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帰国子女ってやつは



朝から校内が騒がしい。
クラスとか学年とか、そういったスケールの小さいものではない。
学校中がきゃいきゃいと女子の声で埋まっている。
原因は分かってる。
今日がバレンタインで、バスケ部エースである氷室先輩が関わっている事は朝の部活の時に嫌というほど分かった。
普段からモテる人だし、チョコの数も凄いんだろうなと予測はしていた。
していたが、これほど騒ぎ立てられるとは思ってもいなかった。
イケメンってやつは侮れんと、どこに行っても黄色い声が止まない女子の声に溜息を吐いた。
朝はやりきったが、放課後にある午後の練習が今から憂鬱だ。
氷室先輩だけならまだしも、お菓子大好きな紫原が貰っていない訳がない。
うちのエース二人はモテるなぁ、なんて元気な女子達を遠巻きにぼーっと眺めた。
こんな事なら今日だけマネージャー業を休めばよかったかなと、今日一日で何度思ったのか分からない。
私も一応女子で、マネージャーとしてお世話になっているのでチョコは買ってある。
先輩ばかりに囲まれているのに尚更用意しない訳にはいかないと思いデパートに買いに行ったのだが、この調子だとキャプテンはともかく他のレギュラーメンバーにはいらなかったようだ。
せっかく買ったのだしお礼も込めて渡すだけ渡そうと、その日の放課後、女子の目線を受け止めながらいつも通り部活に勤しんだ。

「皆さんお疲れ様でした。タオルとドリンクをどうぞ」

本日の部活を終えて、汗を流す部員にタオルとドリンクを渡していく。
手間が省けると思って、この時ついでにチョコも渡して回った。

「あれ。みょうじ、これ何だよ」

「箱…?菓子アルか?」

「チョコですよ。今日バレンタインですし、日頃の感謝を込めて、一応」

「うおおお、わしにもチョコがあああああ」

賑やかなメンバーを溜息混じりに横目で眺めて仕事に戻った。
本命でもないのにチョコ一つでよくぞこうも騒げるものだ。
付き合っていられないと黙々仕事をこなす私の元に突然影が降りてきて、誰かと顔を上げれば紫原だった。
わざわざ私の所に来て何の用だろうと眉を寄せる。

「ねー、なまえちん。俺チョコ貰ってないんだけど」

同じ学年なのでよく知っているが、こいつあれだけ貰っておいてまだ貰う気なのか。
どれだけ食べる気だと何度目かになる溜息と共にチョコを渡すと、ありがとーと礼を言いながら目の前でビリビリと包装紙を破り早速食べ始めるものだから、呆れて言葉も出ずに見送った。
心なしか嬉しそうな紫原の後ろ姿は花まで飛んで見える。

「なまえ、ちょっといい?」

幻覚なんて見ている場合ではないと頭を振って渇を入れ、仕事に取り掛かると再びかかった声に顔を上げた。
私を呼んだ氷室先輩の手元にはチョコが溢れていて、女子の相手がやっと終わったらしい事が分かる。
ご苦労様ですと、心の中で労った。

「この後ちょっと待っててくれないか?よかったら一緒に帰ろう」

どうして今日に限って誘ってくるのか。
女子の目が怖いので断ろうとしたら、ダメかななんて目尻を下げられてしまって、断るに断れなくなってしまったではないか。
仕方なくいいですよと答えると、よかったと言って見せられた眩しい笑顔に溜息がまた零れそうになった。
顔がいいって、ずるい。

仕事を終わらせて着替えを済ませると、更衣室が離れているので待ち合わせやすい校門で氷室先輩を待った。
汗を拭って着替えるだけだというのに、女の私よりも遅くまだ来ない。

「お待たせ、なまえ」

本を片手に待つ事数分。
やっと来たかとかけられた声に顔を上げてぎょっとした。
似合うが、似合うとかそういった問題ではない。

「…あの、先輩。どうしたんですか、その薔薇」

やってきた氷室先輩の腕の中には、真っ赤な薔薇の花束。
貰った物だろうか。
だとしたら凄い情熱的な人だったのだろう。
私が思わず呆けてしまうくらいに。

「これをなまえに渡したくて待っててもらったんだ」

愛しそうに薔薇を見る氷室先輩に眩暈がしそうだった。
どうやら凄く情熱的な人は、目の前にいるこの人だったらしい。
生まれて今まで花束なんて貰った事がないし、それも薔薇なんて受け取った事がある訳がない。
そもそも、この花束を抱えて登校してきたのだろうか。
初めての事だらけで混乱してしまいそうだが、一番突っ込みたい所は他にある。

「なんでそれを私に?」

氷室先輩に薔薇の花束を貰う理由がない。
明確な理由がないと受け取ってはいけない気がして、手を伸ばす事なく尋ねた。
というか、高校生がするプレゼントではないと思う。

「なんでって、今日はバレンタインだろ?」

意味が分からない。
開いた口が塞がらないって本当にあるんだと今日学んだ。
バレンタインだと薔薇の花束を渡すのか、この人。
やっぱり意味が分からない。

「日本では女性から好意を示すって今日知ったよ。向こうでは男から物を贈るものだからつい用意してしまったんだけど、よかったら受け取ってくれないかな」

アメリカの風習って怖い、というのが正直な感想だが、私に用意してくれた物のようだし、未だに呆気にとられているがありがとうございますと礼を添えて受け取っておいた。
私の腕に納まった薔薇を見て嬉しそうに笑う氷室先輩を見て、これでよかったんだよねって自問自答していた所に、追い討ちをかけられて更に固まる事になるなんて誰が思っただろうか。

「返事はいつでもいいから」

「は?」

相手は先輩だというのも忘れてつい変な声を出してしまったが、私は何も悪くないと思う。
だって、こんなの予想している訳ないじゃないか。
返事って何、と頭の中で考えるが辿り着く答えは一つ。
そんなまさかって空笑いしたくても、頬が引き攣って出来なかった。

「俺、どうでもいい子にこんな事しないよ」

表情筋が固まって何も反応出来ずに、目の前にある綺麗な顔を凝視する。
腕の中にある赤い薔薇が風に揺れた。
真っ白な頭の中で、赤だけが映えた。

「好きだよ、なまえ」

帰国子女ってやつは。
それしか言葉が出てこなかった。

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2014年バレンタイン