店外に居ても内部の喧騒が聞こえる程、賑やかな居酒屋。その小さな暖簾を潜り、2M近い巨体を真っ直ぐにしたその男は、自分の胸元までしかない女性店員に「連れが来ている筈なんですけど。落ち着いた金髪の、背が高い……」と、待ち人の特徴を告げた。

 数年振りに『会って話がしたい』なんて呼び出された男は、筋肉質な身体に似合わないスーツを着用していた。【大坪泰介】。彼は数年前に防衛大学を卒業し、現在は自衛隊に属している。

 熊のような体格をした男は、卓に通されるや否や灰皿に乗っかっていた煙草の火を勝手に捻り消す。

「久し振りだな、宮地」

 既に座っていた金髪の男は、丁度吸おうと手を伸ばしたまま、挨拶代わりの嫌味を返した。

「相変わらず、堅物なんだな」

 宮地がワイシャツの胸ポケットから煙草を取り出し一本を口に喰わえると、向かいに座った大坪は咳払いをした。

「禁煙しろ」

「休憩すんのに必要なんだよ、会社で」

 その返事に何も返せない大坪は、眉間の皺を深くしてつまらなそうな顔をする。テーブルに載った二つの生ビールは表面が汗ばみ、泡が消えていた。先に乾杯を始めていた宮地は、恐い顔の大坪に話題を振った。

「しかしまぁ、"久しぶり"って言葉も便利だな? 会うのが十年振りでも、一ヶ月前でも、同じ言葉で片付く」

 二年振りに会った二人は、店の一番奥にある小さなテーブルに座る。週末の今日は、客入りが多いのか周りのテーブルは埋まり、あちらこちらで賑やかな宴が開催されていた。

 注意したにも関わらず煙草に火を付けた宮地は、高校の時からこうだった。人の言う事を聞かない、左から右に流す。そして笑顔で毒を吐く。

「それなら宮地、二年振りに会った人間には何て言えば良いんだ?」

 プカリと煙を吐いた宮地は、斜め上に視線を向けると暫く考えた。そうして、ヂリヂリになった煙草の先を灰皿に落とした後に綺麗な顔をニヤけさせた。

「――……"煙草は止めたのか?"」

 不満気な顔をしていた大坪は、すぐに口角だけを上げ、堅苦しく絞めていたネクタイを緩めながら宮地へ皮肉をぶつけた。

「そりゃあ、二年後が楽しみだ」





 その日の収録は映像にしてしまえばたった数十秒の筈なのに、リテイクに溢れ三時間にも及んだ。誰よりも早く支度を終えたB美は、早くこの場から立ち去りたいとだけ考えていた。早く帰って青峰に会って、それで頭を撫でられて……――。そこで彼女は、思考と足の両方を止めた。

 自分が会いたがっているのは、果たして"どっち"なのだろうか……?

 頭に浮かぶのは青毛で褐色肌。目付きが鋭い癖に、常に倦怠感溢れている男の筈だ。――なのに、思考の端にぼんやり写り込むのは、赤と黒の硬い髪質に二股眉毛。パッチリした逆三角形の瞳が、勝ち気な性格を現しているような男。

 赤毛の中には、自分と交際を続ける【青峰大輝】が居ると言う。風邪を引いて頼る人間無く自分の元へ来て、大きな身体を丸め泣いていた。外のネオンにより青く照らされた彼は、自分なんかよりずっと弱い人間に見えた。面倒臭がり、大雑把に傍若無人。……でも本当は不器用で、変化の全てに怯えている。

 そして現在彼氏の中には【火神大我】と言う人物が居る。彼もまた、誰からも愛されないと嘆いていた。『愛してる』なんて言葉を、さも簡単に告げる情熱的な性格だ。

 廊下に立ち尽くし答えが出ないB美を、後ろから来た女性ダンサーが追い越す。肩がぶつかり変な声が出たのだが、相手は何も言わずに過ぎ去った。困ったように眉を下げたB美は、無意識に溜め息を吐く。

 すると背後から爽やかな、それでいて耳馴染みの良い声が聞こえた。

「こんなトコに居たんスか!」

 声の主に検討が付いたA子は、面倒そうに振り返る。そこには予想通りの背が高い癖に顔が小さい、"恐ろしくスタイルの良い男"が立っていた。

「どっか飲みに行きましょ? 打ち上げっス」

 長い腕を組んだ男が壁に寄り掛かった瞬間、サラサラの髪が流れる。口振りからしてデートに誘っているようだ。話題沸騰中のモデル様とスキャンダルを引き起こすつもりも無いB美は、誘いを拒否した。

「……嫌、そんな暇無い」

「時間は作るモノっスよ?」

 腕に嵌めた高そうな時計をトントンと叩いた黄瀬は、自慢のスマイルを見せる。綺麗な唇からは整った歯が覗く。

「馬鹿じゃないの?」

 突き放された黄瀬は『そう来たか』と言いたげな顔をし、強気な彼女を鼻で笑った。

「アンタが一番可愛いから、誘うんだよ」

 先に男が口にしたのは、決め台詞に似た言葉だった。しかしB美は、それにさえ顔を綻ばせたりしない。

「外見でしか人を見ないの? アンタらモデルは」

 プライドの高い女は、三時間完璧なダンスを披露した黄瀬へ対抗心に似た何かを燃やしている。越えられない憧れは、やがて憎しみに変わるだろう。

「オレが見てるのは、その向こうにある努力なんだけど」

 彼女の中で憎しみの対象となった黄瀬は、怯まずに口を動かし続ける。

「何もしないで可愛い女なんか、ドラマにしか出て来ないでしょ?」

+ + +

 男は知っている。

 綺麗な子程、見た目に関して並々ならぬ努力しているのだと。――何故ならば、彼もまた努力をしているからだ。

 ストイックな食事制限に、週に四回はジム通い。暇があればリンパのマッサージ。洗面台には周りが引く位の化粧品が並ぶ。高い美容院にも、更に高額なエステにも通い続ける。多忙な時期でも、睡眠の質には気を遣う。

 その対価がこの容姿だ。だから目の前に立つ少女が、努力の末にその対価として美しさを身に纏っている事を――男は知っている。

+ + +

「……私、彼氏居るから」

 そう言って踵を返したB美は、きっと早く離れたいのだろう。自分の中で輝いていた"ダンスを愛するプライド"を滅茶滅茶に壊した【黄瀬涼太】から。

「――オレが本気出したら、アンタなんか1ヶ月で落とせる」

 言葉の意図を読みたくないB美は、踏み出した足を止め、愛しい相手を思い浮かべた。――細い眉を吊り上げながら、勝ち気強そうにいつも鼻で笑う。バランスの良い筋肉を覆うあの褐色肌は、健康的で色っぽい。

 そして彼の低い声が好きだ。耳から入ったあの声が、真っ直ぐ下に降りて彼女の心臓を掴む。更に【青峰大輝】の声は、時折ソコを過ぎて下腹部を揺さぶる事だってある。

「勝てる訳無いじゃん。相当良い男なんだから」

 女は強い眼差しを黄瀬に向ける。

 ――そうだ。あの男は"私の理想"だ。そう強く想えば、きっと気持ちは届く。ただ身体が疼き寂しくなったり、熱を出さなくたって――男は戻って来る。

+ + +

「――……オレが今まで勝てなかったのは、一人だけだった」

 そう言ってB美を視線で捕らえた黄瀬も、酷く傲慢で、恐ろしく負けず嫌いだ。優しく微笑めばすぐ手に落ちる女に、興味なんか無い。ましてや、それが他人の女だったら尚更拒まれて欲しい……――。

 欲しいモノが思いのまま手に入る男は、何時しか【歪んだハンター】へと変化していた。

 そんな負けず嫌いな男は、彼女と交際している相手が【唯一自分を負かし続けて来た男】である事を知らない。

 そうやって黄瀬は、偶然にもまた"その男"へ勝負を挑んでいるのだった。





「……元に戻る方法を探すのだよ」

 一番最初に部屋に流れる沈黙を打ち破ったのは、眼鏡の男だった。

「でも、現状じゃ八方塞がりです。噂の出所も掴めないし」

 今度は色素も影も薄い少年が、そう反論をする。確かにどう動こうにも情報が少な過ぎる。少なくとも噂の出所を知り、中心に居る人物もしくは団体へコンタクトを取らなければだ。闇雲に動くのは得策では無い。

 赤毛の男は、隣に座る"自分"を見て思わずゾッとした。苦悶の表情をした相手の鼻から、血が滴り落ちている。

「…………火神、なぁ。お前鼻血……――」

 そう指摘された褐色肌の男は、指先で鼻の下を触り「またか……」と興味無さそうな口調で呟く。しかし、額には汗が滲み出ている。

「…………大丈、夫だ」

 安心させたいのか、はたまた面倒なのか、青毛の男は皆にそう告げる。

「火神君、無理はしない方が良い」

 不安気な顔をした黒子は、苦しそうな友人の様子を眺め立ち上がった。

「薬……飲めば、平気だ」

 近くに寄った黒子の手を取り、フラリと立ち上がった。その姿が如何にも病人らしくて、赤毛の男は心配そうに問う。

「薬って何だよ? オイ! 火神!」

 ティッシュで鼻を押さえ止血をする青毛の男は、黒子に介抱されながらキッチンへ向かおうとした。緑間はその丸まった背中へ質問を投げる。

「――火神、頭痛はするか?」

「…………割れそうだ」

 その答えを聞いた黒子は、緑間が青峰へ告げた台詞を思い出し、大声を出していた。

「何でもっと早く言わないんだ!!」

「火神! オレの身体だぞ!!」

 そして元の持ち主が悲鳴に似た声で罵声を飛ばし、ソファーから立ち上がる。彼からしたら身体が戻った時に脳の形が変わっているなんて、バッドエンド以外の何物でもない。

「…………うるせぇ騒ぐな、頭に響く」

 唯一座っている緑間は、額を押さえ呻いている青峰の後ろ姿へアドバイスをしてやった。

「早く鎮痛剤を飲むのだよ。痛みを和らげるのが先決だ」

 フラフラとキッチンへ消えた"自分の姿"を見送った赤毛の男は、立ち上がったままに緑間へ怒りの矛先を向けた。人はソレを八つ当たりと言うのだが、そんなの――余裕が無い彼には関係無い。

「どうなってんだよ緑間ァ!! これじゃオレら死んじまうだろ!!」

「オレに聞くな! 本人に直接聞くしか無いのだよ!」

 悲痛なその叫びに、毅然とした態度で接する緑間は、赤毛の男が白くなる程に握った拳を見つめながら、"本題"を話し始める。彼が皆を集めたのは、この為だ。

「…………噂を流した人物を知っているのだよ」

「――誰だよ、言えよ」

 赤色に包まれた瞳孔は、僅かに開いていた。その位に興奮した赤毛の男は、怒りと期待で肩が震えた。

「お前らもよく知っている男だ」

 そのフォーカスの合わない答えに、赤毛の男は苛立ちを抱えた。しかしそれと同時に、世間の狭さ――いや、偶然具合に恐怖を抱く。その恐怖に飲み込まれないよう、必死に自制した。

「オレら全員の……知り合いか?」

「こんなトリッキーな事を考える奴……一人しか居ないのだよ」

「勿体ぶってんじゃねぇよ!!」

 緑間に向けて怒号を飛ばした赤毛の男は、怒りで腕までもが震えた。噂の中心に居る人物が誰だか判ったその時は、地上の果てまでも追い詰め、殺めてしまいそうだ。

「……オレは、中学の時から似たような事を聞かされていた」

 赤毛の男の震えが微量ながらに止まる。――中学から付き合いがあり、四人共通の知り合いとなれば、一気に数が絞られた。ここまで来れば、大方の予想だって付く。更に緑間は揺るぎ無いヒントを与えた。

「――将棋を差しながらな」

 その一言で遂に人物を悟った赤毛の男は、目を見開き驚きを露にした。そうして厚みのある唇から、対象の人物名を紡いだ。

「――……赤、司……?」





 成田空港。多くの国際線が飛び交うココに、一人の長身が立ち尽くしている。【第三ターミナル出口】と書かれた自動ドアの前でぼんやり佇めば、ドアからは風貌様々な人が出て来た。

 男のその紫色した髪の毛に日本人離れした巨体は、人混みの中でもよく目立つ。出迎えを頼んでいた張本人は、大きなキャリーバッグを引きながら美しく澄んだ声で彼に話掛けた。

「待たせたね? 敦」

「……赤ちん、痩せた?」

 懐かしいあだ名で呼ばれた【赤司征十郎】は、ほんの少し痩けた頬を擦りながら口元だけを微笑ませた。

「そりゃあ、治安が良いとは言えない場所に居たんだ。心労で痩せもするよ」

 立ったままの紫原を追い越し、キャリーを引き歩く赤司は笑ったままだ。彼が国外の、治安の良くないアジア圏に居たのには理由があった。

「ボランティアなんて、よく出来るよね〜?」

 【紫原敦】の腑抜けた声が背中へ刺さる。

「ボクにとっては都合が良いんだ」

 赤司は口だけを笑わせたままに「でも、全然駄目だった。失敗ばかりだ……」と呟く。

「ところでさぁ、赤ちん」

「何だい? 敦」

 赤司がターミナル口から出て来たのは最後の方で、もう周りには誰も居ない。数名がチラホラとベンチに腰掛けている。ガラガラに近いロビーは、どこか不気味でもある。

「――何でオレなの?」

 "何で"と"オレ"の間に省略された疑問は【帰国する際に呼び出し、頼るのは】で間違いないだろう。赤司はキャリーを引きながら質問に答えた。

「理由は二つある。一つは、敦があまり人のする事に首を突っ込まない性格だからさ」

「もう一つは?」

 カラリ……とキャリーバッグを止めた赤司は、上半身を捻り紫原を視界に入れる。そうして相も変わらずお間抜けな面をしているその長身男へ、二つ目の理由を告げてやった。

「……待ち合わせをするのに、よく目立つ」



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