Short-SxD- | ナノ

 春の香【佐政】



季節は春、心踊り寒さに構えた身も緩み始める季節。
佐助は幸村と信玄とともに上田城を訪れていた。

昔の城は粗野なもので周囲にこのような華やぎはなかったが、春ともなれば少し離れた名所へ出かけていっては花見をしていた。
今は、この地域でも有数の名所となった公園内に咲き誇る美しい桜の姿に幸村も信玄も晴れやかな笑顔を浮かべている。
思い出と佐助の手ずからこさえた料理たちとを肴に酒を酌み交わす光景は現代でも見慣れたものだ。
あまりの騒がしさに周囲の花見客が向ける目が痛いが、その程度無視できないようではこの二人と共になど居られない。前世はもちろん、導かれるように現世でも再会を果たしたかつての上司達に、この二十年あまりの間に再び慣らされた。変わりなく、守りたい人たち。
そんな二人の隣に座りながら、佐助はただひたすらに桜を見上げていた。

花より団子、その言葉が幸村以上に似あう者を佐助は知らない。ぱくぱくと料理を口にし、酒を飲み、騒ぎ時に殴り合う。騒がしいふたりと違って、情緒に浸っている、のかと言えばまた違う。
その顔は華やかな春を楽しむ色よりもむしろ、夕闇に溶ける寂しさが滲んでいた。視線は、実際にそこにある桜ではなくて遥か遠くを見ているようで。
宴の席に不似合いな顔に、追加の団子は無いのかとねだろうとした幸村が気づき、眉を寄せる。

「佐助!何を暗い顔をしておるのだ、このような華やぐ席に無粋だろう。佐助も飲んで騒げ!」
「無粋って、いやいや、別に俺様楽しんで無いわけじゃ無いよ?って言うか、旦那と御館様が騒がしすぎるの!普通はそこまでテンションあげられないって。それに忍びは顔に出ないものでしょ」

正論と、かつての自分の性を引き出して言い訳をする佐助に、それでも幸村は納得しない。
そもそも現代に生きて、忍びなどという言葉は縁遠くなったはずで、佐助も自分を人ではないなどという時代錯誤な認識を示すことは今では、ない。
だからそれはあからさまな誤魔化しであり、むしろ佐助らしからぬその稚拙さにこそ不審を抱き口を開きかけた――

「だが……」
「――ゆきむらぁぁぁっ!何をしておる、手が止まってるではないか。酒だ。今宵は倒れるまで飲むぞ、付き合えぇい」
「お、御館様!!承知ッ、では手始めにまず一杯!」

重ねて追求しようとした幸村を、信玄が割って入って止める。
催促するように差し出した5寸ほどもある朱盃に、幸村が持ち寄った地酒を惜しみなく、なみなみと注いだ。それをひと息に飲み干しながら、チラリと佐助に視線を送る。
信玄が酒好きなのも騒ぐのが好きなのも本当だが、今のはわざとだろう。さりげない配慮に感謝する。佐助の表情の理由までは察していないだろうが、触れて欲しく無い部分だと思っているに違いなかった。
否定はできない、が、話してもしょうがないと思っている。
彼らにどうとできる事ではなく、また、して欲しいというわけでもない。
言葉にしてしまえばその心中は簡単ではあるが、悩ましい。

咲き誇る桜をみれば綺麗だとは思う。ただ、物足りないのだ。
美しいだけの光景は写真のような華やかさではあるけれど、それだけだ。心の奥を揺さぶるような激しさはない。
佐助にとっての桜は脳をしびれさせるような香りとともにあった。

桜は殆どの種類で強くは香らない。花に顔を擦り付けるほどに近づければ確かに香るそれは、しとやかでさりげないものだ。
それにもかかわらず佐助の脳裏に桜と伴に香が強く印象づけられているのは……

「御館様、旦那、俺様ちょっと歩いてくるわ。何かあったら呼び出して」
「うむ?気をつけてな」
「佐助、幸村が潰れるまでワシらはここにいるぞ」

信玄の言葉の気遣いに苦笑を浮かべ、佐助はサイフとスマホだけをポケットに押し込み立ち上がった。



桜を眺めながら、ゆっくりと静かに。時期が時期だけに観光する人波が多いので、その隙間を縫うように歩く。
昔取った杵柄、そんな言葉が彷彿とする。
桜の下でそれぞれに場を楽しむ人々。服装も口に運ぶ物も昔とは違うけれど、それはやはり、かつて見た光景と変わらない。
だと言うのに。あの時は確かに有った香と青が、足りない。


かつての自分は、偵察や親書を送る使者として、何度も北の地を踏んでいた。

『アンタも暇だな、奥州くんだりまで、なんども。アンタの″旦那″は放置していいのか?』
『いつ敵対するかわからないから、ちゃんと見張ってないとね』
『Ha!そーかい、まぁせいぜい忍びに励みな』

ニタリと笑う政宗は不思議なおおらかさで天井裏に突如現れる忍びを許容した。後ろ暗いところはない、というアピールだったのかもしれない。気配には異常なまでに聡い人だったので、存在さえ知っていればうまく利用できるだろうと踏んでいた可能性はある。
忍としては酷い屈辱だが、佐助はそれに憤りを感じることはなかった。むしろ、それを利用できることに喜びを感じていた。
それは何も、忍びとしての本来の仕事を進めるためだけではなかった。
佐助は、政宗を敵としてだけではなく――忍びとしてではなく――人として欲していた。

雪に閉ざされた奥州は他国の交流はない。
誰の訪れもなく退屈にしていた竜は、物珍しさによく話しかけてきた。
殺伐とした、駆け引きがほとんどだったが――それでも叶うことがなく、むしろ叶わせることはできない想いにはちょうどいい。一人密かに喜びを抱きながら佐助は数えることすらいやになるほど、奥州へ足を運んだ。

だが、その時は、いつもと違ったのだ。

厳しい冬があけ、気候も大地も緩み始めるころ。
再び奥州を訪れた佐助は首を傾げて立ち尽くした。

伊達の屋敷に、人の姿がない。警備に申し訳程度の人数が残っているだけで、閑散とした内部には竜の気配も、それを守る鬼の気配もない。
どうしたことかと思えば遠くから聞こえてくる管弦の音。誘われるように近づいていけば、底には普段とは違う、重く堅苦しい防具ではなく、着流しや袴、半被などを身につけた青の軍団がいた。
遠くからでもわかる、空を覆い尽くそうとする大木の桜に寄りかかる政宗、それを囲う様に騒ぎたてている。
きつい目つきを今だけは抑えた右目が笛を吹き、鄙びた北の地だというのに漂っているのはいやに雅な空気。
花見の宴の真っ最中だったようだ。

筵の上に並べられた重に詰め込まれた見たことのない多くの料理は、政宗の好みに合わせた南蛮渡来のものなのか。
ぼんやりとした顔と動きで近づくと、視覚から近づいたはずなのに政宗は大木に背を預けたままに佐助に話しかけてくる。

『猿が匂いに誘われて紛れ込んできたか?』

僅かにこちらを向く、薄く笑う白い顔。鋭い金眼が酒に溶けて緩やかに輝いていた。唇の端を引き上げた皮肉な笑みではない、柔らかで優しげな年相応の顔。そうしていると彼の造作の美しさが相まって、幽玄な空気を作りだす。一枚の絵のような、あるいは、信じられもしない夢のような物語を体現したかのような光景に、息をのむ。
戦場で見ることのないその表情は、彼の愛する土地と部下にだけ許されていたはずのもの。
だが、その時、酒精の作用かそれは佐助の手の届くところにあった。

『雪に守られていた冬があけて、他国が攻め込んでこないとも限らないのに余裕じゃないの、竜の旦那』
『斥候はうってある……それにその程度の余裕もなくて国取りなんてできるかよ』

ほんのりと目元を赤く染めた政宗は、佐助の嫌味にも動じず酒を口に運んだ。
確かになんの策も打たない政宗ではないし、何もできない時間に一番焦れていたのは誰でもなく本人だろう。厳しい右目の監視下、政務に明け暮れていてはいやにもなる。
袴のあわせから覗く肌は僅かなたるみもなく、鍛えられていた。上がった体温でうっすらと滲む汗が太陽の光を跳ね返してきらきらとしてみえた。――目が、焼ける。

『そんなことよりアンタも突っ立ってないで飲んだらどうだ?どうせ暇なんだろう?』
『俺様はこう見えても優秀な忍だから仕事はいっぱいあるの!』
『こんなところにノコノコ出てきておいて説得力がねぇぜ。どうせ戻ったって真田に花見団子でもこさえるくらいだろ』

痛いところを突きながら、いいから飲め、と盃を渡される。
どうせ人もいない屋敷に戻ったところで何もできない。仕込むことは可能だろうが、卑怯な手を使った戦は主の望むところではなかった。
機嫌がいいのか政宗が手ずから注いでくれた酒を、溜息ひとつ漏らしてぐいっと煽ってやれば、一つ目が嬉しそうにゆるやかな弧を描く。
耳に馴染んでいた右目の笛が、一瞬音を外したような気がするが、気のせいだと頭から追い出した。

『いい飲みっぷりじゃねぇか。もう一杯いくか?それとも忍びが他国の将の前で酔いつぶれるなんてできないって断るか?』
『今更でしょ……言っとくけど、俺様強いからね。潰れるのはアンタの方だと思うけど』




そのとき、ひゅうひゅぅっと風が通り過ぎた。
枝を揺らした風は花を散らし、渦を巻く。薄紅の花弁が木の下にいた二人を取り囲むように躍った。
咄嗟に目を閉じた佐助は、風の中に交じる甘い香りに気づく。桜花は、香らないはず。

『奥州の桜は、匂うものなの?』
『ああん?いや、これは……』

首を傾げた政宗は、ああ、と何かに気づいたような顔を一瞬見せて、そして、いきなり体をぽたりと倒した――佐助の居る側に向かって。
ぎょっとする間もなく、佐助の肩には政宗の頭が置かれた。見た目よりも柔らかい髪が装束の隙間から首筋を擽る。ふわりと、先ほど嗅いだ甘い香りが漂った。
風は、止んでいる。
その香りは、政宗から立ち上っていた。

『練り香水って渡来品だ。珍しいからひとつ買ったんだが。季節に合わせてつかってみた』

香料を練りこんだ軟膏と説明されたそれは、成分が体温で蒸散して香るらしい。酒による体温の上昇とともに蒸散が激しくなり強くなっていたらしい香りが、近づいたことで一気にその密度を増す。触れる肩からまとわりついてくるような錯覚。

『いい香りだろう?』

佐助の反応を窺いように、至近距離で一つ目が笑う。近すぎて自分の顔が見える金眼に、しらずごくりと喉が鳴った。
はくはくと、動く口。何をいいたいのか、何をしたいのか、自分ですらわからないままに佐助の手が政宗に伸ばされようとしていた、その時。

『政宗様、そろそろ日が陰ってまいりました――お戻りにならねば、風邪をひかれます』

いつの間に笛を止め近くにきていたのか。
右目が、すぐ脇に控えていた。

政宗はつまらなそうに唇を尖らせていたが、空を見上げれば確かに日は随分と傾いている。春とはいえ、夜は冷える。
ふぅ、とため息一つ漏らしてさっさと上体を起こしてしまった。
一瞬で消えた体温が、実際以上の寒さを佐助に感じさせる。

『Hey,お前ら!partyはこれで終いだ。帰るぜ!』
『『『了解っす。筆頭!』』』


『じゃあな、猿』

ニタリと笑う政宗は、もはやいつもの奥州筆頭の顔をしていた。





たった一度だけの、花見。
その記憶は転生した今でも鮮やかすぎて忘れられない。桜をみれば、あの香りを思い出し、そして、空虚を感じるのだ。

「今更そんなこと言ったってしょうがないって分かってんだけどさ、俺様も案外一途だよねぇ」

空しさに呟き、足を止める。
桜の木の下に佇む佐助に、写真を撮ろうと構えていた観光客はしかめつらをしたが、そんなところにまで配慮してやる心の余裕などない。
漏れる溜息を止められず、空を見上げた。
夜に浮かぶ月が桜に半ば身を潜めつつも、美しく存在を主張する。有明月から朔に近づき細く伸びた月は兜を飾る前立てのよう、鉄紺の空は陣羽織か――
桜と月に、鮮明に蘇る記憶の中で、香りだけが足りない。
勝手に住みついて、消えない記憶は、美しくも切ない。

「竜の旦那って、ひっどいお人だねぇ」

愚痴る佐助の背後で、立ち止まる人の、気配。
ああ、邪魔だって言いに来たのかなと、先ほどしかめつらをした観光客をぼんやり思い出した佐助だが。そのとき、ひゅるりと風が吹く。
とっさに目を覆った佐助に、ほんのりと漂う甘い香り。どこかで嗅いだ、懐かしい香り。

「騒音撒き散らす迷惑な奴らに注意しようとしたら、まさかの相手で。頼まれて呼びに来てやった俺にその態度か……酷いのはどっちかねぇ?なぁ、猿」

まさか、と振り返ったそこには――


滲む視界の向こうで、金色の三日月が笑った。


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飛鳥さんから、お誕生日のお祝いにいただきました;;
ものすごくうれしかったです!
素敵なお話をありがとうございました!!




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