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あなたの恋人にしてくれますか



※死ネタ注意


病院で働き始めて数年。
今まで様々な患者と相対してきたが、私が看護師を目指した理由は救いたいから。
一人でも多くの人に健康でいてほしいと思った。
ありきたりな理由だし、人によっては偽善だと思われるだろうが、私は本当に心から健やかでいてほしいと願った。

中学生だった頃、幼い頃から世話をしてくれた祖母が亡くなってしまった事が私に看護師を目指そうと思わせた。
祖母の死因は癌だった。
私がもう少し注意して見ていれば祖母はもっと長く生きていられたかもしれないというのに、心優しい祖母は心配させまいと多少の無理をして気丈に振舞ってくれていたらしい。
大事な人の異変に気付けなかった自分の愚かしさを悔いた。
そして嘆いた。
こんな悲痛な思いはもうご免だった。

こう言ったところで結局はありきたりな話になってしまうのだろうが、祖母の死は私に大きなダメージを与えた。
晴れて看護師になれたものの、全員を救う事なんて出来る訳がないと分かっている。
元気に退院していく姿を見てこちらも元気を貰う事が多い反面、死に抗えず命を落としていく姿も何度も見てきた。
それでも私は生を諦めたくはなかった。
悔いはもう残したくなかったのだ。

その私が今回任された仕事は、緑間医師の担当患者のサポートだった。
患者の名は高尾和成という、まだ若い活発な好青年だった。
見た感じ私より少し上くらいだろうか。
聞けば緑間先生の高校時代の旧友なのだと言う。
なるほど、どうりで二人からは気安さを感じる訳だ。
年が大して離れていない高尾さんとは接しやすかった。
彼の持つ愛嬌とコミュニティ能力の高さも手伝って、次第に仲は深まっていった。

高尾さんが入院してから一ヶ月が過ぎ、もうすぐ二ヶ月が経とうとしていた。
サポートを任されたものの、私は未だに彼の病名を知らされていない。
通常であれば真っ先に知らされているはずの事柄だ。
高尾さんを見ている限りすこぶる元気で、とても病人には見えない。
おかしいと思い始めると疑念はむくむくと育っていくばかり。
私だって聞く権利があるはずだ。
颯爽と院内を歩く緑間先生に声をかけて呼び止めた。
病名を聞くと私の頭の中は真っ白になった。
言い辛そうな緑間先生の口から教えられた病気は、癌だった。
高尾さんがこの病院にやってきた時には既に進行を防げない状態だったらしい。
なんとか助ける方法はないか模索中だと下唇を噛み締めながら言う緑間先生を見て、この人も救うのに必死なんだと思った。
余命を聞けばあと一ヶ月あるかないか。
ではいつも笑ってみせる高尾さんは、元気に話しかけてくれる高尾さんは、重病で苦しいにも関わらず平気な振りをし続けているというのか。
それは一体どんな気持ちなのだろう。

また癌という病気が私に立ちはだかる。
今度こそどうにか助けたくて、いなくなってほしくなくて、ずっとあの朗らかな笑顔を見せていてほしくて、私もお手伝いさせてくださいとお願いして緑間先生と生きる術を探した。

それから一ヶ月と少し。
何の手立てもも見付けられずに焦りが募った時に事は起こった。
とうとう高尾さんが倒れた。
知らせを受けて急いで彼が運ばれた集中治療室に向かった時には、そこにいた数人の医師が皆肩を落としていた。
ぞわっと悪寒が体中を巡った。
嘘だと小さく呟いた声に居合わせた緑間先生が気付いたようでこちらに足を向けた。
弱いが息はまだあると言う。
ならばと声を上げたのだが、緑間先生は静かに首を横に振った。
思い付く限りの事は全てやりきったが、高尾さんの目は開かないようだ。
モニターを見ると脈は弱くなる一方で、命の灯火は消えかけていた。
嘘だともう一度呟いて静かに横たわる高尾さんに寄り添うとぎゅっと両手で彼の手を握った。
握った手はごつごつとしていて大きかった。
ただ、冷たかった。
私の熱よどうか伝われと念じて力強く握っては、頼むから目を開けてくれと名前を呼び続けた。

「…なまえちゃん?」

奇跡が起きたと思った。
必死で名前を呼び続けた結果、高尾さんが薄っすらと目を開けた。
聞こえてきた声は耳をそば立てないと聞き取れないくらいに小さい。
それでも彼は覚醒した上に喋っている。
嬉しさからじんわりと涙が浮かんだが無視してしっかりと手を握り直した。

「そうですよ、なまえです」

小さく、けれど高尾さんにとって精一杯であろう笑顔を浮かべた彼に、私もにっこりと笑顔を返した。
あぁ、好きだ。
どうして今気付くのか。
それとも今だから気付いたのか。

「真ちゃん、いる?」

「ここにいる」

私の隣に並ぶと緑間先生は高尾さんの髪を撫でる事で存在を主張した。
数ヶ月過ごしただけの私がこれだけ心を打ちのめされているのだ、高尾さんと長く付き合いのある緑間先生の心情はこんなものだはないだろう。
髪を撫でる手が少し震えていた。

「真ちゃん、ありがとな」

「…人事を尽くさないのが悪いのだ、馬鹿め」

ひでぇなぁと言いながらもははっと笑う高尾さんの姿に耐え切れなかったようで、緑間先生の目が潤んでいく。
それでも涙は見せたくないらしく、眉を寄せて眉間に力を入れる事で耐え切っていた。

「なまえちゃんも、ありがとね。楽しかったわ」

待って、まだ逝かないで。
気付いたのは今でも…いや、今この気持ちにきちんと気付けたからこそ言わないと後悔する。
高尾さんと何度も呼んだ名前を改めて呼んだ。
ん?と返す彼の声が先程より弱い。
最期だと、誰もが分かった。

「私、高尾さんが好きです。私をあなたの恋人にしてくれますか…?」

我慢出来なくなった滴が音もなく静かに流れた。
もっと早く貴方の病名を知っていればもっと模索出来たのに。
もっと早くに貴方と出会っていればもっと違う未来があったかもしれないのに。
もっと笑い合っていたかったし、もっと一緒に生きていたかった。
願望が涙となり、現実が流していく。
祖母の時だってそうだった。
どうして私はいつも行動が遅いのか。
成長しない自分に嫌気がする。
これでは何の為にこの仕事に就いたのか分からない。

押し寄せてくるとめどない後悔の渦から、弱々しい、けれど確かに私の手を握り返してくる力が救ってくれた。
力はすぐに消えたけど、高尾さんは間違いなく私の手を握ってくれた。
改めて彼を見るといつもの元気な笑顔とは違った、慈しむような優しい、慈愛に満ちた笑顔。

「俺って幸せだわ。こんな可愛い彼女がいて」

これが高尾さんの最期の言葉となった。
握っていた手から生気が抜けて、優しい笑顔を残したまま瞳は閉じられた。
次いでピーッと甲高く鳴る電子音に涙が止まらなくなって、ついには声を荒げて大泣きした。
隣でずっと見守ってくれていた緑間先生の頬に涙が一筋流れていった。

ありがとうは私の台詞だ。
最期まで素敵で格好良い人だった。
貴方という彼氏がいて、私が幸せです。

こうして大切な人を失った。
人生で二度目だった。

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お題提供:秘曲「あなたの恋人にしてくれますか?」