「……あぁ?空閑、てめー今何つった」 ボーダー本部、ランク戦ロビーにて。影浦は思わずと言ったように愛用しているマスクをぐいっと下げ、白髪の小柄な少年を見下ろした。小さく開けられた口からは、鋭い歯が見え隠れしている。 「誕生日だァ……!?」 「うん、そうだよ。今日おれの誕生日なんだ」 ギロリと見開かれた金色の眼差しに怯むことなく、ニコリと笑ってみせた本日の主役は、今日一のハッピーニュースをなんてことないように告げた。日頃から遊真をいたく気に入り可愛がっている影浦が絶句しているのにも関わらず謙虚?な遊真は、誕生日プレゼントに「あともう1戦」を強請っていた。 「なにとぞ、よろしくお願いシマス」 「……わぁーったよ」 「やった」 影浦は諦めたように溜息をひとつ吐き、手慣れた動作でスマホに何かを打ち込んでいる。それが遊真の遊び相手を増やすための作業だとはつゆ知らず、赤色の瞳を輝かせた遊真は素直に喜んでいた。この後、影浦が呼んだ遊び相手を筆頭に、たくさんのボーダー隊員が遊真の元へ訪れることになるが、二人には知る由もない。 「おい空閑」 「うん?」 「お前、今日が誕生日だってこと、まさか誰にも言ってねぇなんてことねーだろうな」 「……たぶん、オサムは知ってる……ハズ」 「……」 「チカ……いや迅さんなら知ってるか?……ううむ」 「マジかよ……」 「あっ、そういえば少し前に誕生日聞かれたな。知ってる人いたぞ、かげうら先輩」 「誰だよ」 「ゆきちゃん」 親しげに紡がれた名前は影浦も知っている人物の名前だった。険しい表情をふっと緩めた影浦は、ニヤリと歯を見せて笑う。 「オイ空閑、晩メシまでにはちゃんと玉狛に帰れよ」 「了解……あ」 「なんだよ」 遊真のズボンのポッケから、ピロン!と可愛らしい音が鳴り響く。「ちょっと失礼」と軽く声をかけた遊真は、スマホを一瞥して……嬉しそうに頬を緩ませた。たぷたぷとスマホを操作すると、影浦を見上げて明るく、ニカっと歯を見せて笑うのだ。 「ゆきちゃんからだった。夕ごはんまでには帰ってきてね、だって」 くしゃり、影浦は遊真のふわふわな髪を混ぜるように撫でた。 ■■ 「ケーキ、買ってきたぞ」 「あ!レイジさん、とりまるくんおかえりなさい!そのまま冷蔵庫で冷やしてもらってもいい?」 「分かりました。……カレーの匂いがしますね」 「遊真くんの大好物だからね。小南がはりきってるの」 「へぇ。あ、こなみ先輩、今日ケーキ屋行った帰りに……遊真に会いました」 「えッ!?ど、どうしたの!?ちゃんと誤魔化したんでしょうね!?」 「嘘です。遊真は今日一日本部にいるらしいですよ」 「とぉりまる!!」 レイジが冷蔵庫を開けると、自身がケーキを買いに行く前よりも多くの料理がラップをかけられぎゅうぎゅうと中を圧迫していた。なんとか隙間を作りケーキ箱を収め、パタンと冷蔵庫を閉じる。 「ちょっと!そんなことよりアイツよ!迅、全然帰ってこないんだけど!?」 「ただいま、ぼんち揚げ買ってきたよ」 「噂をすればっすね」 「頼んでないわよ!おかえり!」 「ちなみに遊真、あと十五分くらいで帰ってくるよ」 「もうすぐじゃない!そっちは準備終わってるの?」 「飾り付け、終わりました」 「おっ!修くん、チカちゃん、ありがと!じゃあ陽太郎とヒュースくん呼んできてもらってもいい?」 「はい!わかりました。行こう、千佳」 「うん、わかった」 午前中から張り切ってお手伝いをしてくれた陽太郎はおやつを食べ、学校帰りの隊員が帰宅したときにヒュースと一緒に部屋に戻っていた。朝から頑張っていたので、あとは私たちに任せて!というやつである。栞とハイタッチをして、国を一つ救った英雄のごとく偉大な後ろ姿を見せて去っていった陽太郎は、今ごろ鼻ちょうちんを浮かべているかもしれない。 修と千佳が扉をノックし部屋に入ると、やっぱり陽太郎は鼻ちょうちんを浮かべてスヤスヤ眠っており、その隣で雷神丸もウトウトと微睡んでいた。ヒュースだけが腕を組んで、まるで護衛の兵士のように陽太郎の隣に腰掛けていたが、修と千佳を見上げた凛々しい瞳はいつもよりも穏やかに見えた。修たちが来る前は、もっとリラックスしていたことだろう。 「ヒュース、お疲れさま。疲れはとれたか?」 「元より疲れてなどいない」 「あのね、もうすぐ遊真くんが帰ってくるって。だから呼びにきたんだ」 「あぁ、わかった。おい先輩、起きろ」 簡素な言葉とは裏腹に、優しく陽太郎を揺すったヒュースは「むにゃ……」と寝ぼけながらもぱちりと目を開いた陽太郎を確認すると、小さな身体をそっと持ち上げて雷神丸の上に乗せた。相棒よりも寝起きが良い雷神丸はシャキッとした様子で陽太郎を背に乗せ、スタスタと歩き始める。ふわふわのしっぽが小さく揺れるのを見ながら、三人はそのあとを追った。 「ゆき!もうテーブルに料理並べちゃっていいわよね?」 「うん、お願い!」 「手伝います、ゆきさん」 「ありがとう!とりまるくん」 テーブルに彩り豊かな料理が並べられていく。取り皿にグラスにカトラリー。足りないものは無いかしらと考えたところで、ちょんちょんと肩を優しく叩かれた。ぼんち揚を片手に抱えた迅だ。 「ぼんち揚、食べる?」 「食べる!ありがと!」 「いやー、にしても頑張ったな」 「みんなのおかげだよ。誰か手伝ってくれたら嬉しいなーくらいだったのに、なんだかんだみんな手伝ってくれたの」 「遊真、喜ぶだろうなぁ」 「……喜んでくれたら、嬉しいな」 今年、こっちの世界で初めての誕生日を迎える遊真は「誕生日パーティー」を知らない。パーティーと言うと少し大袈裟かもしれないし、家庭によって違いはあるだろうが、家族や友人、親しい人といつもより豪勢な食卓を囲んで談笑し、最後には大きなホールケーキを切り分けて皆で食べる。日本人からしてみれば年に数回行われる見慣れた行事も、遊真からしてみれば新鮮な光景なのだ。 誰の誕生日を祝ったときであっただろうか、いつもより数段豪華な食事が並んだとき、食後に大きなケーキが登場したとき、ケーキにたくさんのろうそくを差したとき、ろうそくの火が揺らめく暗い部屋で、ハッピーバースデーの曲を歌ったとき、驚きに満ちた遊真の表情をゆきは鮮明に覚えていた。そのとき交わしたなんてことない会話も、一緒に。 「なぁ、ゆきちゃん」 「はーい、どうしたの?」 「こっちの世界では、こんな風に誕生日を祝うのが普通なのか?」 切り分けられたケーキを食べながら、遊真はぽつりと呟いた。それを受けて、特段何も考えずにゆきは思ったことをそのまま伝えた。 「うん。家庭によってそれぞれ違いはあると思うけど、大体の流れは一緒じゃないかな?ほら、最後にケーキを食べるとことか!」 にこっと笑ってケーキが乗った皿を顔の横まで持ち上げた彼女を見て、遊真は少しの間黙っていた。少しの緊張を覚えながら遊真の横顔を見つめていると……ふっと息を漏らして、とても優しい表情で笑ったのだ。 「なんか……イイな、こういうの」 ふわっとした、抽象的な言葉だった。けれど「良い」の二文字に込められた意味を推し量ることは然程困難なことではない。そうしてゆきは思った。こちらの世界で迎える遊真くんの初めての誕生日は、とびきり豪勢なものにしようと。 「ゆき!遊真、もうすぐ帰ってくるわよ!」 「クラッカー買ってありましたよね?準備しましょう」 「ヒュース、いいか。ゆうまが来たらこのヒモをひっぱるんだぞ」 「わかった」 「あれ!ボスは!?待って私呼んでくる!」 「あ、空閑もう玉狛に着くみたいです。連絡来ました」 さぁ、準備は整った。あとは主役を待つのみである。 ■■ 「……ん?」 ガチャリと玄関の扉を閉めて、遊真は違和感を感じた。誰の声も物音もしない、異様なほど静かなのである。少なくとも修と千佳と、ゆきが玉狛にいることを知っていたためその違和感は徐々に強くなっていった。 (たぶん大丈夫。……けれど、一応念のため) 遊真は足音を消して廊下を歩く。「人の気配はするんだけどなぁ」なんて思いながら、リビングの扉の前で足を止め、一呼吸おいてから……勢いよく、扉を開けた。 ガチャッ!! パァン!!!!!! 「「遊真/遊真くん/ゆうま/空閑、お誕生日おめでとう!!」」 一つ二つではない、大量のクラッカーが鳴り響く。その音に負けず劣らずの大きな声に出迎えられて、遊真は珍しく目を見開いてその場に硬直した。 「……びっくりした」 「遊真くんが驚いてるの、レアだね!」 「た、たしかに……おい空閑、大丈夫か?」 「ふん、この程度気づけないとはな」 「ちょっと!この程度ってなによ!」 ぽかん!とヒュースの頭を小突く小南と、ジト目で小南を睨み返すヒュース。「どうどう」と間に陽太郎が入ることで、見事に空気が中和されていた。 ゆきは遊真を見つめていた。遊真は戸惑いの表情を浮かべながらも、飾りつけられた部屋や並べられた彩り豊かな料理を見渡していた。そうして、段々と白い肌がほんのりと紅潮していくのを目の当たりにする。遊真くん、今どんな気持ちなんだろう。話したいな、なんてことを思いながら見つめていたせいか、気がつけばパチリ、遊真の赤い大きな瞳と目が合っていた。 「ゆきちゃん」 「遊真くん」 「……これ、全部おれのため?」 嬉しさが滲んだその言葉が答えだった。ゆきは満面の笑みを浮かべる。ゆらゆらと揺れる大きな瞳を一心に見つめ返し、一際明るい声で告げたのだ。 「もちろん!今日は遊真くんの誕生日パーティーだからね!いっぱい食べて、楽しんで!!」 その声を合図に皆が動き出す。楽しいパーティーが始まった。 ■■ 「うまい、うまいぞ!シェフをよんでくれ!」 「俺か?」 「あたしでしょ」 「俺ですかね」 「私もでーす」 陽太郎が歓喜に震える隣でレイジ、小南、烏丸、ゆきが順に名乗りを上げていく。ちなみに陽太郎が一生懸命もぐもぐ食べているのは小皿に盛り付けられたナポリタンなので、多分シェフは烏丸であることが予想された。 「うまかったぞ」 「いつもと同じ味付けだけどな」 そう言いながらも満更ではないようで、まるで執事のようにスッと胸に手を当てて軽くお辞儀をする烏丸の写真を、栞がスマホのカメラでパシャリと撮影した。一体いくらで売れるのか見ものである。 「かわいい」 「かわいいな……」 「かわいいね」 仲良し三人衆の遊真、修、千佳が三人並んで見つめていたのは、大きなお皿にたくさん乗せられた小さなハンバーガー達。パティが何種類か異なっており、バンズに差し込まれた旗の色で見分けることができるようになっていた。これはゆきが作ったものだ。 「そのハンバーガー私が作ったんだ!千佳ちゃん、これライスバーガーだよ。修くん、こっちコロッケバーガーなんだけど……」 「ありがとうございます」 「じゃあ、それいただきます」 「ゆきちゃん、これハンバーグが三つも重なってるぞ……!!」 「あ!それ遊真くんのために作ったんだ。まだあってよかった!」 「なんと……!!」 「誕生日プレゼントも用意してるから、あとで渡すね!」 「至れり尽くせりとはこのことか……」 瞳を輝かせながら本気で喜んでいる遊真を見て、ゆきはじんわり心が温かくなるのを感じていた。今日という日が遊真にとって、満ち溢れてしまうくらい幸せでいっぱいになればいいと、心から思っていたから。 「ケーキ通るぞー」 迅とレイジがホールケーキを一箱ずつテーブルの真ん中に置いた。中身はイチゴがふんだんに盛り付けられたショートケーキと、チョコレート細工が美しいチョコケーキだ。正に王道!といった二種類のケーキに「おぉー!」と小さく歓声が上がる。 「人数が多いからな、二種類買ってきた」 「この場合、ろうそくってどうやって差せばいいんですかね……」 「ボス!火つけてよ!」 「はいよ。危ないからお子さまは離れてろよー」 林道が手慣れた動作でライターの火をろうそくに移していく。一つ、また一つとろうそくに火が灯り、全てのろうそくに火がついたところで部屋の電気がふっと消えた。 「遊真くん、こっち」 「ゆきちゃん?」 「遊真くんは真ん中ね」 栞のスマホから聞き慣れた音楽が流れ出した。楽しそうに元気な声で歌う人、真顔だがイイ声で歌う人、玉狛支部に、誕生を祝う歌が紡がれる。遊真は皆に囲まれながら、どこかくすぐったい気持ちで歌声に耳を澄ませていた。 「ハッピーバースデートゥーユー……おめでとう!!」 「遊真くん!ろうそくの火、消して消して!なるべく一息で!」 「わかった」 遊真は空気を目一杯吸い込み、二つのケーキに灯された火をふうっ!と勢いよく消した。部屋が暗闇に支配されるのも一瞬で、すぐに電気がつけられパチパチと軽やかな拍手が鳴り響く。「どうもどうも……」と遊真がぺこりと一礼すると、迅がくしゃりと遊真の頭を撫でた。 笑い合う二人をよそに、今度はケーキの切り分けが始まる。遊真は悩んだ末にショートケーキを選び、大きめに切り分けられたそれを受け取った。 「遊真くんはショートケーキにしたんだね」 「ゆきちゃんはチョコケーキか。そっちもうまそうだな」 「ふふ、チョコが濃厚でおいしいよ。一口食べる?」 〇〇はフォークで少し大きめにケーキを切り分けて、少し悩んだ。「あーん」になっちゃうけどいいのかな、という一抹の不安であったが、肝心の遊真はパカリと口を大きく開けていたのでその心配は杞憂に終わる。口もとにチョコケーキを運んであげると、ケーキはぱくっと綺麗に遊真の口の中へと吸い込まれていった。もぐもぐと咀嚼して「うまい」と表情を綻ばせた遊真は、自身のフォークで大粒のイチゴをぷすりと刺すと、当たり前のようにゆきへと差し出した。 「ゆきちゃん、あーん」 ぴしりと固まった彼女を気に留めることなく、遊真はにっこり笑顔でフォークを差し出している。じわじわとイチゴのように顔が赤く染まっていくゆきを見てもなお、フォークが下されることはなかった。 「おれだけもらうなんて、失礼だろ?」 「べ、別に気にしないけどな……」 「おれがあげたいんだ。……もらってくれよ、甘くてうまいぞ」 ん、と差し出されたイチゴを、ゆきはエイッと勢いで口に含んだ。甘酸っぱくて、じゅわっとみずみずしい。たしかに美味しいイチゴだった。火照った頬を冷ますようにパタパタと手で自身を仰ぎ、ゆきは少しだけ早口に感想を告げる。 「ほんとだ!すっごくおいしいね。次は私もショートケーキにしようかな、遊真くんありがとう」 「そんなに気に入ったのか?ならもう一口どうぞ」 「……えっ!?そ、そんなもらえないよ」 「いいから、ほら」 今度はスポンジとたっぷりの生クリーム、先程よりは小粒のイチゴが乗せられたフォークを差し出され、さすがのゆきもギョッと目を丸くしてしまった。しかも、二回目ということで遊真の方も遠慮がなくなっており、少し強引に口もとに運ばれたケーキをゆきは一生懸命頬張った。もぐもぐと咀嚼する彼女を、遊真がじっと見つめている。 「お、おいひぃね……」 「すまん、ちょっと量が多かったな」 「ううん!気にしないで……」 「ほら、こんなところに」 ゆきの口もとに手を伸ばした遊真は、親指で彼女の唇を拭った。親指には彼女の口についていた生クリームが乗っていて、遊真はそのクリームを……ぺろりと舐めとる。ゆきは動揺してしまい、遊真に対して何も言えずにいた。二人の目線だけが、しっかりと絡み合っている。 「ん、やっぱりうまいな」 「そ、うだね……」 「……今日、本当に楽しかったんだ」 「そ、それはよかった……!」 「ゆきちゃんが考えてくれたんだろ?ありがとう」 「ううん、みんなが手伝ってくれたおかげだよ」 「こんなに楽しいなら、毎日誕生日がいいな」 遊真があまりにも子どもらしいことを言うので、ゆきは先程のやりとりも忘れてつい笑ってしまった。でも、それでいい。それがいい。だって遊真は、まだ食べ盛り、遊び盛りの青少年なのだから。いっぱい食べて、よーく遊んで、キラキラした毎日を過ごせばいいと彼女は心から思っていた。彼女だけじゃない、きっと遊真を大切に想う全ての人がそう願っているはずだ。 「遊真くん。……生まれてきてくれて、ありがとうね」 「……大げさじゃない?」 「大げさなんかじゃないよ、本当に、心からそう思ってるの」 今日はあなたの誕生を祝える、年にたった一度しかない機会。拙くても、大げさでも、自分の心に正直に、真摯な言葉を贈りたい。そうして言葉を紡ぐことで、あなたの心が少しでも暖かくなるのなら、 「……ありがとう。ゆきちゃん」 こんなに幸せなことは、ないと思うんだ。 空閑遊真くん、お誕生日おめでとう!!! 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