろんだよ、どうしてその一言が言えなかったのか。最早嘘をつくことすら出来ないほどに、君への想いは冷めてしまったのか。あんなに愛していた日々には、もう戻れない。その事実だけが僕の心臓を射抜く。痛い。苦しい。――愛していないなら、こんなに傷つくことはないじゃないか!
「ああ……そうか」
僕は、彼女を愛しているんだ。今でも変わらず、狂おしいほどに。彼女を求めてやまないんだ。気持ちに目を瞑っていたのは、君じゃない、他ならぬ僕だ。つぶやいた僕の声など聞いていないというように、彼女はただ真っ直ぐに僕の目を見据える。いまさら気づいたってもう遅い、まるでそう言われているようだ。揺るぎのないその瞳に、悟る。君は覚悟を決めたんだね。僕と、離れる覚悟を。
「雪男くん、私たち、別れよう」
その声音に迷いなんて少しもない。本当に決心した人の揺るぎない眼。ああ、もう、手遅れなんだ。本能がそう悟る。
「そうだね」
驚くほどに冷たい声なのに、どうして震えているんだろう。喉がひゅっと鳴って、うまく呼吸ができない。うつむく彼女の表情を見ることはできないけれど、小刻みに震える肩が、何を意味するかなんて知っている。君は、泣いているんだろう? 自分の決断に、僕への失望に。
「いままでありがとう。ずっと愛してる」
荷物を纏めて出て行こうとする君を、引き止める勇気はもう、ない。そんなもの、最初からなかった。泣きながら口づけをくれたその唇も、今になってひどく愛おしい。もう何もかも手遅れなのに、君の最後の愛の囁きが空虚な鼓動に波を与える。どくりと脈打つ心臓が、まるで僕を嘲笑っているようだ。かろうじて喉から絞り出した震える声で、僕は君にサヨナラを言わなくちゃ。
「僕は君なんて、愛してなかったよ」
君を傷つけ、僕の心をえぐる。だけどこうしなきゃ、君の心はいつまでも僕に縛られ続けるだろう。優しい嘘なんて言わないさ。これは僕が、僕のためについた、卑怯な言い逃れ。いっそ早く終わればいい。僕も、君も、すべて。愛していたよ、本当は。自覚するのが遅すぎたんだ。でも、君が僕を愛してくれていたように、僕だって本当は――、わかってる。あれは、嘘。最後まで僕を傷つけまいとした、君の優しさ。ありがとう、さようなら。僕らの軌跡は、これでおしまい。優しい嘘は、もう、要らない。
優しい嘘
(深海の中で、僕は君という光をなくした)
- - - - - - - - - - 参加させて頂きました。 青に落ちた日 |