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09



幼馴染みを思い出す機会が増えた。
未練がましいったらない。
おかげで溜息を吐く回数が多くなった。
息を吸えば溜息となって出ていく。
何の為に秋田まで来たのか、思い出す必要があるようだ。
想えば想うほど恋しくなる。
ここまで来て想いを募らせてどうするというのだ。
消化するのだ、残り二年と少しの時間の中で。

「何かあった?」

家まで送ってもらっている帰り道で氷室が顔を覗き込んできた。
私はそんなに分かりやすいだろうか。
しかし学校でもバイト先でも突っ込まれる事はない。
という事は、この憂鬱な心は顔に出ていないはずだ。
きっと氷室は聡いのだろう。

「いいえ、何もありませんよ」

これ以上の迷惑をかける訳にはいかない。
何でもない風に笑って答えた。
納得のいかない面持ちだが、氷室は引き下がってくれた。
彼も弁えているようだ、踏み込んでもいい領域を。
その賢さに胸中で礼を言った。
初恋の人が忘れられなくて憂鬱です、なんて私には言えない。
氷室に言った所でどうにかなる訳でもない。
これは、自分との戦いなのである。

「ねぇ、なまえ。ずっと思っていたんだけど」

ずっと思っていた、という事は彼は長く悩んでいた事があるようだ。
もっと早くに言ってくれたなら力になったというのに水臭い。
氷室には世話になっている。
私も何か力になりたいし礼をしたい。
視線で続きを促すと、氷室は足を止めて私を見た。
歩を止めてしまうほど大きな悩みだというのか。

「どうして名前で呼んでくれないのかな」

「…は?」

丁寧語を使うのも忘れて間抜けな声を出してしまった。
まさか悩みとはこれか?
どれだけ重大な悩みなのかと心配した私がまるで阿呆ではないか。
呼び方がそんなに重要だろうか。

「俺は名前で呼んでるのになまえは先輩としか言わないし、敬語も全然抜けないし、少し寂しいな」

「不服ですか?」

「仲良くなったと思ったのが俺だけみたいじゃないか」

これはもしかして、いや、もしかしなくても拗ねているのだろうか。
氷室も拗ねるのか。
大人びた彼にも子供っぽい一面があると知って笑ってしまった。
そういえば幼馴染みもそうだったと思い出して痛む胸にまた笑った。
無理にでも笑顔を作らないと泣いてしまいそうだった。

「仲良くなったとは私も思いますよ」

「なら、呼んでくれないかな」

「先輩を相手に無理言わないでください」

「先輩である前に友人だ」

「それでも年上に変わりはありません」

何故こうも名前に拘るのだろう。
これもアメリカのせいなのだろうか。
ファーストネームで呼び合うイメージがあるので、勝手にそう思う事にしよう。

友人に年の差なんて関係ない。
その言い分に同意した。
確かに一理ある。
ではここは折衷案でいこうではないか。
私はこれ以上は引けない。

「辰也先輩。これで許してください」

「敬語は…」

「無理です。タメ口なんて、する気ありませんから」

目で訴えた。
私に引く気がないと分かると、溜息一つで承知してくれた氷室に勝者の笑みを浮かべた。

「いいよ、進歩に変わりないし。それより、」

最後まで言い終わらずに急に歩き出した氷室を慌てて追った。
気付いて振り返った彼には満面の笑み。

「やっと笑った」

適わないと思った。
年上の余裕だろうか。
一つしか変わらないにも関わらずこの差はなんだ。
彼の気遣いが嬉しくて素直に笑えた。
心は癒えていないが、どうにかなるような気がした。