君がほしい | ナノ
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シトラスの大人の匂いが鼻を擽る。



「ごめんなさい、スーツが汚れちゃう」

「いい、気にするな」



離れようと厚く筋肉質な胸板を押し返すと、それ以上の力がギュッと私の身体を包み込む。



「……いい匂いがします」

「香水?」

「多分……、大人の男性って感じですね」

「そうか?」

「仕事もできて、優しくて、センスも良くて、こんなに完璧な人早々いないですよ」

「誰だって好きな人の前では完璧でありたいだろう」

「牧さん……」

「男って生き物は醜いプライドの塊なんだよ」

「醜くなんかないです。素敵な闘争心ですよ」

「苗字は俺のことを買い被りすぎだ」



買い被りすぎでもいいですよ。
私の中の牧さんは誰よりも優しい人でいてほしいんです。
それが例え私の創った幻想の中だけだったとしても。

『好き』だと言われて素直に嬉しかった。
『付き合ってほしい』と言われて素直に戸惑った。

彼の真っ直ぐさが痛いほど伝わってきてどうすればいいのかわからないからこそ、今は牧さんの優しさに……甘えたい。
きっとどれだけ考えたってすぐには答えは出ないだろうから。



「今この瞬間だけは上司としてではなく、」

「……」

「普通の男でいてもいいだろうか?」

「どうして聞くんです?」

「苗字が嫌がることはしたくない」

「……優し過ぎますよ」

「いくらでも待つ覚悟はあるさ。もう二年も待っていたんだから」



その日の夜がどうやって更けていったのかは覚えていない。
覚えているのは朝目が覚めたらベッドの上で牧さんの腕の中にいたこと。
もちろんは服は着たまま、温かい温もりとともに穏やかな朝を迎えた。

そのあとは行きと同様、家まで送ってもらって別れた。


仙道くんからは何度もメールや電話が来たけれど、一度も返さなかった。
今はまだ心の整理がつかない。
それに返したら、また彼の元に戻ってしまいそうだから。

『終わりにしたくない』
『名前さんが好きだ』
『会いたい』
『返事をしてくれ』

どれもこれも、今の私には辛過ぎた。
彼を責める立場にいない自分自身が、一番腹立たしくて惨めなんだけれど。




次に彼に会うのは、それからしばらく後のことだった。 prev / next

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