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欲しい物はひとつだけ


夕食を済ませた後、母親に伺いを立ててキッチンを借りた。
甘い香りが漂い包まれる。
というのも、明日のバレンタインに備えてチョコを加工している為である。
過去バレンタインにチョコを作った事はない。
精々自分用に買った市販のチョコを堪能して、友人が作ったチョコのおこぼれを貰うくらいだった。
異性と付き合った事がない、という訳でもない。
ただバレンタイン時期に彼氏がいた事がないだけだ。
それが理由で、チョコを用意した事がなければ渡した事もない。
今回が初めての試みだった。

材料を買い出しに行って、何を作ろうかと悩むのが楽しくて仕方なかった。
これもあれもとチョコのデザインを考えるのも、喜んでくれるかなとか、美味しいって言ってもらえるかなとか思うのも、何もかもが初めて味わう気持ちだった。
全てが楽しく感じて、わくわくとドキドキが入り混じった。
今まで何の興味もなかったバレンタインが、贈る相手がいるだけでこんなにも胸弾むイベントになるものなのか。

彼氏の顔を浮かべながら出来立てのチョコを綺麗にラッピングして、いろんな角度から眺めて確認した。
彼氏をイメージした真っ赤なラッピング用紙を、ラメの入った白いリボンで彩る。
可愛いって自画自賛して、満足気につんと指でつついた。
バレンタイン当日を思うと勝手に笑みが零れて、浮かれて締まりのない顔の自分に苦笑する。
自分で思っている以上にバレンタインが楽しみで待ち遠しかったようだ。
早く明日になれって、早く赤司に会いたいって、念じるように眠りについた。

いざバレンタイン当日になってみると、赤司君の周りは女の子の人集りが出来ていた。
よく考えなくても分かる事だったのに、どうして予想しておかなかったんだろうか。
人を寄せ付けない雰囲気を持つ赤司に近付く絶好のチャンスのようなものではないか、バレンタインなんて。
あまりにも人が多く集中していて渡せそうにないので、帰り道で渡そうと思い直した所でふと目に入ってきた物に釘付けになった。
どの女の子も手に持っているチョコが豪華なように感じる。
決して派手だとか大きいだとかいう訳ではない。
シンプルながら気品漂い高級感溢れるデザインなのが見て分かる。
ちらりと自分が用意したチョコを改めて見る。
他の子達が用意した物と見比べると貧相に見えてしまって、ここにきて渡すのを躊躇った。
赤司は御曹司。
安物を渡す訳にはいかないと、皆気合を入れてきたのだろう。
そうだとすぐに分かってしまった。
対して私はどうだろうか。
そこまで深く考える事もなく、自己満足のような作り方をしてしまわなかっただろうか。
段々自分の物がみすぼらしく感じてきてしまって、赤司を囲む子達を見れば見るほど渡す気が失せてしまっていた。
浅はかだったと思う。
もっと赤司に見合う物を用意するべきだった。
初めてだからと浮かれ過ぎていたんだ。

放課後、教室に一人ぽつんと残った。
昨夜自分の手で包装したラッピング用紙を自分の手で破っていく。
赤司君をイメージした赤いラッピング用紙を無表情でびりびりと。
中から現れた歪な形をしたショコラが顔を覗かせて、泣きそうになりながら一つ摘んで口に含む。
甘い。
口内に広がる甘さがより誘ってくる涙をチョコと一緒に飲み込んで、表情を一切変えずにまた一つ手に取った。
味見をしたから知っている。
決して不味くはない。
甘すぎず程良い甘さにも出来た。
けれど、そこで満足してはいけなかったんだ。
私の彼氏は一般庶民ではないと、早い段階で気付くべきだった。

「随分と良い物を食べているようだが、一人占めする気かい?」

いきなりかけられた声にはっと我に返って教室の扉に顔を向けると、扉にもたれ掛かってこちらを見ている赤司がゆっくりと近付いてくる。
どうしてここにいるんだろうという疑問よりも、見られたくなかったショックが私を襲う。

「…別に、そんなにいい物でもないよ」

赤司に見られる前に早く処分してしまおうと、最後の一個になったチョコを摘んだ。
これを私が食べてしまえば、みっともない出来のチョコは全てなくなり、誰の目にも触れる事なく消えてなくなる。

「なまえには大した物ではないかもしれないが、僕には大切な物なんだ」

口に入れる寸前で手を掴まれて、私の計画を阻止された。
赤司の言葉に泣きそうになって目が潤む。
こんな物でもそう言ってくれるのか。
ゆっくりと顔を上げて赤司をじっと見る。
ふっと優しい笑みを一つ落とした赤司は、掴んだままの私の手に顔を寄せて、手の中にあるチョコを指ごと攫っていった。
熱い。指も、心も。

「初めてだし、そんなに上手く出来てないのに…」

集まった熱を誤魔化すように指を組んで胸元に添えた。
恥ずかしい。この程度で喜んでしまう私が。
あははと笑ってごめんねと言う事で、自分の心をまた誤魔化した。
次はもっと頑張るから、しっかり作り上げてみせるから、お願いだから嫌いにならないで。
赤司に相応しい彼女になってみせるから。

「なまえは何か勘違いしている」

勘違いという単語が必死に縋り付く私の心に引っ掛かった。
理解出来ずにきょとんとしてしまった先には、私を見つめるオッドアイ。

「僕は有名メーカーのチョコを貰いたい訳でも、渡してほしい訳でもない。欲しい物はそういった特別ではないんだ」

伸びてきた手が私の頬をするりと撫でる。
再び感じる熱に顔が赤くなっていないだろうかと不安になるものの、振り払おうとは思えない。
大好きで常に求めている熱。
涙で潤んでいた瞳が、今は熱で潤んでいる。

「僕の特別は一つだけ存在する。その答えを分からないとは言わせないよ」

頬を撫でていた手に顎を上げさせられて上を向くと、迫ってくる赤司の顔。
綺麗だなって思いながら、降りてきたキスを受け止めた。
嬉しさで心が満たされる。
赤司から貰う喜びが私の幸せ。
彼もそうなんだと知って舞い上がりそうだ。

「ごめんなさい」

「まったくだ、一人で食べてしまうんだからね」

呆れたように息を吐く赤司がまるで拗ねているように見えて、可愛らしくて小さく笑った。
作り直そう、ちゃんと。
また心を込めてチョコを作って、赤司に食べてもらおう。
しっかり私の気持ちを受け取ってもらうの。

「帰るぞ、なまえ。家に着いたらお仕置きだ。チョコの分までしっかり楽しませてもらうよ」

前言撤回。
やっぱりチョコを作り直す必要はないかもしれない。
私ごと受け取ってくれるみたいだ、好きの気持ちを。

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お題提供:夢見月*「欲しい物はひとつだけ」
2014年バレンタイン