シュガーレイン
*真冬の話








「寒いね、雪男くん」
「そうだね。冬だからね」

 何気ない世間話を口にしながら、恋人であるなまえさんと歩く並木道。12月の冷たい空気を吸い込めば、肺が急激に冷えていく感覚に思わず咳込みそうになる。頬を掠める寒風に、首に巻き付けていたマフラーを少しだけ引っ張り上げれば、くすくすと笑う愛しい人。

「空が曇ってるね」

 天を仰いでつぶやくなまえさんに倣って、僕も空を仰ぎ見る。今にも泣き出しそうな雲を認めて、朝早くに見た携帯電話のお天気ニュースを思い出した。

「今日は雪が降るかもしれないんだって」
「雪! 通りで寒いわけだねえ」

 ふふ、雪好きだなあ。なんて、無防備な笑顔を見せたなまえさんが、突然盛大なくしゃみをした。鼻を啜って遠慮がちにこちらを見上げた彼女は、ごめんね、と言って小さくはにかむ。そんなの、気にしないよ。

「雪、好きなんだ」
「うん。雪っていうか、冬が大好きなの」

 なるほど通りで、寒い中でも元気なわけだ。そういえば、夏の頃には毎日のように覇気のない顔をしていて、ひどく心配した覚えもある。冬が好きというなまえさんは、マフラーはちゃんと巻いているけれど、僕みたいに暖かいコートは羽織っていない。僕にしてみれば真冬に着るには少し薄すぎるその格好も、彼女にとっては十分な防寒着になっているらしい。寒さに強いのは羨ましいことだ。ぶるりと肩を震わせながらそんなことを思っていると、なまえさんがまたひとつ、今度は控えめにくしゃみをした。思わず立ち止まる彼女に、僕もつられて立ち止まる。

「やっぱり寒いんじゃない?」
「んー、平気なんだけどなあ。冷えちゃったのかな」

 本人はあまり寒さを感じていないらしい。なんでもないような顔をしながら再び歩き出すなまえさんに、僕はあることを閃いて、彼女の冷えた左手を取った。驚きに染まるなまえさんの顔を見てひとつ含み笑いをしてやると、仄かに頬を染める姿が愛おしい。僕は掴んだ左手をそのままコートの右ポケットへと入れる。その中で指を絡め、ぎゅっと握れば、なまえさんも控えめながら握り返してくれる。こんなにも柔らかな時間を、大好きな人と過ごせるなんてまるで夢のようだ。――本当に夢かもしれなくて恐い、なんて言ったら、君はいつもみたいに僕の背中を優しく撫でてくれるのだろうか。大丈夫だよ、そう言って笑ってくれるだろうか。笑ってくれるだろうな。ふんわりとしたなまえさんの笑顔を思い出して、心がじわりと暖まっていく感覚に思わず頬が緩む。まったくすぐ隣に本人が居るというのに、僕も大概おかしいな。

「雪、降らないかなあ」
「降ってほしい?」
「うん。降ってほしい」
「じゃあ、降らないかもね」
「雪男くんの性悪」

 拗ねたような声音でつぶやいたなまえさんに少しだけ笑って、僕は絡めた指に力を篭めた。痛いよなんて、笑いながら言っても説得力ないよ。くるくると変わるなまえさんの表情は、見ていて本当に飽きない。どうしたらもっと違う顔を見せてくれるのだろう。そんな風に考える僕の鼻先に、ふわりと冷たい何かが乗って、消える。心なしか先程よりも冷えたように感じる気温。ああそうか。僕はすぐにそれの正体を理解した。

「雪……」
「えっ! 本当!?」

 僕のつぶやきに、なまえさんは声を弾ませて空を見上げる。途端に鼓膜を震わせる嬉嬉とした声に、思わず苦笑が漏れるが、彼女はそんなこと気づいてもいないらしい。空に手を翳して、懸命に雪に触れようと試みるなまえさんは、なんだか小さな子供のようで。僕は彼女から顔を逸らしてひっそりと笑う。こんなにも幸せで、いいのだろうか。

「ねえ、雪男くん」
「なに? 雪には触れた?」
「ふふ、冷たかった。あのね、来週のクリスマス、空いてる?」
「空いてるよ」

 そっか、と嬉しそうになまえさんは笑う。空いているに決まってるよ。だってその日は、君と過ごす初めてのクリスマスじゃないか。僕がその日を確実に空けておくためにどれだけ奮闘したか、君は気づいているの? すっかり立ち止まった僕らを、すれ違う人たちは気にも留めない。吐く息は白く染まり、冷たい風が頬を刺したって、それすら心地好く思えるほど僕らは今が大切なんだ。

「クリスマス、雪男くんと過ごしたいなあ、なんて」

 照れたように笑いながら、なまえさんはそんなことを言う。僕がどう答えるかなんて薄薄わかっているくせに、確信を得るために僕の口からそれを言わせようとするんだ。思いのほか君はずるい。仕方がないから、望む言葉をあげようか。

「僕も、なまえさんと過ごしたいな」
「っ、いいの?」
「どうせ端から断られるなんて思ってなかったんでしょ」
「……うん」

 ごめんね、なんて、はにかんで笑うなまえさんを見ていると、僕も自然と笑みが零れだす。なまえさんが小悪魔だったなんて初めて知ったよ。冗談半分にそう口にすれば、雪男くんの前でだけだよと彼女は答えた。それがまた愛しくて、僕はさりげなく右ポケットの中で絡まる指を繋ぎ直す。互いに相手の手をぎゅうぎゅうと握り締めれば、寒風にだって負けないほどに火照る顔。馬鹿みたいだけど楽しいや。

「寒いね、帰ろうか」
「うん」

 僕の言葉に頷いたなまえさんの足取りに合わせて、ふたりでゆったりと歩き出す。歩き難くてよろめきそうになるけれど、それすらも楽しくてふたりでにこにこ笑っていた。――すれ違う人たちの目なんか、少しも気にならない。どうせ僕らなんて見ていないさ。慌ただしく足早に駆けていくスーツ姿のサラリーマン。のんびりと歩く買い物帰りであろう年配の女性。僕らと同じように寄り添って歩く若いカップル。降り頻る白雪に歓声を上げて走り回る子供たち。いろんな人が居るけれど、誰もがそれぞれの人生を生きていて、僕らを気に留めている余裕もなければ、きっと興味もないのだろう。

「なまえさんに出会えて、本当によかったよ」

 ぽつりとつぶやいた声は、彼女の耳には届かなかったらしい。鼻唄なんて歌いながら、少しだけ積もった雪を楽しそうに踏み締めている。聞こえていなくてよかった。だけど、聞こえていてほしかった。わけがわからない複雑な感情に、些か戸惑いながらも歩く足は止めない。永遠なんて柄じゃないけれど、なまえさんとはずっと一緒にいたいな、とかいろんなことを考える。だけど、とりあえずは、今が幸せだからそれでよしとしようか。何しろ僕らはまだ、始まったばかりなのだから。




シュガーレイン

甘い砂糖にも似た雪の雨

(よければ相合い傘でもしませんか)



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11/11/9 加筆修正




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