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いたずらクレッシェンド



宣戦布告の日とは、どこの誰かは知らないが上手い事を言ったものだ。

今まで言えずに秘めてきた彼への想いをバレンタインというイベントに乗じて告げてみせると、幾日も前から拳を握り締め堅く決意していたか。想いが叶うかは分からない。結果がどうであれ、私の気持ちを知っていてもらいたかった。叶わなかった時は叶わなかった時でいいではないかと強気に出ていたポジティブな私は、一体どこへ雲隠れしてしまったのか。

宣戦布告の日といわれたバレンタイン当日を迎えた私は、前日までのポジティブな思考とは反して顔を俯かせていた。席が近いせいで、顔を上げるとクラスメイトである黒子の姿が目に入ってしまうからだ。同じくクラスメイトの火神と前後の席である黒子は、二人で談笑しているのでわざわざ耳をそばだてずとも会話が聞こえてくる。その程度には席が近い。なんといっても、黒子とは隣同士である。

黒子テツヤ。私と同じクラスでバスケ部所属の高校一年生だ。読書を好む彼が入った委員会は図書で、顔を合わせたばかりの頃、なんだか黒子らしいと思ったものである。
高校一年生には平均的な身長で、だが体の線は細く華奢な印象を与える。色白な肌がより印象付けているのかもしれない。しかしというか、やはりというか、スポーツをしているだけあって細く見える体つきは外見よりもがっしりと逞しい。よかったら来てくださいと誘ってくれたバスケの試合で初めてその逞しさを知り、体育祭で改めて彼の男らしさを感じた。男の子ではなく、男なのだと実感させられたのだ。やたらと黒子を意識するようになったのは、それからだったかもしれない。
元々席が近いのでよく会話していて、クラスメイトとして、友人として、仲が良いと言える関係だったとは思う。同じ部活に所属している火神と黒子は特に仲が良く、自然と私も二人と話すようになった。だからこそ試合観戦にも誘われた訳だが。

それがいつからだったのだろう、好きだと思い始めたのは。

私は黒子が好きだ。自惚れでもなんでもなく、それはお互い同じ気持ちだと思う。きっと黒子も私を好いてくれている。けれど黒子は恋愛感情でいう好きではないだろう。
一体いつ頃からなのか明確ではないが、私は恋愛感情を持って黒子に想いを抱た。その瞬間から友人として見る事が出来なくなってしまったのである。
私と黒子の関係を友人から恋人にステップアップする為にも、ささやかだがチョコレートを用意して今日に備えた。例え恋人になれずとも、振られたら振られたで構わない。私だけが持ち合わせたこの感情を黒子に知っていてほしかった。が、チョコを渡すどころか顔が上げられないでいた。
黒子を視界に入れると脈のリズムが狂い出す。意識しすぎだと自分でも分かるくらいに、どくどくと忙しなく心臓が動いていた。決意は決して軽いものではないのに、いざ本人を目の前にすると思ったように動けなくなる。ままならないなと、周囲に気付かれない程度に小さく溜息を吐いた。

「なんか今日やったらチョコ系の菓子貰うんだけどよぉ、今日ってなんかあったか?チョコをあげる日でもあんのか?」

唐突に耳に入ってきた火神の声にビクッと肩を震わせた。狙っているのかと疑いたくなるほどに絶妙なタイミングで話題を出されたものだから、つい体が反応してしまったのだ。そうか、火神は知らないのかと内心相槌を打ち納得した。
火神もバレンタインの存在自体は知っているだろうが、帰国子女の彼は日本のイベント行事に少し疎い。海外のバレンタインでは男性が女性に贈り物をすると聞いた事があるので、火神も女性から物を受け取るという習慣がないのだろう。もっとも、火神に想いを寄せていなくともあの豪快な食べっぷりを見ていると自然と渡したくなってしまうというものだが。

「アメリカではバレンタインってないんですか?」

火神の質問に不思議そうに黒子が問い重ねた。イベント事が好きそうなアメリカでバレンタインがないとは思えない。ゆえに火神がバレンタインデーを知らない事に黒子も疑問を抱いたのだろう。
返ってきた火神の答えは私の予測通り、チョコに限った事ではなく男性が女性へ贈るのだと言う。女性が男性へ、それもチョコに限定されたプレゼントで気持ちを伝えるのが日本のバレンタインだと知ると、へぇと興味深そうに、けれどあまり自身には関心がなさそうに火神が声を漏らした。文化に慣れないのだろう、なんだか不思議な感じがすると、女子から受け取ったチョコ達をもぐもぐと頬張りながら言う火神に、黒子がいつもの淡々とした調子で日本のバレンタインを語っていく。

「バレンタインデーに受け取ったチョコのお礼をするのが男の努めです。つまり火神君、今食べているチョコ達のお礼を3倍にして返さないといけません」

「は?!3倍?!?!」

バレンタインについて語っていると思いきや、何ホラを吹いているのか。バレンタインの話題に居心地が悪く、黒子の悪戯な説明に対して呆れも混じって、かおを俯かせたまま視線を彼等の真逆へと持っていった。
その時だ、黒子が私の心臓を大きく動かしてくれたのは。

「そうです、3倍です。ね、みょうじさん?」

体を跳ねさせ、おかしな奇声を上げる事になるかと思った。まさか私に話を振られるとは思わず、心臓が止まるかと思うほど驚いた。そうならずに済んだのは忍耐強い私の心臓だ、褒めてやりたい。
黒子も黒子だ。何故ここで私に話を振ってきたのか。私なら会話を聞いていると思っているのだろうか。実際に聞いているので何も言えないが。

「…黒子、遊んでるでしょ?」

仕方なく横目で黒子を責めると、まさかと変わりない表情で返す肩が若干震えている。笑いを堪えられていない彼に呆れて溜息を吐き出すと、振り回されていた火神が怒りに任せて声を荒らげたが当人の黒子はなんのその、飄々とした様は慣れたものである。

「もういい、口の中甘ぇし飲み物買ってくんわ」

言いながらガタッと椅子を鳴らして立ち上がると火神は一人教室を去っていく。空腹に任せてばかばかとチョコを食べ続けていれば口直しもしたくなるだろう。気持ちはとてもよく分かるのだが、暗めの赤髪を見送ったことで私はより身動きが取れない状態になり冷や汗が背中を伝う感触につい背筋を伸ばした。火神がいなくなったことで黒子と二人の危機的状況となった空気が重い。逆に言えば第三者の介入もなくチョコを渡せる絶好の機会なのだが、何分急すぎるチャンスの到来に焦るばかりで動かない。いや、動けなかった。

ざわざわと賑わいを見せていた教室内の一切の音が消えた。耳に入るのドキンドキンと煩く騒ぎ立てる己の心臓の音。大きく響いて聞こえるのは自分の体内にあるからだろうか、意識せざるを得なくなるので早くに落ち着いてほしいと、意味もなく手を組み力を込めた。暑くもないのに汗ばんだ手が気持ち悪い。

「みょうじさんは渡さないんですか、チョコ」

ビクッと、今度こそ大袈裟に肩が跳ねたが、気付いたのかそれともあえて気付かなかった素振りをしているのか、感じる視線がこちらを見ていると知らせてくるが深入りしようとする声はない。そろそろと顔を向けるとじっと見てくる水色に気圧されつい身を引いて距離を空けた。ただただじっと向けられた視線が少しの変化も逃すまいと捕らえて、捕獲された私はごくりと喉を鳴らし発声準備をするしかなかった。のらりくらりと躱せるのならそうしたいものだが、自信が欠片もない。

「あるには、ある」

乾いた唇を開いて正直に言う私に、そうですかと素っ気なく返した黒子の態度からこれで逃れられると安堵で胸を撫で下ろした。が、考えが甘かったようだ。

「早くしないと、今日が終わっちゃいますよ?」

思っていなかった黒子の追随にあからさまな反応をしてしまい、やってしまったと内心嘆いた。つい、目を見開き驚いてしまったのだ。視線が絡み合っている今、不審に思われない訳がない。
どう切り抜けたものかと、普段あまり使わない脳をフル回転させて答えを叩き出した。

「ぶ、部活の時間に渡そうと思ってたの!」

「そうでしたか。部活に入ってないみょうじさんが、部活の時間に渡すんですか」

どうやって渡すのか楽しみです、と意地悪く言う黒子の表情も意地が悪いものだったと思う。
そこまで感情を顔に出さない黒子は、こんな時ばかり変化を見せる。相手をさせられる身としてはたまったものではない。いつか見返してやろうと思っても、なかなか口では勝てないのが現状だ。今も勝てずに口を閉じることとなっている。今回ばかりは墓穴を掘った私の自業自得だが。

「仕方ないから黒子には今渡してあげる」

今しかないと思った。今を逃したらチョコを渡す機会など訪れはしないと思ったのだ。そう思ったら、自分でも気付かないうちに体が勝手に動いていた。
つっけんどんな物言いをしながらチョコの入った可愛らしい箱を突き付けた。可愛げなど何もない渡し方に胸中自分で自分に叱咤したが、やってしまったものは仕方がない。
平静を装いながらも受け取れと強く念じて黒子の出方を待つ。押し付けるように差し出した小箱に重みを感じて、受け取ってくれるのかと歓喜し頬が緩みそうになるのを堪えていると、ぐっと自分の方へと押されて戻ってきたチョコに目を瞬かせた。

「仕方なく、なら結構です」

断られた、と分かった時にはショックで咄嗟に言葉が出なかった。ただの言葉のアヤだというのに、勘違いされたままなど私が耐えられそうにない。
黒子なら黙って受け取ってくれると、心のどこかで胡座をかいていたのかもしれない。こうなったのも私の慢心が引き起こしたことで、当然の結果だと身を引き締めた。このままでいい訳がない。
想いを伝えるという行為には照れから生じる恥ずかしさがある。けれど、この気持ちは少しも恥ずかしいものではないのだ。

「違う!本命に決まってんでしょっ!」

昂った感情に任せて勢いよく立ち上がり、大声を張り上げながら面と向かって黒子に想いをぶつけた。
言えた。やれば出来る、と内心自分を褒めた。熱を感じるのできっと顔は赤いだろうが、隠す気にはならなかった。赤く染まるのは、好きの気持ちの表れだ。

「気付いてましたよ」

「…は?」

黒子の反応はいかなものか、と待つこともなく、それはすぐに返ってきた。が、満足気に笑う黒子が拒否した小箱を手に取りながら今何と言った。気付いていたとはどういう事なのか、さっぱり分からない私は脳内でパニックを起こしていた。おかげで相変わらずの可愛げない声が口をついて出たが、今ばかりは断じて私が悪い訳ではないはずだ。

「言わせる、というのも悪くないですね」

この輩は私の気持ちに気付いた上で言わせるように仕向けたというのか。
策士と褒め称えればいいのか、たちが悪いと責めればいいのか、意地が悪いにも程があると嘆けばいいのか。私が選び取った行動はそのどれにも当て嵌まらなかった。

「チョコ、ありがとうございます」

これだけの悪戯をした当人は、それはそれは嬉しそうに、見たこともない柔らかな微笑みを浮かべたのだ。緩く弧を描く口に手にした小箱が触れているように見えて、まるでキスを送られている錯覚を起こす光景を間近で目にした私は何も言葉が出てこなかったのである。

これはもしかして、もしかするのではないか。
期待が胸を跳ねさせた。外見からの印象を裏切る悪戯好きの黒子は、果たして素直に答えてくれるのか。
ドキンと、大きく胸が騒いだ。

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おかん様からいただきました「恥ずかしくて本命チョコだと言えないヒロインに黒子が少しいじわるする話」というリクエストでした。
リクエストありがとうございました!
2015、バレンタイン