高校も半ばから行動を共にしてきた三人は、狭いアパートに身を寄せた。鉄製の玄関を潜り汚いシンク横を通り過ぎ、このワンルームに辿り着く。家主はベッドに腰掛け、青年漫画の雑誌を捲っていた。

 テレビはドラマの再放送が流れ、その前で体育座りした黒子が画面をじっと眺めている。二人を呼び出した彼は、きっかけが掴めないでいるのだ。先日聞いた緑間の話を伝えようにも、内容が衝撃的過ぎる。

 最後の一人は、入口付近の壁に凭れ座り、片膝を立てボンヤリしていた。時々青い頭を振り、皺の深い眉間を押さえているのだが、その不可解な様子に気付いた黒子は、彼の名前を呼ぶ。

「――火神君……? どうしました?」

 男は顔を下げたままに、青く小さな瞳だけを動かして黒子テツヤを見た。そして至極低い声で自分に起きている状況を伝え始める。

「さっきから頭に映像が流れるんだけどよォ……オレの記憶じゃねぇみたいなんだ」

 青毛の男は黒子を真っ直ぐ見つめたままに語り始めた。

 川沿い、濁流。女の子が流され泣いている。必死に手を伸ばした自分は、岩場で足を掬われ流された。場面は代わり、泣いて顔がグシャグシャになった女の子と、大人が数名――安堵した顔で自分を覗き込んでいだ。

「オレは小さい頃に川で遊んで、溺れた覚えなんてねぇよ。なのに…………何だよ、コレ」

 その話に聞き覚えがある黒子は、片手で髪をくしゃりと乱す。そして座り込んだ青峰から視線を外し、ベッドに腰掛けた火神を眺めた。【記憶の生存競争】――身体の抱えていた記憶が、入れ替わった魂へ移ろうとしている。本当に"こんな事"が有り得て良いのだろうか?

「――それはオレの記憶だ……。小さい頃の」

 漫画を捲りながら赤毛の男が話に混ざる。

「女を助けようとして溺れたんだろ? ……さつきだよ、ソレ」

 しゃがれた声が静かな部屋に響いた。確かに上映を始めた映像には、桃色の髪を濡らした少女が居た。だからと言って、こんな過去聞いた事も無い"火神"が、その光景を受動的に見るのは理解を超える。

「……何でお前の記憶をオレが見れんだよ?」

「――……オレも、見たからな? お前の記憶」

 細い目を開いた青峰は、ベッドに座り雑誌を読む男を刮目する。

「最初は、犬に追い掛けられてた」

「"最初は"って……――他にも、見たのか?」

 低い声で問われるのだが、赤毛の男は何も言えずに視線を下げる。予想はしていたが、入れ替わった【自分】の中でも始まったようだ。膨大な"記憶映像"が頭に雪崩れてくる、あの背筋凍る現象が。自分が見たソレはよく知ったライバルの記憶だったし、そして自分の記憶もライバルに見られてしまう。――胸糞悪い。

 彼はどこまで知ってしまうのだろうか?自分のように、寸でで理解する事を止めてくれるだろうか……?――いつの間にか芽生え、やがて諦めた幼馴染みへの恋心を、ずっと秘めていたあの"みっともない気持ち"を知られてしまうのか。

 そして火神の肉体に残る"記憶"を見た青峰も、知っていた。火神の叶わなかった恋を――。いつも後ろ姿しか眺められない、淡い初恋だ。その相手は、高校当時の青峰だって知っている女性だった。名前は何だっけ。最初はテツのチームのマネージャーかと思ってた。でも彼女は……――。

「知りたがろうとするなよ? 火神、ソレはオレの記憶なんだ」

 雑誌を閉じ、枕元に放った男は入り口に座る自分の身体を睨み付け、牽制をした。

 黒子テツヤはコマーシャルに切り替わったドラマを消し、姿勢を正すと二人へ話し掛ける。

「ボク、調べて判りました……。キミ達に起こった現象が一体何なのか」

 話の切り出し方は巧くいった。先に結論を述べ、二人の意識を引く。問題はここからだ――。

「キミ達……えっと、何かお互いを……」

 歯切れ悪く喋りだしたその声は、相変わらず抑揚も無く空気に紛れて消えそうだった。

「――その……"絶命"させるような事しませんでしたか?」

「黒子、何だソレ?」

 色黒の男は黒子へ疑心するような眼差しを向けた。これから変なカルト話を吹っ掛けられると思っているようだ。

 しかしベッドに腰掛けた男は目を見開き、色素の薄い少年から視線を離せない。――そう、彼は見てしまったのだ。火神大我の最後の記憶。それは首を絞める、己の姿……――。

「お二人は、死んでいる可能性が高いって……――」

 黒子の不謹慎なその発言に、片方が反応を見せた。

「お前、マジで言ってんのか!? 何考えてんだ!!! 黒子ォ!!!」

 立ち上がった青峰の身体は、大きな手で黒子テツヤのカーディガンを掴み、座ったままの彼を持ち上げる。膝立ちになった黒子は、乱暴な動作にも怯まずに毅然とした態度で応対した。

「入れ替わるには、方法があるんです。催眠術でそう錯覚させるか……或いは、波長が合う二人の魂自体が入れ替わるか」

「死んで入れ替わったって言うのか!? 怪談話かよ!! オレらはゾンビって事かよ!!」

 青峰の身体はそうやって不安を怒鳴り散らしながら、淡い色した衣服を握る力を更に込め、表情変わらぬ少年の身体を揺する。

「蘇生自体はおかしな事ではありません! 一度心肺が停止しても、息を吹き返す確率は高いんです! だから落ち着いて下さい、火神君!」

 叱咤された青毛の男は振り払うように両手を離し、今度は未だベッドから動かない男に向かって怒鳴った。

「何か言えよ!! 青峰ェ!!」

「――……ろした」

 返答のようにボソリと口から飛び出た台詞に、同室の二人は固まる。その懺悔にも似た告白は、この空間の全てを停止させる。

「オレは、火神を……殺した」

 逃れられない後悔の念が、赤い瞳を揺らす男を覆って飲み込んだ。

  ::  ::  ::

 夕暮れ近いその時間――。部屋が静まり返った。入り口に座り直した巨体の男は、立てた膝に顎を乗せ唖然としている。テレビの前に座った華奢な少年は、乱れたカーディガンを直しもせずに何もないカーペットから目を離さない。

「……覚えてねぇんだ。でも、火神の記憶にあったんだよ。オレが、コイツの首絞めてた」

 自分自身を指差した赤毛の男は、部屋に漂う悲壮的な空気に「クソッ」と悪態を付き膝を叩く。

「でもさ、オレ……お前に殺されたなら……覚えてる筈だろ? そ、そこまで馬鹿じゃねぇよ」

 青毛の男は、声が裏返りながらも必死に【青峰大輝】を擁護する。いくら酔っていたとは言え、生命の危機に対してここまで鈍感では無い筈だ。再度始まった無言の時間が、三人の全てを奪った。

 十月のこの頃は日が落ちるのが大分早くなっていた。テレビ近くにあるデジタルの電波時計はもうすぐ6時になろうとしている。開けられたカーテンから夕日が差し込み、部屋をオレンジに染め上げた。照明も付けないこの部屋は薄暗い影を落とす。

「――……お二人は知っておいた方が良い。ここから待ち受ける展開を……」

 静寂を破り重々しく口を開いた黒子は、彼等に待ち受ける【最悪な事態】を告げる準備が出来たようだ。





 それは二人がこれから始まる【絶望的な結末】を聞かされた次の日の事だ。

 指定された場所に着いたA子は、周りを見渡した。時計は7時を指し、仕事帰りのサラリーマン・部活や塾を終えた学生・私服姿の老若男女。様々な人間が駅から街へ歩を進める。

 連絡ツールにて呼び出された相手は【火神大我】で、A子は複雑な想いを抱え、目印にされた停留所の前で立ち尽くす。――今度こそ、別れを告げられる気がした。心臓の動きが早まり、A子は背中を丸めた。

「待たせたな、悪ィ」

 彼女は背後から声を掛けられ、肩を跳ねた。そして恐る恐る振り返ったソコに居る男を見て、更に驚く。

 日に焼けた褐色肌に青い短髪。切れ長の目に薄い唇。英字デザインなロンTを着た男は、ジーンズの腰ポケットに手を突っ込み立っていた。

「――あ、の……。貴方、火神君の……」

 自分を見下ろすその顔はまるで凶悪犯のようで、A子は頭上から刺さる視線に震えた。そんな恐怖対象の相手の内部には、【火神大我】が居ると言う。

「"アイツ"から別れようって、そう言われたのか?」

 道行く人々が、青峰の身長に好奇な視線を投げる。サラリーマンも学生も、女子の集団も年配女性も。スタイル良く190cmを超え、肌の黒い彼をまるで外人だと遠巻きながらに観察している。

「……全部戻ったら、迎えに行くって……」

 そんな目立つ相手に話し掛けられた少女は、落ち着き無く質問に答える。だがそれは、返答にしては的がずれていた。だけどこれが良い。【火神大我】はA子のこういう"天然な部分"が大好きだった。

「高尾と何してた? 昨日だ、二人で逃げただろ?」

「高尾君……は、公園でお話しました」

「それだけか?」

 近くにあるベンチに腰掛けた青髪の男は、長い手を背凭れに投げ出し足を組む。その横暴な態度に、周囲の人間は近付くのさえ躊躇うのだった。

「友達から電話来たみたいで……それで」

 手を振りサヨナラのジェスチャーをした少女を眺め、筋肉質な男は溜め息を付いた。

「……そうか」

 嘘が見えない反応に安心した男は、質問の内容をガラリと変えた。

「A子。……"オレ"と別れたいか?」

「――でも貴方、火神君じゃ……――」

 戸惑いを隠せないA子は、未だに目の前の男を【火神大我】だと認識出来ていない。

「オレは嫌だ。お前が好きだ、大切にしたい」

 公然の場で愛を囁いた男は立ち上がり、また少女を見下ろした。そうしてジーンズの腰ポケットから車の鍵を取り出す。

「…………あの」

「着いて来い。アイツん家行くから」

 そう告げて先に歩き出した男の後を、二三回意味無く周りを見渡したA子は追い掛けた。

 ::  ::  ::

 目的地まで助手席に乗せた青峰は、昨日も訪れたアパートの指定されていた駐車場に赤い車を停める。果たしてココが契約している駐車場かどうか不安ではあるが、停めてしまってから考えても仕方無い。最悪でも空き場である事を祈りながら車を降りる。

「――ここ、前に……来た」

 外付けの階段を登りながらA子は、フラれ落ち込みココを降りた先日を思い出していた。

「そうか。なら話は早ェ」

 お目当ての号室に辿り着いた青髪の男は呼び鈴を連打した。

 何度も押される呼び鈴に反応し、乱暴に玄関を開けた男は二股に分かれた眉根を潜め、目の前に立つ二人を睨んだ。

「何しに来た」

「入れ、A子」

 色黒の男は、A子の肩を押し入室を促した。勿論家主は「入って良い」なんて一言も発していない。だが青峰はお構いなしに少女をアパートの一室へ進入させる。

「でも……私……」

「大丈夫だから、入れよ」

 A子の肩を抱いて寂しそうにする青毛の男。それを見た赤毛の男は、"自分の顔"を複雑そうに眺めると玄関を開けたまま二人に背を向けた。頭を掻き背を丸めてワンルームへと戻る。

 二人分の足音が室内に入ったのを確認した家主は振り返り再度問い掛けた。

「何しに来たんだよ」

「――三人で、セックスしたい」

 切れ長の瞳で目の前の火神を見た青峰は、本日来訪した理由を告げた。それを聞いた赤毛の男は驚きを隠せずに相手を非難する。

「馬鹿かよお前! 女は処女だぜ? 無茶苦茶だろ!」

「だってこのままじゃ死ぬんだろ!?」

 相手の薄い唇から悲痛な台詞が飛び出した。駄目だ……。それは考えないようにすればする程、粘り貼り付く汚れとなる。

 この絶望的な状況に潰れそうなのは【火神大我】の方だった。彼は物事を何でもポジティブに捉える。だからこそ、どうしようも無く追い込まれた時の反動が大きい。そんなネガティブに囚われた男へ、落ち着きの言葉を掛けてやった。

「火神ィ……。まだ死ぬって決まった訳じゃねぇだろ?」

「――オレは、この身体じゃ何も出来ねぇんだよ! してやれねぇんだよ! でも、オレの身体が傍に居たら……きっと……!!」

 巨体にそぐわない感嘆した表情は、今にも泣きそうな程に青く小さな瞳が揺れる。

「他の男にA子取られんのは……嫌なんだよ……!」

 腕を組み溜め息付いた赤毛の男は、昨日カフェであった光景を思い出す。清潔感溢れる黒髪を靡かせ、昔から美味しい所を拐って行ける程に要領が良い男――。

「高尾か。いけ好かない奴だよな?」

 肌の黒い男は唇を噛んで、頭に浮かんだ【手を繋ぎ、逃げる後ろ姿】に堪えた。きっといつかはA子を奪われそうな気がしてヤキモキする。そしてこんな事でしか気持ちを繋げない自分が、情けなくて惨めで――恥ずかしくもある。

 A子は、腕を組み唸った彼氏の口から"高尾"と言うフレーズが出た瞬間に胸が締め付けられた。確かに優しくてユーモアのある男性だった。でも、自分が好きなのは【火神大我】ただ一人だ。

 その彼も、今は身体と心に分かれてしまい少女を混乱させる。それでも、その話が本当ならば一番苦しんでいるのは自分でなくて【火神大我】の筈だ。だからA子は決意した。ずっとずっとずっと火神に我が儘を聞いて貰った。我慢もさせてきた。それでも彼はこの身体を大事にしてくれた――。不器用が溢れてこんな暴走だってする。

「――……いいよ? か、がみ君に……任せるから」

 女が顔を見上げたのは赤毛の男では無く、自分の横に立つ褐色肌の男だった。耳まで真っ赤にした顔で見つめられた男は、低く色気さえ感じる声でその女の名前を呟いた。

「……A子」

「馬鹿かよ……テメェ」

 口から出る言葉とは裏腹に、赤毛の肉体はある部分が膨らんでいた。それは生理現象でしか無いのに、内部の"青峰"は『自分は浅ましく下劣な人間なんだ』と己を非難する。

 少しでも自分への嫌悪感を軽くしようと、告げる台詞は行為を否定するモノばかりだ。――本当は何週間も自慰すら出来ずに溜まった欲望を吐き出したいのに……。

「意味分かってんのか? 処女だろお前! 3Pだぜ……? 普通だったら馬鹿馬鹿しくて笑うぜ!?」

「痛く、しないでね?」

 決意固まった少女はスカートを握り、緊張を逃がそうとする。

 低い声で狼狽した赤毛の男は、目の前の小さく大人しい少女が、倍程に体格の違う成人男性二人に蹂躙される様を浮かべた。きっと抵抗出来ず、人形遊びのように弄ばれるだろう。まるで成人漫画だ、苛めにも似ている。

「――A子、無理はすんな」

 青毛の男もそんな事を思ったのか、小さく呟く。普通じゃない行為への誘いに少女は乗ってしまった。キスするのも『恥ずかしい』と嫌がっていたのに――。

 凶悪な顔立ちをそのままに、不安を隠せない青髪の男。彼の衣服を掴んだA子は小さな声で心情を告げる。

「大丈夫、私も……知りたいから。火神君の事」

  ::  ::  ::

 赤毛の人物の前で、褐色肌を持つ男が長い腕で小さな少女を抱き締めていた。あの身長差じゃ、まるで親子の近親相姦だ。"自分"のベッドシーンを間近で見るなんて常識じゃ有り得ない。

 青髪の男が、少女の着ているカーディガンを脱がす。白い肩から二の腕を露出させたA子がコチラを見る。目が合った特徴的な眉を持つ男は、逆三角の瞳を逸らした。

 そうやって背徳感のある空気が、この狭いワンルームを包み三人の行為は始まった。



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -