座敷童子はぼくの家に住み着いていた。母屋から見て北側の方、広大な庭に厳めしく建つ、古くは蔵だった建物を住処にしてひっそりと暮らしていた。
 小学校に入学する前の、ぼくの記憶に在る最古の座敷童子。それは真っ赤なワンピースを翻して、逃げるように蔵の中に引っ込んでいく姿のものだ。
蝉が雪崩のように轟き鳴く夏の日、鬼灯の如く燃える赤が目に焼き付いて離れず、なんてことはない夏の日の一幕を強烈に印象付けた。瞬きの間陽に晒された黒髪に、僅かに見えたその肢体。座敷童子は幼いぼくよりもずっと大きく見えて、事実、次の記憶に在る座敷童子もやはりぼくよりも大きかった。
二度目の邂逅を果たした時、座敷童子はやはりあのワンピース(あるいはそれに似たもの)を身に纏い、今度は蔵の前に供えられていた野菜や果物をせっせと中に運び込んでいた。ぼくはその時小学三年生で、座敷童子はクラスの女子よりも大きく、高学年のそれと似た背格好をしていた。遠目にちらちらと動く赤を眺めながらぼくは庭でスイカを食べ、すぐ傍で打ち水をしていた家人は赤色など見えないという風に、ついでに黄色のひまわりの群生に水をやっていた。
 座敷童子は子どもの姿をしている。
座敷童子は子どもにしか見えない。
住み着いた家は裕福になって、家人は座敷童子のために供え物をする。
図書室で目にした妖怪図鑑の内容と一致したことに合点がいき、あの赤が座敷童子であると思ったのはこの時からだ。
 座敷童子はぼくの家に住み着いて何をしているのだろう。
 純粋な疑問と好奇心に少々の暇つぶしと冷やかしを兼ねて、ぼくは退屈な夏の宿題に座敷童子の行動を戯れに記録することにした。
 ○月×日 座敷童子は出てこない。
 ○月×日 夕方、住処の上のほうにある窓に、ちらちらと人影だけが見える。
 ○月×日 朝方家人が置いた供物は、昼前に座敷童子が持っていった。
 ○月×日 供物は野菜や果物に限らず簡易食品も含まれる。毎日置かれるわけでもない。
 ○月×日 座敷童子は出てこない。
 収穫と言えるほどのものは何ひとつ無かったが、まる一日座敷童子の観察に精を出しているわけでもなく、暇を見て思いだしたように筆を走らせているのだから、仕方がないといえば仕方がないのかも知れない。外から眺めているだけでは何ら面白みのない座敷童子の生体に飽きを感じつつあったぼくは、六日目にしてようやく重い腰をあげ、座敷童子の住処を覗いてみることにした。
 蔦の這う白壁に、開かずの間であるかのように重苦しい鉄の扉。座敷童子の住処は暗く、そこだけ手入れを怠っているように好き放題生い茂った草木に囲まれていやに陰鬱だ。あれだけ遠くから眺めていたというのにぼくは扉に触れることさえはじめてで、夏でも氷のようにひやりとするそれに、妖怪絵巻物のような、現世とは違う、形の無い何かおどろおどろしいものがふと頭を過ぎった。取手に手を掛け、扉の向こう側の情景を細く細く広げてゆく。日当たりが極端に悪い場所とはいえ、隙間からするすると流れ出る空気は異様に冷たく、僅かに土の匂いがした。
 ぼくは無言で扉を開け切った。
蔵の中は、外の光を僅かに差し込ませただけできらきらと埃が宙を舞っていた。暗い。目が慣れるのにしばし時間が掛かる。間もなく瞼の裏にちかちかと瞬いた閃光がおさまってまともに中の様子を目にすることが出来た僕は、ソレを捉えてふいに言葉を失った。
「・・・」
 鬼火。
ではない。
テレビがついている。それも、とっくに収拾車に片づけられるようなブラウン管のごついヤツだった。テレビからは単調なデジタル音が流れていて、単調なキャラクターが単調なステージで動き回っている。少し不吉な効果音と共に赤いのが死んだ。暗転した画面からケーブルを辿ると、薄暗いというのに青白く浮かぶ手があった。更に辿ると、遠くでしか見たことのなかった顔が驚きの表情のまま固まっていた。
座敷童子だ。座敷童子は床に寝転がって、きのこや亀を踏み倒す遊びに興じていた。
「・・・なんで?」
 自分でもよくわからないまま、独り言なのか問いかけているのかもあやふやなまま言葉が零れた。近代化された蔵の中にその辺にいる小学生のような座敷童子(?)のくつろぎっぷりに、端的にいえば混乱していた。
 しかし座敷童子ははっとしたように起き上がると口を引き結び、驚くべき素早さでそこに正座した。硬い表情に、僅かだがぼくは馬鹿馬鹿しさを心の果てで抱いていた。
「・・・こ、こんにちは」
 座敷童子(?)は絞り出すようにして、やっとそれだけを言った。
「・・・」
 ぼくは何も返さず扉を閉め、一人首を傾げた。

 座敷童子が果たして座敷童子だったのか、ぼくにはわからなかった。座敷童子(?)はあの邂逅の後も蔵の前に供えられている食料品を中に運び込んでいたし、無論家人も承知の上で黙々とそれらを蔵の前に供えている。一度彼女らが鉢合わせたような格好になった場面を目撃したことがあるが、家人はそれでも見向きもしない。座敷童子(?)だけが難しく口を引き結んで家人を見つめ、諦めたように目を逸らしていた。
アレはなんなのだろう。やっぱり大人には見えないもので、人智を越えていて、この間のやりとりは狐に化かされたのと同じで座敷童子の悪戯だったのだろうか。
 そう考えついたとたんムカムカしてきて、何故ぼくがあんな得体のしれない、人の家に寄生しているだけのイキモノに翻弄されなくてはいけないのかと急速に闘争心が沸き上がって来た。何なの、マリオブラザーズって。座敷童子なら座敷童子らしくおてだまでもしていればいいのに。
 ふつふつと怒りを滾らせながら廊下を進み、その辺に出ていたサンダルを適当につっかけて足早に蔵へ向かった。
あの日から実に一週間が経っていた。一週間も、だった。一週間もあれば蝉は死ぬし朝顔はめまぐるしい成長を見せる。その間、あの糞座敷童子がこの家のどこかで、腑に落ちない思いでいる僕を笑って眺めていたのだとしたら殺す。
 夏も終わりに近づく夜は、静かに五月蠅い。耳鳴りが長いこと続いているかのように鈴虫が鳴き喚き、止んだと思っても余韻が鼓膜を震わせる。昼間に比べれば随分涼しくなったものだが、蔵の周辺は相変わらず年中冷たかった。黒ずんだ木々の間をまだらに月が影を落とし、自分の家ではないような輪郭を浮き出している。
「・・・・・・」
 馬鹿馬鹿しい。
 陰鬱に蔓が巻きついて、黴っぽく、けれど兵役した祖父のような重厚さを失わない佇まい。暗溜まりの中、見上げた蔵は産まれて十数年ずっと目にし続けてきたそれと何も変わらない。もしまた扉を開けた先にふざけた光景が広がっていたら、中にいる座敷童子に拳をくれてやる。
 ぼくは取手に手を掛け、躊躇のひとつもせずに扉を開けた。中は明るい。テレビがついている。またか。馬鹿にするなと拳の行先を探し目を走らせようとするも、濛々と立ち込める白い煙がそれを阻んだ。
 ──なにこれ。
 口の中まで苦くなってくるような焦げくさい臭い。煙幕という単語が頭を過ぎったが、煙の中踊りくねるような動きをする物体を目に留めると、頭の芯がすうと冷えていくような気がしてすぐに引っ込んでいった。
「・・・なにこれ」
 なにをしているんだろう、このイキモノは。
 備え付けられた簡素な台所。異臭と共に煙を吹きだす鍋を前に、慌てふためいている座敷童子(?)の姿に闘争心が萎えていくのを感じた。

「君ってなんなの?」
 異物と共に鍋を水につけることで騒ぎは収拾し、落ちつきを取り戻した座敷童子(・・・)はしおらしく正座して縮こまっていた。
「えっと・・・」
 曖昧な返事をして言葉を濁すだけのイキモノは、どこにでもいる、否、ネジの緩い可笑しな女子にしか見えなかった。今日は赤いワンピースを着ていないが、やはりぼくよりはいくつか年上に見える。年上に見えるからといって敬おうと思える要素は欠片もなく(そもそも年上だから敬うという考えは僕にないのだけど)、無論人智を越えたモノへの畏れもない。見れば見る程その辺にいる草食動物だ。殴ったら人として素直な反応を返すに違いないと思い、心の赴くままにふっくらとした頬を叩いた。
「ッ・・・ぃいったい!!」
 よい音がして、座敷童子ではなかった女は涙ながらに声をあげた。掌に残る痺れが物質としての存在を物語り、この女が人間であることを一層確信させた。
 女は頬を摩りながら、水を孕んだ目で怯えたようにぼくを見上げる。ぼくはすとんとその場に座り、女を見据えた。女が少し僕を見下ろすような格好となったが、別段沸き上がるものはなにも無い。もう、この女に背中をとられたって気にもしないだろう。

「座敷童子かと思った」
「座敷童子・・・」
 含み笑いをしかけた女を鋭く睨みつける。女は真一文字に口を結んで表情を硬くした。

 陰気な建物に未だ異臭を放つ鍋。こいつは魔女だ。
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