novels | ナノ

13



春休みが終わって、私は二年生になった。
寒さが原因で桜が満開になる事はまだないが、日差しがだいぶ暖かくなった。
あれから日に日に赤司を思い出す日が多くなっていた。
この暖かい日差し一つでも思い出は蘇る。

あれは帝光中学に入学した日の事だ。
薄い桃色に囲まれた道を歩いていると、幼馴染みに後ろから声をかけられて振り返った。
手が伸びてきて驚いたのだが、目を丸くした私の目の前に出されたのは、男にしては綺麗な手の上にある桜の花びら。

「ついてたぞ」

やれやれといった態度の割りに表情は柔らかい。
私は幼馴染みのそういった些細だけど優しい顔が好きだった。

「なまえ」

いきなり名前を呼ばれてビクッと肩を揺らした。
過去から呼び寄せられた気になって、目を覚ますように数回瞬きを繰り返してから声のした背後を見やった。

「辰也先輩。先輩も今から帰りですか?」

氷室と校内で会うのは珍しい。
なにせ学年が違うし、なかなか校内が広いのも手伝って滅多に会う事はない。

「今日は体育館が使えなくて部活は休みなんだ。ん?なまえ、髪に何かついてる」

ふいに伸ばされた手が、幼馴染みと重なって見えて息を飲んだ。
氷室の動きがスローモーションで見える。
私の目の前には、赤い目と赤い髪を持った、私の、私の好きな…

「はい、取れたよ。…なまえ?」

顔を覗き込んできたのは赤髪ではなく綺麗な黒髪の氷室。
今私は何を見ていたんだろう。
馬鹿らしい。過去に囚われすぎだ。
前向きな私はどこへ行ったというんだ、情けない。
笑え。笑って氷室に礼を言うのだ。
いつものように。

「ありがとうございます、辰也先輩」

「いいよ、無理しなくて」

いつも通りに出来たはずなのに、見上げた氷室の顔はとても苦しそうで、どうして辛そうな顔をしているのか分からなかった。
分かったのは、今私は氷室の腕の中にいて彼に抱きしめられている事だけ。
たった一瞬で何が起こってこうなったのかまた疑問だが、この腕の温かさと氷室の優しさは今は頂けなかった。
優しさは私を弱くする。

「無理なんてしてませんから離してください」

「じゃあ、その涙は何?」

涙?泣いている?私が?
屈んで親指で目元を拭ってくれた氷室の手には確かに涙。
一体いつから泣いていたというのか。
涙を流している事に気付かなかった。
確認の為見せられた氷室の手をまじまじと見る。
何度見てもそこには私の涙があった。

涙を拭う為に緩めた氷室の腕がまた背中に回って抱きしめられた。
信じられない事がありすぎて身動きがとれず、されるがままになっていた私の耳元に体温と同じ優しさが聞こえた。

「確かになまえの問題かもしれない。だけど、その辛さを分けてほしいと思うのはいけない事なのかな」

私が悩んでいる間、氷室も悩んでいたのだろうか。
友人の助けになりたいと思った事は私にだってある。
そうか、友人を頼ってもいいのか。
少し気付くのが遅かったかもしれない。
いろんな感情がひしめき合って心がついていけず、私の意志とは関係なしにぽろぽろと涙が溢れてきて止まらなかった。

「俺は頼りなくて相談は出来ないかもしれないけど、泣く手伝いくらいは出来るから」

無理はしないでと言いながら背中を擦る氷室の優しさにとうとう耐え切れなくなって、彼の制服にぎゅっとしがみついて大声を出して泣いてしまった。
泣き止むまでずっと抱いてくれていた氷室に、泣き腫らした顔が照れくさくて笑うのには多少の時間を要した。
それでも彼は最後まで付き添ってくれて、あの綺麗な笑顔を私に向けてくれた。
頼れる友人に感謝した。