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06



みょうじさんの協力もあって無事テストを終えた。
じめじめとした梅雨時期も過ぎて、もう夏なんじゃないかと思わせるような天気が続いていた。
全校集会がある為朝練がない今日は、いつもより少し遅めの電車に乗った。
たまたま乗った車両で見慣れた後ろ姿を見付けて思わず笑顔が浮かぶ。
大好きなみょうじさんがイヤホンをつけてドアに寄りかかっていた。
いつもこの電車に乗っているのかと知って、なんだか嬉しくなった。
みょうじさんの事なら、どんな小さな事だって知ると嬉しくなる。

「みょうじさん、おはようっス!」

「あ、黄瀬くん。おはよー!」

俺と話す為に外してくれた片方のイヤホンから微かに音が漏れる。
みょうじさんはどんな曲を聴くんだろう。
過去を振り返ってみても音楽の話をした事はなかった。
あれだけ一緒にいたのに、まだ知らない事が沢山あるようだ。
もっとみょうじさんを知りたいと思うのは貪欲だろうか。

「何聴いてるんスか?」

「この間友達に借りたんだー。黄瀬くんも聴く?」

「聴く聴く!」

嬉々として片方のイヤホンを受け取った。
耳に嵌めると一つのイヤホンで俺とみょうじさんとが繋がり影が一つになる。
無性に嬉しくなった。
身長差もあって俺が屈まないとイヤホンが届かないので、みょうじさんに合わせて腰を曲げる。
近くなった距離にどきどきした。

みょうじさんが聴いていたのはバラード調のラブソング。
いい曲なんだよと言われて耳を澄ますと、愛してるの単語が耳に入って急激に恥ずかしくなった。
珍しくない歌詞のフレーズにこんなにも反応してしまうのは、きっとこの距離のせいだ。
どうかしていると胸中で溜息を吐いて心を落ち着かせた。
告白なんてしなくても、ずっとこの日常が続くんだと思っていた。
みょうじさんと一緒に過ごしていけると思っていた。


あとは夏休みを待つだけという初夏。
朝練が終わって教室に戻ってもみょうじさんの姿がなかった。
俺より遅いなんて珍しいと思いながら現れるのを待ったけど、HRが始まるチャイムが鳴っても隣の席は空白のままだった。

休みかと思われたみょうじさんは、HR始めるぞと言いながら教室に入ってくる担任教師と共に姿を現した。
嫌な予感がした。
どうして君はそこにいるの。
早く隣に来ていつものようにおはようと笑ってくれ。
HRの前にお前達に知らせる事があると言う担任がみょうじさんに目配せをする。
俺たちの顔を見渡した後、少しの間を置いて担任が口を開いた。

「みょうじが転校する事になった」

何を言われたのか分からなかった。
いや、分かりたくなかった。
普段当たりもしないくせに、どうして嫌な勘ばかり当たるのか。
みょうじさんに彼氏が出来るかもしれない事は想定しても、在学中に離れる事は考えもしなかった。
その日をどうやって過ごしたのかよく覚えていない。
気が付いたら家で、気が付いたら夜だった。
こうしていてもどうしようもないので、風呂に入って気持ちを落ち着けようと脱衣所に向かう。
設置してある鏡に映った自分は酷い顔だった。
モデルが聞いて呆れると、何度目か分からない溜息を漏らした。
みょうじさんは自分の中で大きな存在となっていたらしい。
こんなに打ちのめされるとは思わなかった。

お湯を張った浴槽に浸かっても、気分転換になる事はなかった。
なんとなく汗をかいた風呂場の壁に人差し指で好きと書いた文字は、お湯に流れて消えていった。


「何かありました?」

学校に言っても上手く話せずに、みょうじさんとぎくしゃくしたまま夏休みに入った。
夏の合宿所がたまたま誠凛高校と同じで、就寝前の空き時間に黒子が訪ねてきた。
練習は別々だったので顔を合わせた時間は少ないというのに、俺の変化に気付いた黒子には流石としか言いようがない。

「俺、そんなに変っスか?」

「変というか、元気がないように見えます」

上辺だけ取り繕っても、分かる人には分かってしまうらしい。
久しぶりに話を聞いてもらおうと重い口を開いた。

高校三年、それも夏というおかしな時期にみょうじさんが転校する事になった理由は、父親の仕事の都合らしい。
行き先は大阪。
今から一人暮らしをさせるのも忍びないとの事で、親の転勤に合わせてみょうじさんも転校を余儀なくされたようだ。
出発は明後日。
俺が合宿から帰る日だった。
クラスの皆で見送ろうと話が出ていたのだが、どう考えても俺は行けそうにない。
見送るのも、この気持ちも、諦めようとしていた。

「君はバカですか」

あからさまに大きな溜息を吐かれて、バカの二文字が圧し掛かってきた。
分かってる、俺はバカだ。
ただの逃げだと分かっている。
だからといってどうしろと言うんだ。
部活だってこの夏を最後に引退だ、おざなりにしたくはない。
みょうじさんは大切だ。
しかしバスケも大切だ。

「諦めるなんて君らしくないですね」

「だって、どうしようもないじゃないっスか」

「ここで諦めたらきっと後悔しますよ」

ぐっと奥歯を噛み締めた。
みょうじさんとはぎくしゃくとしたまままともに話していない。
このまま別れるのは俺も躊躇われた。
メールではなくて、電話でもなくて、俺がちゃんと見送りたかった。
隣の席からずっと見てきた、失いたくない人。
このままでいいはずはなかった。
みょうじさんの出発は昼。
俺が学校に着く予定時刻も昼。
なんとかしたいとは思っても間に合うとは思えないし、会ったところで何を話していいのか分からなかった。

「黄瀬君は、本当に友達のままでいいんですか?」

突然の黒子からの質問に俯いていた顔を上げた。
真っ直ぐに俺を見る水色が、今の俺には眩しく感じた。

「友達のままでは手に入らないものがあるんじゃないですか?」

背中を押してくれた心強い友人に感謝して、弾かれたように走り出した。
向かう先は監督の部屋。
駆け出した俺の背中に頑張ってくださいと声を乗せて応援してくれる人が俺にはいる。
応える為に、なにより俺自身の為に走った。
気付くのが遅くなった自分を叱るのは後回しだ。
諦めきれないものが、俺にはある。