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それは、つい最近の出来事だった。
「空閑、ちょっといいか?」
「なんだ?オサム。」
「その、だな。一ノ瀬さんのことなんだけど。」
「…ユキちゃん?」
「…あまり女性に対して、かわいいとか、混乱させるようなことは言わない方がいいんじゃないか…?」
「なんでだ?ウソは言ってないぞ?本当にかわいいと思ってるから言ってるんだ。」
「うーん…。でもやっぱりな、」
「……それに、ちゃんと意味もわかってる。」
「意味…?…どういうことだ…?」
「ナイショ。」
「なっ!……なんなんだ一体…。」
最初は、ただ本当に、"かわいい"と思って言っていた。
だけど、本当に言いたい言葉に気づいても、それを言う資格が、おれにはないから。
"かわいい"なんて、ありきたりな言葉に乗せて、伝えることくらい、許してくれ。
かわいい、可愛い。……………。
これが今のおれに許された、最大の愛情表現だから。
「…可愛いな、ユキちゃん。」
本当はもうとっくに、健気なキミを。
(……ユキちゃん!!!)
轢かれそうになったおれを突き飛ばし、満足そうに笑うユキちゃんに感じるデジャヴ。
おれは、どこかで同じことを思った。
(そうだ、親父も最後、こんな顔してたんだ。)
これから自分が死ぬってんのに、なんでそんな。
その意味がわからなくて、その意味が知りたくて。
だから、もう二度と。
「「弾」印。」
(おれのために、死なせてたまるか。)
勢いよく飛ばされたユキちゃんを受け止め、見下ろす。おれを見上げるその瞳は、少しだけ怯えているようだ。
腕の中に捉えた温もりに、心底安心する。
あぁ、本当に、
(目が、離せないな…。)
少しだけ震えている体を、抱きしめる力を強める。もう意味なんて、考えるまでもない。
(おれは…、ユキちゃんが、可愛い…、違う。愛しいんだ。)
「ユキちゃん。」
じっ、と私を見下ろす遊真くんに、たらりと冷や汗が流れた。絶対、怒ってる。さすがに、好きな人に向けられる視線にしては痛すぎるから逸らしたい、のに。
交わった視線は、逸らすことを許してくれない。
「な、ユキちゃん。」
「うん、」
「……どうして、おれを庇ったんだ?」
「………え、」
「おれを庇わなかったら、ユキちゃんはこんなことにならなかったんだぞ?……自分の命が、最優先だろ。」
「それに、おれはトリオン体だから、轢かれたくらいで死なないよ。」と続けられた言葉に目を見開く。盲点だった。けれど、そんな表情の変化は気にせず、私を見つめる遊真くん。
遊真くんの表情は変わらない。
ただ、沈黙が訪れる。
考えるまでもなかった。
「……遊真くんに、死んでほしくなかったから。」
「……おれが死ななかったら、自分が死んでもいいのか。」
「それも極端な話だけどさ。…でも実際あのとき、遊真くんには生きててほしいなぁって思ったし、身体の方が動いちゃったから、そうなる…のか、な?」
「……おれはそんなことされたって、嬉しくないよ。」
「そうだよね、私も遊真くんにこんなこと、されたくないなぁ…。」
「でもきっと、また同じことが起こったら、私は遊真くんを助けるよ。」と伝える。そんな私から視線を下に落としくしゃり。自分の髪を握りしめる遊真くん。そんな彼に、苦笑いをする。
「おれを、助けたとき。」
「…うん」
「……なんで、笑ってたんだよ。」
親父もそうだ、と呟かれた言葉に、思わず息を飲む。下を向く遊真くんとは目が合わない。……遊真くんの、お父さん。黒トリガーになってまで、遊真くんに"生"を与えたお父さん。そんなすごい人と同じ考えだなんて、微塵も思っていないけれど。
「……わたし、遊真くんのことが好き、なのに。」
「………。」
「…わたしの人生を、幸せでいっっ…ぱいにしてくれた遊真くんにね、同じくらい、楽しくて、幸せな思いをしてほしくて、ただそのためだけに、夢中でなんでもやってた、はずだったのに、
なんで、かなぁ…っ、わたし、やっぱり、遊真くんに、私のこと、好きになってほしくてっ…、自分が勝手にやったことなのに、遊真くんに、見返りを求めてるみたいで…、それが嫌になって…」
「だから、自分じゃなくて、遊真くんのことを考えた行動を無意識にとれて、ほっとしたの。……私はね。」そこまで口にして、にこ、と笑うと同時に、遊真くんの表情が歪んだ。
「……ユキちゃんは、バカだ。」
ぎゅう、っと遊真くんに強く、強く抱きしめられる。
遊真くん、優しいから。期待なんてしたくないのに。私はいつだって、何回でも遊真くんを好きになる。
「…ユキちゃんは、自分がそうするべきだって思うことを、ずっとしてきたんだな。」
「……う、ん?…そう、なのかな。」
「…おれも、そうすることにした。」
見上げた先に見えた遊真くんの表情は、穏やかで優しいのに、どこかとろけるように甘くて。
私はまた一つ、遊真くんを好きになった。