「あぁ、コレ。お前の鍵」

 青毛の男がポケットから取り出したのは、マンションの鍵だった。それは【火神大我】の父親が所有しているモノだ。赤毛の男はテーブルに置かれたソレを眺めて問い質した。

「オレの鍵……?」

 心も身体も【青峰大輝】そのものになった男は、問い掛けに対して鼻で笑い、乾いた嘲笑まで漏らす。

「お前のベッド、寝付き悪ィな。綺麗過ぎて」

「…………」

 赤毛の男が訝しげに眺めているのに気付かない青峰は、服のポケットをバンバンと叩いて"ある物"を探り出した。

「オレのアパートの鍵、見付かんなくてよ。落としたか? 最ッ悪だ……」

「オレが持ってる」

「…………はぁ?」

 ポケットからキーケースを取り出しテーブルに放れば、ガチャリと音を立てて二人の間に落ちた。

「返す。シャワー、出しっぱなしかもな」

 赤毛の男がそう嫌味を添えてやれば、相手は細く鋭い目付きで刺してくる。憎々しい目の前の"コレ"は自分の顔に自分の身体だ。――なのに、まるで他人事のように見てしまう。

 お前はそのナイフのような視線で人でも殺したのか? 冗談じゃねぇよ。犯罪者になるのは、火神……テメェじゃねぇ。"オレ"だ。

「っつーか、用事ねぇならオレ帰るぜ? B美迎えに行かなきゃだ」

 そう言って組んでいた足を戻した青髪の男は、適当な理由でサヨナラしようとする。大袈裟に椅子を引き、わざとらしく立ち上がった。

「オイ、チームの練習……今日だろ?」

 腕を組んだ赤毛が威嚇するような低い声でそう伝えれば、相手はまた鼻で笑う。

「……ストーカーか? 火神クンは」

「行けよ。B美となんか何時でも会えるだろ?」

「テメェには関係ねぇだろ?」

 向かい合う二人を瞳を左右に動かして静観している黒子は、まるで舞台に呼ばれた観客だ。客席から舞台上の修羅場を眺める【傍観者の立場】に居るのだ。

「今日の18時だ、サボんじゃねぇぞ? 迎えに行ってやる」

「火神ィ。お前とデートする気は、ねぇよ」

 カフェらしいお洒落なレンガへ唾を吐いた黒い野蛮人は、靴の底を引き摺るようにしてダラダラ歩いた。デフォルトになった猫背も相まって、一流プレイヤーである事を彷彿とさせない。

「オイ! 火神!!」

 呼び止められた名前は、また彼のモノでは無い。大体、火神はテメェだろ? 混乱する前に思考を中断した青峰大輝は、ダルそうな口調で赤毛を怒った。

「何だよさっきから! おちょくってんのか!?」

「――A子は、もう良いのか……?」

 神妙そうな顔をした赤毛の男が、二股に分かれた眉を上げる。その名前を告げた瞬間、青峰は目元を歪めた。すっかり皺が刻まれた眉間を数回叩き、そして無理矢理にも口角を上げる。

「…………何? ソイツ、オレに惚れてんの?」

 無理に作っただろうその"辛そうな笑顔"を眺め続けた赤毛の男は、小さく溜め息を漏らして視線をテーブルへ落とした。

「そうかもしんねぇな」

「綺麗な乳してんなら、紹介しろ」

 別れを告げる為に上げた片手をゆっくりと下げ、褐色肌の男は姿を消した。

 観客から友人の立場に戻った黒子が赤毛の男を見ると、彼は拳を握りフルフルと震えていた。

「何ッだよありゃ!? オレ普段あんなんなのか!?」

 ガチャンと物が跳ねる程強くテーブルを叩いた赤毛の男は、唇を噛み締める。客観的に見た自分は【傍若無人】【自由奔放】【自意識過剰】と、まぁ酷いモンだった。

「ボクがキミだったら、落ち着いていられる自信が無いですね」

「よく言うぜ」

 頬杖を付き、拗ねた口調で黒子のフォローに言葉を乗せる。その台詞が余りに"火神らしかった"ので、黒子は益々混乱した。

 長い腕を上げた火神が店員へオレンジジュースをオーダーした。「好きなの飲めよ」と奢りめいた言葉を聞いた黒子は、遠慮なく高価なロイヤルミルクティーを頼んだ。

「緑間君が、赤司君にコンタクトを取るそうです」

 差されたストローを回し、氷で鈴の音を奏でた黒子はグラスの中を眺めながら呟いた。空になったオレンジジュースをテーブル中央に寄せていた赤毛の男は、さっきまで心ここに在らずだったのに、その台詞で意識が戻って来たようだ。

「……ホントに、黒幕は赤司なのか?」

「今は、信じるしか無いでしょう」

 適当な言葉で濁したくない黒子テツヤは、誠実な男だ。そんな答えじゃ不安は拭えないが、妙な期待に足元を掬われなくて済む。どちらが良いのかは人それぞれだろう。たまたま青峰大輝と云う男は、後者を重視する人間だった。

 黒子がミルクティーを飲み終わるとほぼ同時に、赤毛の男はぼやいた。

「火神はどこ消えちまったんだ?」

 黒子は頭を捻る。突拍子の無い発想が頭を過り「ハハッ」と笑った赤毛の男は、影の薄い少年に最悪なジョークを告げた。

「案外今度は、犬と入れ替わってたりしてな?」





「……あったま痛ェ。誰だよ、A子って」

 元々低い声を更に低く、喉を鳴らすように呻いた青峰は自室の鍵を開けた。瞬間、鼻に入った香りは普段のモノでは無い。それがこの部屋で一番最初に感じた"大きな違和感"だ。

 違う。この香りは、いや……この体臭は――――火神のだ。

 ゾッとするのと同時に、突如目眩がする程に激しい頭痛が始まった。今まで生きてきた中で経験が無いこの鋭い痛みは、頭の中で何者かが食い荒らしている残酷なイメージを生んだ。

「あ゛あ゙ぁ゙ぁぁぁぁ!!!」

 背を仰け反らせた青峰は、大きく見開いた目の内部から神経が、まるでノコギリで擦り切られているようにリズム良く痛むのを感じた。閉じられない瞳は乾き、涙がすぐにその表面を覆う。

 顔面を包んだ両手は指先に力がこもり、爪が皮膚へ食い込んだ。口からは飲み込めない涎が垂れ流され、顎から落ちた。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!

 こめかみをピックで突き刺し、何者かが頭蓋骨の中へ侵入した。脳を縄で縛り、一気に締め付ける。内部は掻き乱されて、ぐじゃぐじゃになったソコを何者かは再び再構築しようとするのか、針で縫い始めた。

「や゙め゙でぐれぇぇぇぇぇ!!!」

 オレの頭はおままごとの材料じゃねぇ!! 玄関のドアに額を打ち付けて、痛みで相殺しようとする。コチラの痛みが内部の苦痛を和らげてくれる気がしたからだ。大きく開いた口からは咆哮と唾液が溢れ、目からは涙が決壊した。

「い゙や゙だぁぁぁぁぁぁ!!」

 死にたくねぇよ……! でもこの痛みが永遠に続くのなら、いっそ一思いに救われない肉体を捨てた方が楽かもしれない。

 ネガティブに思考が支配されると、少しだけ痛みが和らいだ。フラフラと頭を押さえながらワンルームへと向かう。足を踏み出す度に頭の中がシェイクされ、目眩がする。

 壁に手を当て老人のようにヨタヨタとしか歩けない。痛みで啜れない鼻水により鼻腔が塞がれ、呼吸も苦しい。そして身体が回転するように浮き、天地の感覚が判らなくなった瞬間に青峰はフローリングへ突っ伏した。

 ――……こんな寂しい場所で、人生が終わるような気がした。玄関の鍵を閉め忘れた事を、今更ながらに思い出す。

 まぁ、丁度良い……。誰か見付けてくれよ。肉体が朽ち果て、皮膚が溶ける前に。誰か…………。

  ::  ::  ::

 玄関のベルが自分を呼び出す。チラリチラリと黒目だけを動かして左右を確認した青毛の男は、顔がガビガビになっている事に驚く。

「――オレ、何して……?」

 目覚めた男は、昨夜からの記憶が無い。最後にある記憶はB美の笑顔だけで、酒に溺れたようにその後の言動が全て抜け落ちていた。頭の痛みも昨夜に比べたら大分引いたが、何故か額がジンジンする。触るとビリッとした痛みが走り、目を強く瞑った。瘤が出来ている。腫れが酷く、熱を持っているようだ。

 再度玄関のベルが鳴り、青毛の男は汗でベタベタな身体を引き摺るように起き上がる。

 カチャリと玄関が開き、ソコから顔を覗かせたのは紛れもない"自分の身体"……――。燃えるような赤毛のバイカラーが目に付いた。

「よォ、迎えに来たぜ?」

「――何がだよ?」

 "自分の身体"がぶっ倒れていた事すら気に止めない赤毛の男は、面倒臭そう且つ腹立たしそうに喋る。

「はァ? チームの練習だよ! すっとぼけんな、朝言っただろ?」

「……悪ィ。記憶がねェ」

「馬鹿にしてんのか?」

「オレが聞きてェよ。何でオレ、お前の部屋に居んの?」

 来訪者が一歩下がって青毛の男を見る。そうして顎に手をあて観察を始めるのだが、朝、彼に纏っていたどす黒い自信が消えている。

「……お前、火神か?」

「じゃあ、お前は誰なんだよ?」

 混乱した両者は、その場に居たたまれなくなる。先に行動を催促したのは赤毛の男だった。

「早くしろよ、バスケしに行くんだよ。今から」

 頭を掻き、涙で顔がドロドロになっていた青髪の男は、ひとまず顔を洗わせて欲しいと懇願したのだった。





 プロの練習は、高校時代の部活と殆ど変わりなかった。唯一違うのは、ハンドリングにストレッチとパス回し。そんな基礎や準備に一時間も費やしたのだった。チームで最年長は三十代だ。その歳で現役は素晴らしいが、所詮は国内で燻っている選手だ。申し訳無く思うが、世界を目指す【火神大我】は高齢の選手を下に見てしまう。それが慢心にならぬよう、気を付けなくてはならない。

「どうだ? 火神、高校時代が懐かしいだろ?」

 部外者にも関わらず、赤毛の男はアリーナのコートへ降りた。監督やコーチが来るまで自主練となった僅かな間に、こうやって戸惑う"火神"へ声を掛けた。

「…………全然動かねぇ。お前の身体……。軽いのによォ」

 褐色肌に筋肉質な男がボールを片手で放るのだが、ソレはリングを跳ねどこかへバウンドする。

「そりゃ、オレの身体はレーシングカーみたいなモンだからな?」

 肩を震わせおちょくる赤毛の男は、手に持っている1L紙パックの中身をストローで吸う。どうでも良いが、中身はお茶のようだ。

「いいモン見せてやる」

「フォームレスシュートでもするのか?」

 火神が青峰大輝独特の技法を口にするのだが、どうやらソレは今回魅せてくれないらしい。

「馬ァ鹿。そりゃお前の身体じゃ出来ねぇよ」

 つれない返事をした赤毛の男は、飲んでいた紙パックを床に置いた。

「垂直跳び、最高ナンボだった?」

「……78cmだ」

 聞かれた男は数字に自信がないのか、呟くように記録を教えた。

「まずまずな数字じゃねぇか。NBAレベルだ」

 何度か小さくジャンプをした赤毛の男は、アリーナの壁に手を伸ばし立った状態での到達点を測る。火神大我の腕は長く、少し力を入れて跳べばプロ用のネットにも触れる。

 男は二三歩下がり、僅かな助走距離を付けた。それでも歩幅は大きく、フリースローライン近くまで下がっていた。

「利き足、左だったな?」

 そう確認した男は大きく助走を付けると、ゴール下で思い切り地面を蹴った。"バスケに愛された男"は、火神の左足で――跳躍した。

 男の手のひらはボードを越え、頭はリングスレスレまで届く。目視でさえ飛距離が1Mは越えていると判る。リングボードの上部を掴めば、天井から伸びたソレは激しく軋んだ。そのパフォーマンスに、チームの全員が一点を注視し息を飲んでいた。

 ズダンッと激しい音を立て、赤毛の男は地面に着地する。ビリビリと足の甲が痺れ、苦い顔をしていたのだが、直ぐに腰を曲げ紙パックを手に取った。

「こんだけ高く跳ぶと、足が痺れるんだな」

 ストローを噛みながら、赤毛の男はクツクツと肩で笑った。

「…………嘘だ」

 自分の跳躍記録は常に70センチ台で、調子が良ければ80センチに届く勢いだ。世界のプレイヤーに目を向けても跳んでいる方だし、高く跳ぶ事が一番の自慢だった。国内なら群を抜いて高い記録を保持していた。――それを、この男は一ヶ月程で超越してしまった。

「火神ィ……、お前今まで何してたんだ?」

「青峰お前、自分の身体でもそんなに跳べねぇだろ!? 何でオレの身体で……――」

 言って途中で気付く。もし、自分の身体がそこまでのポテンシャルを備えていたと言うのなら……。最高峰に高性能なエンジンを積んでいても、ドライバーがド素人だったらそんなの意味が無い。目を開いた青毛の男は、目の前の天才を――人の身体まで使いこなしてしまう化け物へ驚愕の眼差しを向けた。

「オレのその身体は、筋肉の付け方が下手だ。付けようにも今更遅ェ」

 鍛えるのに最も適した少年期を"自堕落"で過ごした青峰大輝は、『最高のコンディション』と言えない身体になっていた。だから彼は使い方を極めるしか無かった。ただソレだけだ。今更中学から高校生時代を恨んでも仕方無い。

「……謙遜なんて、キャラじゃねぇだろ?」

 青毛の男は下を向き、"自分の身体"から視線を外す。肉体が入れ替わって、初めて知った。跳躍力しか秀でていない火神大我の身体に比べたら、青峰大輝の肉体は素晴らしい。軽いし、しなやか。パワーもあれば、ステアリングも最高だ。――このまま、この身体のまま……バスケが出来れば……――。そう考えた【火神大我】は、頭を振って考えを否定する。

「高く跳ぶのなんてな、正しい跳び方さえ知ってりゃ中学生でも出来んだぜ?」

「……オレは、跳び方が下手だって言うのか!?」

 必死な顔に、必死な口振り。自尊心を保つのに必死な"火神"は、天才へとそう問いた。
 答えは聞かなくても分かる。
 でもソレを認めたら、自分への自信は粉々になる。
 自信が無くなれば、光は失われ暗闇に取り残される。
 着地点見えない暗闇では、迂闊に足を踏み出せない。

「こんだけ跳べりゃ、アメリカまで行ってホットドッグ屋にならなくて済みそうだな?」

 皮肉を飛ばした赤毛の男は、噛んで潰したストローからお茶を吸う。その些かの希望が見える激励に対し、青毛の男は指先が白くなる程に拳を握る。そして春から始まる新たなステージに恐縮してしまう。

「――ホットドッグは……ライバルが沢山居る」

「じゃあジェラートでも売れよ」

 意地悪く笑った"天才"は、チームの皆が視線を送っているのに気付かない振りをしながら、アリーナから姿を消す。丁度飲み終えたお茶のパックは、施設のゴミ箱にシュートした。





「――お前から連絡があるなんて、驚いたのだよ」

 とある巨大複合型ショッピングセンターへ呼び出された緑間真太郎は、二階にあるカフェラウンジに到着した。待ち合わせた相手を窓際の席で見付けた時、変わらぬその姿に背筋が寒くなった。着席を促され、向かい合って座る。

 緑間はその恐怖に似た感情を悟られぬよう、腕を組み威厳を見せるのだが、向かい合った人物は口振りも平常そのものだ。

「携帯も繋がらない国に居たからね?」

 緑間を呼び出した男の隣には、巨体を揺らしケーキをムシャムシャ食す【また別の男】が居る。紫色した長い髪を垂らし、同じ動作を繰り返す度に皿の中のケーキは減っていく。

「…………話って、何なのだよ」

 緑間は口を開き、用件を尋ねた。

「まぁ、そう急がなくても良いだろう?」

「オレは早く解決させたい事案がある」

 ふぅ……と溜め息を吐いた男は、緑間を懐かしむように野次った。

「せっかちなのは相変わらずだ」

 コイツはオレをよく知っている。

 下手したら、緑間真太郎本人よりも、深く深く知っているのかもしれない。目の前の男を見ていると、気味が悪い考えすら浮かんでしまう。

「会いたかった。……いや、問い詰めたかったのだよ。――赤司」

 赤司征十朗の向こう側。テラスから覗いた夕日が直射日光となり、視神経を刺激する。緑間は目蓋を細め、光量を調整した。

「何をだい? ……真太郎?」

 緑間の前に座る赤司は、昔から左右の瞳色が違う。そんな特徴的な目で半月を描くと、愉快そうに口角を上げた。

 上手くなったその笑顔は、人間味に溢れている。それが緑間からすれば、不気味で仕方無かった……――。



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