novels | ナノ





「では、行ってくる」

「はい、いってらっしゃい。お気をつけて」

一さんは毎日仕事に出かける。
私はお昼ご飯にと作ったお弁当を一さんに持たせて、元気に笑顔で仕事に向かう彼を見送るのが日課だ。
その後家を預かる者として家中を掃いて叩いて拭いて、清潔で住みやすい環境を心掛ける。
水瓶の中の水を新鮮なものに取り替えて鮮度を保ち、一段落したら庭の草刈り。
こまめにやらないと外観がなんだかみっともないのだ。
そうして少し土いじりをしたら身形を整えてお買い物。
夕飯の買い出しに行ってくる。
今日はお酒がいつもより安いようだ。
今までの貯えもある。
買って帰れば一さんも喜ぶだろう。
なんといっても一さんはお酒が好きだ。
ならば何かつまみになるような物を作ろうと、安売りしている野菜に目を凝らした。

一通り買い揃えて帰るとすぐに夕飯の仕度を始める。
一さんは大体暮れ頃に帰ってくるので、それに合わせて調理を開始するのだ。
お酒は飲み方を本人に聞いてから用意すればいい。
嬉しげに顔を綻ばせる様子がありありと想像出来て、くすっと笑みを漏らすととんとんと包丁を軽快に動かした。

料理の用意が万全になって、すぐに盛り付けられるようにと皿の準備をしていたら障子から夕日の光が射してきた。
夢中になっていたら既に日暮れ。
いつもなら帰ってくる時間だが一さんは帰ってこない。
全ての仕度を終えて後は一さんを待つだけとなり、一人お茶を汲んで一息ついて待っていたのだが、空が赤から藍色へと変わっても帰ってこなかった。
心配になって灯りを手に持ち、しっかりと戸締まりをして家を出た。
一さんが仕事に出ている隣村まで迎えに行こうと思っての事だ。
たいした距離ではないので、暗くても歩いて行けると踏んで歩を進めた。

村に着く途中、自分の足音以外に音が聞こえる事に気が付いた。
足を止めて耳を澄ませると虫の声。
涼しげな声の在処を探して暗闇に目を凝らすと、そこには淡い、しかし力強い光が輝いていた。
あまりの美しさに息を飲んだ。
灯りを置いてその場に座り込む。
見ているだけで心が和むその光景に、自然と笑みが零れた。

「なまえ?」

聞き慣れた声に反応して顔を向けると、帰りを待ち焦がれていた姿があった。

「一さん」

彼の名前を呼ぶだけでなんだか心が和らぐ。
傍に寄れば安心感が生まれてほっとした。
いつからだろう、一さんの隣が居心地がいいと感じるようになったのは。

「こんな時間にこんな所でどうした」

「一さんを迎えに来たんです」

善かれとしてやった事だが、彼は眉間に皺を寄せた。
あまり芳しくない表情に不安になる。
遅い帰りを心配して来てはいけなかったのだろうか。

「いくらここが静かで平和でも、何時何が起こるか分かりはしない。なまえは家で待っていろ。どんなに帰りが遅くなろうとも必ず帰る。約束しよう」

私が彼を心配したように、彼も私を心配してくれたらしい。
何か悪い事をしてしまったかと不安に支配された心が、一さんの優しさで解けていく。
心配性だとも思うが、無理もない。
今まで戦の真っ最中で、こんなに穏やかな生活を送るのは初めてに等しい。
はいと素直に頷くと、急に一さんが申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「そうは言っても、帰りが遅くなった事で不安にさせてしまったな。すまない」

以前から変わらない気遣いに嬉しくなって、にっこりと微笑んだ。
刀を振るっていた時から、一さんの優しさは微塵も変わらない。
彼の好きな所の一つだ。

「いいえ、無事ならそれでいいんです」

私の笑顔に安心したのか、一さんも肩の力を抜いてくれた。
お互い微笑み合うと生まれる柔らかい空間が少しくすぐったく感じるが、二人だけの空間な気がして私は好きだ。

「それで、ここで何をしていたんだ」

指摘されて思い出す。
そうだ、この美しい絵を一人で楽しむなど勿体ない。
是非一さんにも見てもらおうと、少し離れた一面の野を照らす無数の光を指差した。

「あれを見ていたんですよ。綺麗でしょう?」

「蛍か」

ほんのりと淡く、けれど力強い命の灯は言葉に出来るものではない。
あまり目に出来ない夏の風物詩に、ほぅと二人で溜息を漏らした。

「たまにはお迎えに上がるのも悪くないですね?」

一さんが私を心配するように、私だって彼が心配だ。
一さんはいつ命の灯火が消えてもおかしくない。
あと数えられるだけの命。
共に生きられるのも幾夜か。
この蛍達と同じだ。
心配しない訳がない。
そう仄めかして一さんの顔を覗き込んだ。
じっと彼を見つめて返事を待つ。

「…たまには寄り道も悪くないな」

素直じゃない照れ屋な彼らしい返事に、思わずぷっと声に出して笑ってしまった。
少しでも長く続いてほしいと願う中で、この時間がとても愛しく感じた。