novels | ナノ

世界で一番愛しい人



元日から七日の間おせち料理が振舞われる所以とは、女人に休息を与えるためである。
正月と呼ばれる一週間は誰しもが体を休ませ、ゆったりと過ごす事とされている。
男も女も年明けを祝うため酒で喉を潤し、縁起物を口にし目にして盛り上がる。
一年の中で最も賑やかだと言える頃だろう。
その中で一人せっせと動き回る女がいた。
天下の将軍、家光の影武者を務めるなまえだ。
大奥の皆と宴会を楽しむ傍らで、裏では客人をもてなすための準備を進めている。
正月の間に城を訪れる者はごまんといて、来客者は皆国の要人である。
将軍のもてなしが雑になるなどという事態は避けねばならない。
かといって大奥に顔を出さない訳にもいかず、なまえは忙しく日々に追われていた。
今のところなまえは一つの失敗もなく仕事をこなしている。
さすがの一言だ。
これには仕事に厳しい春日局も満足気な笑みを浮かべていた。
そんななまえを不満げに眺める者が一人だけいた。
不満、というよりかは心配と言った方が正しいようだ。
はらはらとなまえの様子を遠目に伺う姿からありありと心配が見て取れる。
大奥総取締役でありなまえの恋人でもある永光の姿であった。

なまえが家光の影武者だと知る者は数人だが存在する。
よって助力を受けられるなまえは皆の手助けもあり今日まで責務を全う出来た訳だが、いかに助けがあろうとも、連日に渡る激務に耐えるのは至難だ。
天賦の才を持ち合わせた本物の上様であれば難なくこなせる日程だろうが、残念ながら行方知れずの身。
なまえにその座を譲ると示した文を最後に姿を消してしまったために、将軍本人に仕事を押し付ける事は願っても出来ない状況下にあった。
奔放すぎる上司に向かってぎりっと遠慮なく奥歯を噛み締めた栄光の心中も分からない訳でもなく、察した緒形が肩にぽんと手を置き宥めにもならない慰めを施す事となった。

宴もたけなわといった六日目。
残すところあと一日となった日に、徐々に衰え疲れを見せ始めたなまえにとうとう永光が痺れを切らした。
なまえ本人は大丈夫と言い張り気丈に振舞って見せているが、それを見ていた永光が我慢ならなかった。
後はお任せしますと春日局に言い伝えた永光は、夜お茶をしましょうと自室になまえを呼び寄せた。
まだ仕事が残っていたなまえは眉を寄せたものの、この数日共に過ごせていなったために声をかけられた事で恋しさが募り、悩んだ結果誘いに乗った次第である。
柔らかい物言いであるにも関わらず有無を言わせぬ永光の声も、応じた理由の一つであるが。
毎日酒を口にしている体に安らぎを、との永光の主張で点ててもらった茶は確かに美味いとなまえは感嘆の息を漏らした。
永光の点前もあるのだろうが、休む時間というのは必要らしいとなまえは永光の端正な顔立ちを見つめた。
まだ頑張れる、あと一日だ、と奮い立たせていた己の体は思っていたよりもずっと疲弊していたのだと知る。
相変わらず気遣いの上手い人だとなまえは笑みを浮かべた。
この大奥にやってきてから永光には世話になりっぱなしのなまえである。

「ありがとうございました」

肩の力が抜けて緩んだ頬を永光に向け感謝を述べたなまえに、いいえと柔らかく返す永光は声のみならず眼差しも優しい。
やっと腰を落ち着けたなまえに安堵したからか、それとも彼女を独占出来ているからなのか、永光以外に知る由はない。
どちらもなのだろうと推測になるが彼に代わって言っておこう。

「貴女は働きすぎなのです。頑張りすぎですよ」

言いながら対面するなまえの頬に手を伸ばした永光がそのまま撫でる。
その動作はとても愛しそうで、頬を包み込むような動きになまえの顔が朱に染まった。
頭のきれる永光は武芸にも秀でている。
そのせいか、彼の中性的な面立ちからは想像しにくいがごつごつと無骨な手をしているのをなまえは知っていた。
見た目にはそぐわない男らしい永光の手をなまえは好いている。
何度触れられても飽く事のないこの手は、なまえをより安心させた。
本人には決して似つかわしくないなどと口に出来やしないが。

「確かに、今の貴女は国の頂点に立つ方。けれど、これだけは忘れてもらっては困りますね」

結い上げていた髪を下ろしたなまえの真っ直ぐな黒髪を、頬から滑らせた永光の手が掬う。
捕えた長い髪は月に照らされて一層美しく、運ばれた先は永光の口元。
そっと口付けた永光の唇が厭らしくなまえの目に映り、朱から赤へと色濃く染まった顔を俯かせた。
視線を外しても続く音がなまえの羞恥を煽る。
ちゅっと響いた音と共に送られた口付けは永光の眼差し同様に熱く、それがまた心地良いと俯かせていた顔をそろそろと上げたなまえは思う。
恥ずかしさはあるものの、その熱に捕らわれていたいと思うのは恋情故であろうと、なまえは熱で潤む瞳でじっと永光を見つめ言葉を待った。

「上様は皆に差し上げましょう。ですが、なまえは他の誰でもない、私だけのものですよ」

「永光さん…」

名を呼び返す事しか出来ないなまえは、言葉に表す事の出来ない想いを伝えるために未だ髪に寄せられた永光の顔を両手で包み込んだ。
国の一番を演じなければならないなまえはまだまだ努力が必要であると二人共理解している。
けれど彼女は将軍である前になまえという一人の女性で、自分を前にする時はただの娘でいてほしいと永光は願っていた。
常に無理をする必要はないと、自分という休憩処があるのだと忘れず胸に刻んでほしい。
それこそが番となる自身だけが出来うる支えであると永光は思い続けてきた。
実を言えば、他の誰のものにもならずとも良い、というのが永光の本心である。
それが叶わない今、せめてなまえでいられる時間を与えたいと永光は常々思っている。
案に、一人ではないのだから時には頼りなさい、と言っているのである。
感極まったなまえを抱き寄せ、永光は潤んだ瞳に唇を寄せた。
赤い顔ながら途端に笑顔を見せたなまえからはもう疲労など見られない。
安堵して永光も微笑み返した。

「愛していますよ、世界で一番愛しいなまえ」

吸い寄せられるかのように互いに唇を触れ合わせた二人は、久しぶりに感じる温もりを求め熱を分け合うように絡む。
それは必然であるのだと思わせる姿を、静かに月が照らしていた。

*****************************************************
2015謹賀新年。
紅白でSMAPの「世界にひとつだけの花」を聴いていたら唐突に思い付いたもので、話が纏まらないまま書いてしまったので最後グダグダでやっつけ感半端ない…無念
かっこよさが微塵も感じられない崩れたお万の君なので受け付けない方がいたなら申し訳ない。