「――ところで、どうしたんですか?その傷」

 火神宅から数分、チェーンの定食屋で豚汁定食を食べ終えた【黒子テツヤ】はお茶を啜る。緑茶の渋味が鼻に抜け一息付くと、向かい合って座る火神へそんな質問をした。

 特徴的な眉の上に絆創膏を貼った男は黒子を睨む。彼の前にはハンバーグ定食だった食器達が空になり置いてあった。

「……ちょっとな」

 その声は"本来の自分"とは微量に違う声で、一晩経った今でも慣れない。少しでも似せようと低めに発声するのだが、やはり変だ。これじゃカタギの人間では無いように感じる。

「任侠映画でも見たんですか?」

 同じ事を思ったのか、そうやって冗談を飛ばした黒子はお手洗いへと姿を消した。元々食も身体の線も細い黒子テツヤは食事後に席を立つ事が多い。胃下垂なのだろう。

 丁度黒子と入れ違うタイミングで、待ち合わせしていた青峰がこちらへやって来る。バイクで来たのかライダージャケットを着用し、暑そうに手で顔を扇いでいた。すれ違う瞬間、笑顔で「よぉ、黒子」と声を掛けてきた中学からの知り合いへ首を傾げる。

「悪ィ、B美送ってたらよォ」

 出会い頭早々にジャケットの胸元を掴まれ、強引に身を引き寄せられた褐色肌の男は、眉を怪我した男にドスの効いた声で責められた。

「……火神ィ、どう言う事だ?コレは」

「何したんだ?青峰お前、その傷!!」

 自分のチャームポイント周りが痛々しくなっている事に、細い目を開いた"本人"は驚いている。

「整えようとしたら"何故か"手が滑ったんだよ」

「……剃ったのか?」

 そう聞けば、二股眉毛の下から上目遣いで睨まれる。自分の顔とは言えその迫力にビビった青髪の男は、苦笑いで誤魔化した。突き飛ばされるように手を離され、席に座るように促される。

「何食うか決めろ」

「何だ?その声?マフィアごっこか?」

 そう茶化して着席した青髪の男は、メニューを開き隅から隅まで目を通す。お互い横に"自分"が座っているだけで、この世界に不安定さを感じた。

 隣の褐色肌の男が嬉しそうにメニューを眺めブツブツ呟いている。――眉間の皺が深くて肌だって恐ろしく黒い。もっと細マッチョだと思っていたら意外にガタイが良くて、肩幅が広く腕も太い。これじゃあ女も怖がるよな……。ありとあらゆる方向から自分を客観視すると、イメージと結構違う。でもまぁ、全体のバランスは良かった。【自分観察】を終えた赤毛の男が、グラスに入った氷水に口を付けると黒子が戻って来た。

「おはようございます、青峰君」

「おう」

 返事をしたのは赤毛の男の方で、対象の青毛は自分を無視してメニューを見ている。

「……火神君?」

「何だ?黒子」

 今度はメニューを畳んだ色黒の男が、満面の笑みでそう答えた。担がれていると感じた黒子は不機嫌そうに眉を下げる。それを見た二人はしまったと云う顔になった。嘘が下手なこの巨男達は考えが顔に出やすい。

「オレら入れ替わっちまったんだよ!」

 高校時代の相棒へいきなり事実を告げた青い男は、赤い男に頭をひっ叩かれた。そして顔面を突き合わせてくる火神からガンを飛ばされた青峰は、キョドキョドと視線が泳ぐ。

「……馬鹿にしてるんですか?」

 入れ替わりだなんて"非現実"な話に、黒子は不信の眼差しを向ける。

「……マジな話だ。オレの中にコイツが入ってる」

 火神が横に座るライダージャケットの男を親指で示す。そんな事を信じる筈もない黒子は、面倒臭そうに青峰を見て口を開いた。

「火神君、日向さんの趣味は?」

「何かよく判んねぇ武将のフィギュアでジオラマ作る事だろ?んで、部室に飾ってたら二号が食べちまって、カントクに捨てられてたよなァ!」

 そう言って「二週間はへこんでたよな?」と爆笑を始めた青峰の身体は、火神でなければ知り得ない事を大分細かく話した。

「……その通りです」

 次に火神を見た黒子は、今度は青峰しか知り得ない質問をした。

「青峰君、中学生の頃一回だけボクに女性に関しての恋愛相談をしてきましたよね?内容……覚えてます?」

「恋愛相談じゃねぇだろ、アリャ。さつきがストーカーされてるからどうすりゃボコボコにせず撃退出来るか、テツの知恵を借りただけだ」

 鼻で笑い「結局ボコボコにしたけどな?」と悪気なく言うこの男は、本当に青峰が中に入っているのだろう。若干ずれた質問でカマを掛けたのに、引っ掛からなかった。

 二人を信じる事にした黒子は、大きく息を吐き一昨日の飲み会を思い出す。

「……やっぱり試したんですか?アレ」

「「アレ!??」」

 綺麗にハモった二人は黒子を凝視した。

「隣に座ってた大学生が、入れ替わる方法を喋ってたって……余りにオカルト過ぎるってお二人で笑ってたじゃないですか」

「お前その方法覚えてねぇか!?」

「良かったァ!!戻れるぜ!!」

 意外にも早く解決出来そうな流れへ歓喜した二人は、それぞれ顔を綻ばせ喜んだ。――しかし、黒子は首を横に振る。

「ボク、お手洗い行ってました」

 その言葉に二人はポカンと目を見開き、口まで開いたままとなった。まるで双子のようなそのリアクションに、黒子はグッと笑いを堪える。

「トイレ近過ぎだろ!テツてめぇ!!」

 火神はテーブルを拳で叩き、黒子を怒鳴る。激しく叩いたモンだから、隅にあったカスターセットがガチャンと揺れた。

「オーマイガッ!!」

 青峰は神に祈るように両手を組み合わせてショックを受けていた。いつもとまるで逆なリアクションに、本当に中身が入れ替わったんだなぁと実感出来た黒子テツヤは、項垂れ机に突っ伏す火神と頭を抱えオロオロしている青峰をただ眺めている。

 突如困った二人の間から携帯の呼び出し音が鳴った。曲名はQUEENの【WE WILL ROCK YOU】。癖でジーンズのポケットを探り出した赤毛の男は、隣に居る青毛が胸ポケットから"スライド式携帯"を取り出し「……ハイ」と応答したのを見て複雑な顔をしていた。

『今日は何の日でしょうかぁ?』

「……は?」

 電話の相手は、昨日一線を越えたB美だった。青峰の中の火神は、つい三十分前まで一緒に居たのにもう着信が来る事に驚く。更にいきなり始まったクイズに、意思に反して顔がだらしなくなった。皮肉にもその表情が今までで"一番青峰らしい"。

『大輝忘れたの!?先週から言ってたじゃん!!』

 鼓膜をつんざくようなヒステリックな声に、思わず受話口を耳から離す。

『今日で付き合って七ヶ月なんだよ!?ヒド〜イ!!絶対忘れないでねって言ったじゃん!!』

 電話を握り真顔になった青峰の本体は、助けて欲しそうな顔を隣に向けた。スピーカーホンにした訳でも無いのに相手の声は漏れに漏れて、聞いてしまった黒子までもが真顔でそのガラパゴス携帯を見ていた。彼女のワガママっぷりに大分引いているようだ。

「何かプレゼントしねぇと一週間は不機嫌になるパターンだぜ?」

 隣で呑気に茶を啜る火神がアドバイスをする。

「……何か、って?」

「コンビニで売ってる駄菓子でもプレゼントしてみろよ?殺されるから」

 クツクツ肩で笑う"自分"は、心底嬉しそうで腹が立つ。何で出会って十数時間の女にプレゼントなんか……と、酷く理不尽な気持ちになるのだが、一応向こうにリクエストを募る。

「――欲しいモン、あんの?」

『はぁ!??覚えて無いワケ!?』

 忘れるも何も、中に居る火神はそんな話をした覚えもない。こうやって呆れる程に女王様な相手に振り回されっぱなしだ。

「……わ、悪ィ」

『――犬が欲しいって言ったんだよ!!この間見に行ったじゃん!!』

「いいいい犬ッ!??」

 自身が一番苦手とする生き物の名前を口にされ、挙動不審な声を出してしまった。

『大輝のお部屋、ペット可能だよね?大きい犬飼おうよぉ。本当は虎とか狼が欲しいんだけど、狭くて可哀想だから』

 チラリと横目で赤毛の彼を視界に入れると、必死の形相で首を振っていた。そりゃ犬なんて飼ったらあの狭いながらも頑張ってお洒落にしているワンルームは滅茶滅茶になるだろう。

「……他のにしねぇか?ネックレスとかよォ」

『私金属アレルギーだから、純金しか付けられないよ?』

「――それで良いよ、犬よりはマシだ」

 着信を切り、溜め息を付く。どれだけの出費になるのか……。ネックレスなんかA子にさえ贈った事がない。出来るならソッチの彼女にあげたかった。

 喉の渇きを覚えた爬虫類顔は、隣の彼が飲んでいたコップとお冷やポットを手に取る。氷水を注ぎ一気飲みをしたタイミングで声を掛けられた。

「――ヤッたの?あの女と」

 色黒の男はその台詞にコップの中で飲んでいた水を吹き、僅かに口元から溢していた。咳き込んだ後に目尻に涙を溜め怒鳴った。

「聞き方がストレート過ぎんだよ!!」

「別に良いけど、身体はオレだし」

 黒子は二人が卑猥な話をし出した瞬間に、鞄からタブレットを取り出してゲームを始めていた。この二人の会話は時折デリカシーが欠如している。そういう時の彼はこうやって一人の世界へ逃げるのだ。万が一自分に話を振られても「すみません、聞いていませんでした」で誤魔化せる。

「――青峰、お前こそ昨日の夜何してたんだよ?忙しいって言ってたけど」

 斜め上を見た後に目を伏せた特徴的な眉を持つ男は、肩を鋤かして質問に答えた。

「……ゲームして返した。つまんねぇ女だな、後ろでオレのゲーム観てるだけだぜ?」

 それは真っ赤な嘘だった。ゲームなんかしてないし、彼はA子をテレビのあるリビングにすら通していなかった。更には本日、朝帰り。

 ――かと言って最後まで性行為をした訳では無い。ちょっと性欲を発散させて貰った後に抱き合って寝た。それでも火神大我が聞いたら憤怒して殴り掛かるだろう。だから彼は嘘を付いた。





 ベッドに横たわり、ボンヤリ考え事に耽るA子は昨夜の事を考えていた。

 昨日の火神はおかしかった。悪い部分が明るい彼を飲み込んだみたいだ。思い出したのは【デビルマン】の不動明だ。確か大人しかった彼は、友人に連れられたサバトで悪魔に身体を乗っ取られ、性格が真逆になってしまった。でもそれは漫画の中の話だし、太陽のような男・火神大我がサバトに参加するイメージは持てなかった。

 しかし実際の所、彼の身体は悪魔のような男に乗っ取られたのだから、あながち間違ってはいない。違うのはデビルマンへ変身が出来ない位だ。

「……裸、初めて見たなぁ」

 そう呟いて急に恥ずかしくなる。顔が熱くて、枕に顔を埋めると足をバタバタさせた。玄関での愛撫の後、泣いている身体を抱えられすぐ寝室へ運ばれた。

「火神くん……ここ……」

 下ろされたベッドは潔癖な位白くてフカフカで、身体が沈んだ。良い匂いがする。オリエンタルな芳香剤がベッドサイドに置いてあった。

 天井にある大きく丸い室内灯と自分の間に切なそうな顔をした男が入り込み、逆光で影を落とす。

「……三ヶ月だっけ?よく我慢したよな」

 呟かれた台詞はまるで他人を関心するような言い回しだ。今思えば、この台詞だっておかしい。

 ネルシャツを脱いで投げ捨てた目の前の男は、タンクトップ一枚となった。布越しにも判る胸筋は、息をする度僅かに上下する。そんな風にして胸元を眺めていたA子の口に、また相手の唇が落ちた。優しく食むように唇を合わせ、離してはすぐにくっ付く。洋画のようなそのキスは、彼女の思考を簡単に停止させた。

 手のやり場が無いA子は、頭の下にある黒いカバーが掛かった枕を掴む。きゅっと握る力を込めれば、恥ずかしさが少しだけ薄れた。キスの最中息を止めていた為に、段々と苦しくなって来た。

「はぁ……っ、は……はぁ」

「――さて問題です。男が触られて一番悦ぶ場所はドコでしょう?」

 耳に口が付く程に近い位置から囁かれると、意思に逆らい身体が疼いた。この甘い痺れが"本能"だ。

 今までA子は【火神大我】を、裏表の無い人間だと思っていた。実際それは本当の事だが、事実を知らない彼女は【火神が隠していた裏の顔を見せた】と感じてしまう。でも嫌じゃない……。そうしてA子は誘導された男性器をボクサーパンツの上から握った。

 タンクトップを脱いだ火神の身体は美術館にある彫刻のようだった。逞しい骨格や筋肉の上に貼り付いた肌も、自分なんかよりずっと綺麗だ。触ったらスベスベしていそうで、右手に握る布の感触が途端にイヤらしく感じた。

 彼のあの時の顔が"裏側"に当たるモノだと言うのなら、きっと今の自分も裏側だ。

 ……だって、今の私はこんなにも彼氏である火神を欲しがっている。それは羞恥を越えた欲情で――。直に触った男性器のカタチや熱さと、気持ち良さそうに眉を潜めた火神の表情や息遣いを思い出し、彼女の女性器は履き替えたばかりの下着を濡らしていた。



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