洗った事があるかも分からない毛布で肩までを隠した女は、ソレに鼻を当てニコニコしだす。その奇妙な動作を見た赤毛の男は、恥ずかしそうに注意する。

「匂い嗅ぐなよ」

「火神君の匂いする」

 嬉しそうに目を細める少女を見ると、自分まで口角が上がってしまう。「匂い、するか?」と自分も毛布を嗅ぐのだが、ほんの少し雄臭いだけで、喜ぶような香りはしなかった。

「入れ替わる前から洗ってねぇんだけどな?」

 A子は、その男の衛生観念に眉を困らせ顔から毛布を離した。それを見た火神はハハハ……と、渇いた笑いで誤魔化す。更に誤魔化しを図るのに、今度は毛布ごと少女を抱き締める。汗が引いた身体は表面が冷たく、A子の体温がよく伝わった。

「……もっと火神君の匂いする」

「お前、匂いフェチかよ?」

 カラカラした笑い声を上げ、ふんわりと甘い匂いがする女の髪に鼻を埋める。抱き締めた少女を"地味"と言っては聞こえも悪いが、この清楚な香りはA子によく似合う。背中に手が回り、身体をより強く寄せられた。

 そのまま抱き合っていると、来客を知らせるベルが鳴る。忙しい日だ……と不機嫌に口を曲げA子から離れた赤毛の男は、先程床に脱ぎ捨てた下着を履き直す。裸のままにオロオロする少女は、再度毛布で素肌を隠し、床に投げ出された服に手を伸ばす。

「どうせ何かの集金だろ、そのままで居ろよ。また脱がすのも面倒なんだよ」

 恥じらいを持って目を伏せた相手の頭を軽く叩きながら近くに座り直す。そして、まるで恋人のように額へ軽いキスをしてやった。タイプには程遠いのに、何故か可愛く見えたA子の頭を乱雑に撫で、下着一枚でリビングから立つ。

 素足のまま短い廊下を通り、スコープで来客を確認すればそこに立つ相手は業者では無かった。――それ所か、今一番会ってはマズイ男が立ちんぼしていた。

 ドアの向こうから「居るんだろ?」と在室を確認され、舌打ちをした赤毛の男は巧く誤魔化すつもりで居た。

 僅かに玄関を開け、隙間から肩から上だけを出し来客と対峙する。褐色肌の男が手を上げ「よぉ」と、気楽な挨拶をした。そうしてタイミング悪くやって来たその男は、自分の横に居るもう一人へ声を掛ける。

「ホラな、黒子? コイツ寝てたろ?」

「裸で寝るんですか……。キミ達は」

 呆れた顔をした黒子テツヤは、ワイルド過ぎる格好での出迎えにジットリした眼差しを向けたのだった。

「あ、あぁ……。寝起きだ、頭……回んねぇからな」

 しどろもどろな口調は逆に寝起きである事に真実味を持たせ、青毛の男と色素薄い少年は違和感すら持たなかった。

「お邪魔してぇんだけど?」

「部屋、とっ散らかってっから……別なトコ行こうぜ? 晩飯まだだし……」

 玄関を軽く閉めて場所を移す事を提案するのだが、また移動するのが面倒な来訪者は閉まりかけたドアを掴み、強引にも開け放つ。掃除もせずに郵便物や靴で乱雑な玄関に、パンツ一枚の"自分"が立ち竦む光景は、きっと間抜けに見えるだろう。

「部屋が汚いのは、いつもだろ」

 悲惨な玄関をジロリと眺めた青毛の男は、向かい合った相手の雑な性格を批難した。

 しかし、玄関に揃えて置いてある女モノの靴が目に付いた瞬間に、青毛の男は固まった。それは、その華奢で飾りっ気少ない靴に見覚えがあったからだ。

 ――だって……彼が以前ソレを見たのはA子を初めて自宅に呼んだ時で、近くにあった自分のスニーカーと比べてその小ささに色々考えたんだから……――。

 そうなれば、今目の前に居る家主が裸で居るのは問題だ。【裸で一体、何をしていたんだ……?】そう勘ぐってもおかしくは無い。

「……部屋、見せろよ」

 少しトーンが低くなった来訪者の目線を辿れば、女モノの靴がある。唾を飲んだ家主は、いよいよ以て腹を括る覚悟をした。

「見たって、良い事何もねぇぞ」

「良いから見せろっつてんだよ」

「――……」

 顔を青くし黙り込む"自分"を押し退け、強引にも侵入する事にした青毛の男は、嫌な予感が外れる事を願う。

 しかし――神は時を巻き戻せないし、既成の事実をねじ曲げる事もしない。ワンルームに居る少女を見た瞬間に絶望が全身を襲い、青毛の男は入り口の燦に凭れてしまう。泣きそうな顔したA子が胸元を隠すのだが、その行動が生々しさを主張していた。

 後から入ってきた黒子は、女が裸でベッドに居る光景に驚き、息を飲んで固まる。それでも表情乏しい彼の顔に大きな変化は見られない。

「何してたんだよ? そんな格好で」

 青毛の男は廊下側へ振り返り、バツ悪そうに首の後ろを掻く赤毛の男に質問をする。――いや……これは"質問"では無い。只の確認であり威嚇だ。何をしていたのかなんて、そんなの二人の格好を見れば嫌でも判る。さっきまで和やかだった室内には、来訪者の怒りによりビリビリとした緊張が走る。

「何してたって聞いてんだよ!!!」

 眉を怒らせ、眉間の皺をより深くした青毛の男は、玄関に立ち尽くす相手に向かって激しく怒鳴った。きっと男が衣服を着ていたら、直ぐ様襟首を掴み、殴っていただろう。

「火神君! 近所迷惑です!」

 黒子はいきなりに大声を出した友人を宥める為、自身の身体を盾に挙動を止めようとする。目の前で腕を広げ仁王立ちをする【元相棒】の姿に、"青峰の内部に居る男"はそれ以上の進撃を止めた。

「火神……その、つい……」

 怒鳴られた赤毛の男は『誘われたから……』と言いそうになり、口を結んだ。

「……つい、だから何だよ? "悪ィ"ってか?」

 ギシリと廊下のフローリングが軋む。ワンルームと廊下の境目に立った褐色肌の男は、未だに玄関で立ったままの家主を睨み、唾が飛ぶほどに怒鳴り付けた。

「そう思ってんなら最初からすんじゃねぇよ!!!」

「私がお願いしたの!!」

 背後から聞こえた力強い声に、今度はソチラを振り向いた青毛の男は、目を瞑り涙を落とすA子に向かって、声量とトーンを落としたままに言葉を吐く。

「……A子、お前は黙ってろ」

「――ごめんなさい。駄目だ、嫌だって……そう言われたのに……私、火神君の傍に居たくて……」

 A子の最後の言葉が頭に届いたその瞬間【火神大我】の意識半分が、音を立てて崩れた。

「――……何だよソレ? それじゃ、オレは何なんだよ? オレじゃ駄目なのかよ!!」

 青毛の男は怒りに任せ少女に質問を浴びせる。返答無い質問は矢継ぎ早に繰り出され、褐色肌の男から余裕を奪っていく。

 ワンルームへ繋がる入り口。その僅かなスペースからそれを見た赤毛の男は、玄関から急いだ。途中に立ったまま傍観する黒子テツヤを押し退け、二人の元へ駆け寄る。

「違う火神! ソイツが嫌がってるのは、オレの身体だ!」

 飛び出したその事実に目を見開いた青毛の男は、グッと眉を下げて泣き出しそうな顔をした。

「――じゃあ、どうしろって言うんだよ……? これじゃ、オレはA子に何もしてやれねぇだろ……!? 只の邪魔者じゃねぇか!!」

 膝から崩れ、もう立ち上がる気力すら無くした【火神大我】は、希望を失った。これじゃまるで、自分は"意地悪な継母"じゃないか――。王子様になりたい男は、自身がおとぎ話に出る二人を引き裂く【試練】でしか無い事へ絶望した。

「…………ごめんなさい、火神君……。ごめんなさい」

 両手で顔を覆い、自分の置かれた状況に混乱したA子は涙を流した。白い肩が震え、手のひらから隙間見える顔面は真っ赤に染まっている。

「お前が謝る事じゃねぇよ」

 赤毛の男は泣き伏せる少女に、乱暴な口調で言葉を投げる。そして、ベッドの前で大きな背中を丸めて動かない"自分"の近くへ座り、胡座を掻いた。

「火神ィ。お前さぁ……言う事が自分勝手過ぎんだよ」

 座り込んだまま動かない青毛の男は、肩を震わせ始めた。その姿は酷くみっともなく、赤毛は深く息を吐いた。

「仕方ねぇだろ。見た目が変わっちまったんだから……。少しは女の身にもなってやれよ」

 そうやってフォロー下手ながらに諭すのだが、肩に置いた手を払われる。舌打ちした赤毛の男は、胡座のまま膝で頬杖を付いた。

 目の前の修羅場に、ワンルームの入り口で唖然とした黒子テツヤは、持ち前の影の薄さを駆使し"傍観者"を貫こうとした。――のだが、ポケットの中の携帯が彼を呼び出し、ハッとする。

「あ……あの、今日は緑間君を呼びたいんですが……。その……」

 ココに呼んで良いかを問われ、家主は断りの台詞を告げた。

「呼べねぇよ、この部屋には。狭いだろ」

 些かながら困った顔をした黒子へ、青毛の男が低い声で代替案を提示する。

「……オレん家だ。緑間ソコに呼べ、黒子」

 結局ソレしか方法が無さそうなので、黒子は携帯を握ったままに玄関の方を指差す。

「ボク、電話して来ます。えっと……火神君達も……着替えたいでしょうし」

 今度は表情ひとつ変えない黒子は、未だ毛布で肌を隠すA子を気遣う。それと同時に、赤毛の男はようやく床に投げていた衣服を着始めた。

「黒子、青峰。お前らは二人で先行ってろ。オレ、コイツ送ってくから」

 ジーンズのポケットからマンションの鍵を取り出した男は、相手の方も見ず赤毛の男へソレを放った。

「……火神、お前ちゃんと鍵閉めろよ?」

 赤毛の男は部屋の施錠を依願すると、テーブルの上に置いてあった鍵を手に取り青毛の男へ投げ付けた。肩に当たって跳ね返った鍵をカーペットに落としたまま、青毛の男は流し目で家主を睨む。

「バイク貸してくれ、青峰」

 再度出た我が儘に、面倒そうな顔をした家主はノソリと立ち上がり、テレビの前に置いていたバイクの鍵と壁に掛けていたライダースーツを依頼人に渡す。

「二人きりにはさせたくねぇんだけどな? 最近のお前、すぐ暴走するし」

 そんな嫌味な小言をぶつけた赤毛の男は、A子を一度だけ見ると、通話を終えた黒子の方を向いた。そして、その色素薄い少年に声を掛ける。

「行くぞ、テツ。緑間待たせると、アイツ愚痴愚痴うるせぇからな」





 一度来た道を今度は別の人間と歩く【黒子テツヤ】は、さっきの流れに不可解なモノを感じていた。

「……何だか、火神君が火神君らしくないですね。あれじゃまるで青峰君だ」

 大人になった火神が周りを考えずに当たり散らすなんて、考えもしなかった。そりゃ高校生も初めの頃は、ああやってしょっちゅう喧嘩もしていた。しかし、最近は大きな喧嘩もせず寛容な器を見せ、周りを気遣うようにまでなっていた。その事実があるからこそ、黒子は先に見た光景へ首を捻る。

「オレは……アソコまで身勝手な人間じゃねぇからな?」

 口を尖らせ特徴的な眉を潜めた赤毛の男も、【火神大我】の激情具合に違和感を持っていた。

「さっきの青峰君だって、火神君みたいでした」

 更に、まるで入れ替わりなんて無かったかのように【青峰大輝】は"火神"のように周囲に気を配っていたのだ。喧嘩になれば頭に血が上り、傍若無人になりがちな性格からは想像も付かない。だから黒子は現状に混乱し、溜め息と感想を同時に吐き出す。

「このまま進んだら……ボクはキミの"中身"まで火神君だと認識してしまいそうです」

「そうなる前に……身体が、くたばっちまうんだろ?」

 赤毛の男が、以前に聞いた予想を口にした瞬間、二人の間に緊張が走る。しばらく無言のままに歩を進めると、対向車のライトが歩行者専用通路を明るく照らした。

 国道に掛かる横断歩道を渡ろうと、信号を待つ間に黒子は口を開く。

「それは、緑間君が説明してくれます。 今日呼び出したのは、彼ですから」

 隣に立つ赤毛の男は何も言わない。

  ::  ::  ::


 きっと、どんな理由があったとしてもA子を怒れないのは、フェミニスト"なだけでは無い。単純に、目の前に居る女を愛しているからだ……――。


 二人が居なくなった部屋で、青毛の男は少女の居るベッドへ腰掛ける。二人の距離は近い。女は緊張し、再度毛布で肩までを隠した。ベッドの軋む音だけが部屋に響き、A子は男の横顔に謝罪を入れた。

「…………ごめんなさい火神君。でも、青峰君は悪くないの」

 彼女の使用した"でも"の意味が分かった【火神大我】は、両手のひらで膝を叩き、項垂れたままに頭を左右に振った。

 A子は庇おうとしているのだ。自分が罪を背負う事で愛しい相手と、そして自分と青峰の間柄を――。だから声を荒げ【青峰大輝】へ怒号飛ばした自分が"みっともない男"に思え、堪らない程不快になる。

「……お前がそうやってアイツを庇う度に、オレは悪者になった気分だ」

 男がそう呟く。隣で未だ服を着ずに居るA子は、大好きな男の香りがする毛布へ涙を落とす。

「……ごめんなさい」

 彼女が何度謝罪しても、二人の距離が縮まる事は無いだろう。

 だって見た目が違うのだ。仮にA子へ【姿が違っても、中身を愛してくれ】と願望を押し付けたとしたら、彼女は見知らぬ男と過ごさなくてはいけない。そんなのを"愛"と呼ぶのは、こちら側のエゴにしかならない。

 その結論に辿り着いた男は、強く目を瞑り目蓋の裏で瞬く星に意識を集中させる。でないと自分を責めて責めて、潰しそうになる。

 片方のエゴを通せば、片方が傷付く――。そんな関係になってしまったのだ。自分が馬鹿な事をしたせいで……。

 少女の泣き声に紛れ、【火神大我】は"ある決心"の為に『何故そこまでA子への愛を固執するのか』を話す事にした。

「――怖いんだ。時々、オレは自分が何者かも判らなくなる。馬鹿だからな? バスケしか出来ねぇ」

 強がる為に自身を鼻で笑い飛ばし、男は膝に乗せた手の甲をじっと見た。その手は日に焼けて黒く、血管が浮き、若々しさ感じさせない大人の手だ。――これは"オレ"の手じゃない。なのにオレの身体から生えている。

「お前見てると、自分が【火神大我】なんだって自信が持てる。それがスゲェ嬉しい」

 火神は、彼女を愛する事で薄れ行く"自分"を取り戻していた。だって……コイツの事をこんなにも深く愛しているのは世界中でオレだけだ。それが、火神が【火神】で居られる定義になる。

 器や記憶が変わっても、愛情だけは変わらない。それが"人間"だ。人間とは、何て儚い生き物なのだろう。愛とは、何て尊い感情なのだろう……。

 ――だからと言って、自分の愛情に相手が同調するのは困難を極める。その証拠に、男が愛するA子は目の前に座る自分を見るのだが、その表情は困惑の色を隠せていなかった。

「…………でもよォ、その度に頭が割れるみたいに痛ェんだよ。言うとうるせぇから、黙ってたけどな」

 皮肉な事に、"火神"が自分の意識を認識する度、身体はソレを異物と見なし排除しようとする。そうやって心と身体がアベコベなまま、男は苦痛に耐えていた。

「――オレがこのまま誰か判らなくなっちまえば、頭痛いのも無くなんのか……?」

 男は額を押さえ、波のように響く痛みと戦う。そうだ……。今だって身体がこうして拒否をするのだ。脱ぎ去る為の方法は、きっと一つしか無い。

 異物は姿を消すしか無いのだ。

「でも、そしたらオレはきっと何もかも忘れちまうよ!! A子の事も……!」

 青毛の男はA子をなるべく視界に入れないよう目線を下げ、押し寄せる恐怖を口にする。

「オレの過去もだ!! たかだが頭痛いのを無くす為に、"オレ"がどこにも居なくなっちまうならよォ……」

 色気を感じる低い声帯は上擦り、今は"情けなさ"さえ感じる。普段勝ち気に蒼く燃える眼差しも、今はくすんで見え、下がった目尻からは溜まった体液が落ちそうだ。

「そんなのって……あんまりじゃねぇか……――!!」

 再度強く目を瞑れば、瞳を覆った体液は涙となりジーンズへ落ちた。

 あの日、風邪を引いた青峰がB美の前で泣いたように、火神もその強そうな外見の内に堪えられない葛藤と苦悩と寂しさを抱えていた。

 鼻を啜る度、頭の中心が脈打つように痛む。苦悶の表情を浮かべれば、痛みごと抱えられるように、柔らかいモノが頭部へ回った。ソレがA子の腕だと判った青毛の男は、少女の胸で子供のように泣く。

 ――そうして散々に失態を見せた男は、先に決めた決断を口にする。


「――……距離を、置いてくれ。……本体も、コッチも――オレの全てにだ……」



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