結局四人が戻っても空気は戻らず、現地解散となった。各々の身体が各々の彼女を連れ――。 「何かされたか?……"アイツ"に」 レンタカーに乗り込みシートベルトを装着しながら火神はA子へ聞いた。 「何、も……。されてない」 「言いたくないなら言わなくても良いけどな」 返事に歯切れの悪さを感じた赤毛の男は、ハンドルの横に差したキーでエンジンをスタートさせる。駆動音に紛れ、A子の小さな声が聞こえた。 「あの人……怖い」 "あの人"とは恐らく、彼の【本体】を差しているのだろう。それなら『怖い』なんか言われ馴れている。 「顔が?それとも図体か?」 「……全部」 己の全てを拒絶された"器の持ち主"は、その悪気の無い回答を鼻で笑い飛ばした。雑な仕草で強がるのも彼の癖だ。チラリと横目で助手席を捉えると、一応のフォローを入れる。 「アイツは真っ直ぐ過ぎなんだよ、言っといてやる」 皮肉だと思った。【火神大我】が取った行動は以前と同じ筈だ。なのに、器が違うだけでこうも反応が違う。 『人間なんて、所詮見た目でしか恋をしない生き物なのだ』と言われても、反論出来ない。……きっとオレも、コイツの立場に立った時はそうなるだろう。 固いハンドルを人差し指で叩く。トントンと云う崩れる事ない一定のリズムが心を落ち着かせる。 桃井さつき……――。この身体でアイツに想いを告白したら、彼女はどう反応をするのだろう。幼馴染みが長過ぎて、"前の身体"じゃ手出しも出来ない。拒絶されるのが怖いからだ。――でも、今は違う。拒絶されても器を脱げば良い。そうしてオレは元に戻るのだ。戻れば全部リセットされる……。オレの気持ちを何処かへ残したままに。 「今日これからどうすんの?家まで送るか?」 前の車がブレーキを掛けた。ペダルを踏み込めば、摩擦でタイヤを止めてくれる。信号は赤になったばかりだ。頭の後ろで手を組み、長くなりそうな信号待ちを過ごす。無言だけが車内を包む。 「……私、帰りたくない!」 前の車のブレーキランプが消え、それを合図にアクセルを踏むと、隣の少女がそう大声を出した。 「……意味分かってんの?」 「…………」 「オレが誰だか分かって言ってんの?」 「私は、見たままにしか……信じられない人間だから……」 少女のスカートから覗いた膝に手を置き、さらりと太股を撫でた。素肌に触れたその手のひらから微弱の震えを捉えた男は、視線を前方に向けたまま話し掛けた。 「震えてんじゃねぇか」 「大丈夫、だから……」 ――閉園前のあの時、泣きそうな顔でコチラを振り返った【火神大我】を見た。姿こそは自分のモノだったが、あの表情は彼しか作り出せない。アイツの代わりに、自分が抱いて良いのかすら分からない。そりゃセックスしたいかと聞かれたら否定はしない。その為にレンタカーも一泊で借りてきたのだ。 「……とりあえずどこか泊まるか?」 ハンドルを左に回し、車線を変更する。ナビで近場のラブホテルを探していると、やっぱりそんな気になってしまう自分に少しだけ嫌悪を抱いた。 「……叩いて悪かった。ホント……悪ィ」 そう謝りながら長い足を無理矢理座席前に詰めた青峰は、ロードスターのエンジンを回す。"本来の彼"が所有するその赤い車体は派手で、天井が黒い布張り。それがまるでさっきキスした男みたいな色でB美は、浮気した事に罪悪感を感じた。愛しているのは隣に座る【青峰大輝】なのに――。 「キスして、ここで」 運転席から顔を寄せられ唇を合わせる。ほんの少しだけ口を開けば相手の舌が飛び込んで来るのだが、全ては入らない。舌先だけを迎えて柔らかさを堪能すれば、互いの口元が唾液で濡れた。色黒に似合った男前な顔が離れ、自分を見つめる。彼は次の言葉を待っているようだ。だからB美は茶目っ気を含んだ声色で、相手に次の行動に繋がる言葉を伝えた。 「今日は、予定無いよっ?」 「――誘ってんのか?」 再び唇が重なる。二人の間に返事なんか必要無かった。必要なのは、一緒に居られる時間と欲情だけだろう。唇から歯列、舌を貪り、まるで餓えた獣が獲物を捕食するように激しいキスを繰り返す。両者が飽きる事無く、柔らかい器官で相手の口内をまさぐる。 「……今晩は、凄いんでしょ?」 「キスしただけで、コレだ……」 青峰はB美の手首を掴み、股間へと寄せた。ナビゲートにより触れた男性器はジーンズを押し上げている。女によりチャックがゆっくりと引き下げられた。その瞬間切なそうに吐息を吐いた男は、眉間の皺を深くした。 「舐めてあげよっか?」 青峰は女のサラサラな髪を撫で、その小さな後頭部を腰まで押して答えを出す。他の乗用車より車高が低いこのスポーツカーは、横に並べば腰元まで見られてしまう。 「――他の車から丸見えだな……?」 反り勃ったモノが、温くて柔軟性ある何かに包まれるのを感じた。少しだけ笑った彼は、自分達のモラルの低さを皮肉りながらエンジンキーを回す。 :: :: :: 宿泊するモーテルの部屋は、アジアンリゾートのようだった。テーブルには麻が編み込まれたクロスが敷かれ、四人も眠れそうなキングサイズのベッドには大きな葉のイミテーション。「トトロの傘みたい」とB美は喜びながらもソレを床に落とした。 その場に不必要な偽の植物を拾い、ゴミ箱に差した青峰はベッドルームに背を向ける。 「どこ行くの?」 そんな事を聞かれながら逞しい腰に腕が回った。背中に柔らかい膨らみを感じた男は、カラカラ笑いながら質問に答える。 「シャワー浴びんだよ、汗だくだぜ?」 「いつもならすぐ欲しがるのに?」 他人のセックス事情を聞いた青毛の男は、身体を捻り少女に問う。 「身体も洗わずにか!?」 自分の中の"常識"を覆された男は、思わず驚いた顔と声を出してしまったのだが――確かに"この身体の持ち主"の衛生観念は低そうだ。きっと行為後も、汗だくの身体を流しもせずに布団へ潜り込むのだろう。――現在、自分の身体がどのように扱われているのかを考えゾッとした。頼むから髪と身体は毎日洗って欲しい。 「せっかくのホテルだ、たまには良いだろ?一緒入るか?」 誤魔化しにしては苦しいが、無いよりはマシだ。そうやって混浴を提案するのだが、相手は首を横に振り拒否する。 「……いい。見たいテレビあるし」 「じゃあ、良い子に待ってるんだ。すぐ戻る」 テーブルの上に財布や携帯、手首に巻いたアクセを置いた青峰は薄手の夏物トップスを脱ぎ、ジーンズ姿で洗面所に消えた。鼻歌混じりで機嫌が良さそうにも見える。 廊下の向こうから扉が閉まる音を聞いたB美は、卓上のガラパゴス携帯を手にすると、ベッドに正座し入り口に背を向けた。 一瞬だけ浮気調査をしようかとも考えたが、それは後程調べれば良い。B美は履歴を開き、お目当ての人物を探してダイヤルを掛けた。相手が出る事を願いながら――。 しばらく鳴ったコール音が途切れ、電波の向こうに居る男の声が聞こえた。 『…………何だよ火神。アイツと別れたのか?』 聞こえて来たその声は、お目当ての人物のモノだ。開口一番に不信な会話を始めた相手に言葉を返す。 「……カガミって、アンタじゃないの?」 『――……お前何してんの?』 相手のトーンが低くなる。嫌悪と警戒心を隠しもしないその言い方に、B美は少しだけ傷付いた。 「大輝の様子がおかしいから電話したの」 『この電話、無断だろ?アイツ、キレると厄介だぜ?』 チラリと背後の入り口に目を向けるが、相手の姿は見えない。風呂場でシャワーを浴び始めた頃だろう。 「今、シャワー浴びてる」 『お盛んだな?……んで?オレに何か用?』 相手の方から電話の用事を聞き出してきた。女は、少しだけ艶を含んだ落ち着いた声で言葉を返す。 「…………二人で会いたい」 『嫌だ』 端的且つ優しさの欠片もないその言い方に深く傷付いた彼女だが、ベッドに拳を振り下ろしながらワガママを言い出した。 「どこでも良いの!会うだけだから!」 『オレはお前に興味無い』 「最近、大輝の様子がおかしいの!何か知ってるんでしょ!?」 『知ってたら何?嫌なら距離置けよ』 「出来ないから困ってんの!良いから私に時間頂戴よ!!」 そんな会話の応酬をしていると、脱衣場のドアが開く音がした。予想外に早い帰還へ身体と心臓が跳ねた。慌てて通話を切るが、テーブルに戻すには間に合わなかった。 「…………人の携帯で、お喋りか?」 戻った青峰は、ベッドの上で姿勢を正していた女の手に自分の携帯が握られているのに気付く。ガウンを羽織りながら差し出すように要求すれば、B美は気まずそうな顔で手渡した。発信履歴を探ると予想していた名前が一番上にある。【カガミ(バカ)】。時刻もついさっきのモノだ。 「惚れたか?最高にイケメンだからな」 鼻で笑い自画自賛をした男は、面倒そうに携帯を麻のテーブルクロスに放り、ソファーに腰掛ける。 「あなた……大輝じゃない」 「――何だって良いだろ?男なんか、中身に大した違いはねぇよ」 はぁー……と溜め息を付き頭を掻いた青峰は、何かもう全てがどうでも良くなった。バレたから何だ。逆に取り繕わなくて済むから楽になるモンだ。 「いつから違うの!?」 「判ってんだろ?言わなくたって」 目の前のベッドに座る女の顔がみるみるうちに青くなる。恐らく記憶を辿っているのだろう。ある一時を以て記憶の整理が終わったらしい。少女は口を開き、消えそうな声で質問を投げてきた。 「――"愛してる"って言ってくれたのは……どっち?」 「…………オレだ」 "それ"を彼女へ告げたのは、初めて抱いた日の事だ。何の感情も無しに……盛り上げる為だけに囁いた、意味を持たない只の一文。たった五文字を信じていたなら残酷だ。 背もたれに腕を投げ出し、足を組んだガウン姿の男が怪しく笑う。その姿と、さっき電話で聞いた『オレはお前に興味無い』の言葉が頭で交差したB美は、衝撃が強くて泣きそうになる。 気力だけが、彼女を支えた。 ――自分が知る全てを話した黒子は、顎に手を置き混乱している緑間へ質問をした。 「……何か、二人に悪い事が起きるんですか?」 挙動不審にキョロキョロしていた瞳で黒子をとらえると、緑間はいつもより微量に低い声で語る。 「さっき、一部に例外があると言ったな。……暗示じゃないとしたら、アイツ等に待ち受けている未来は最悪なのだよ」 "最悪"と云う言葉が表現として正しいのなら、彼等に待ち受けるのは【最も悪い未来】である。 「勿体振らないで下さい」 緑間は重々しく口を開き、触りだけを彼にぶつけた。告げられた一言が余りに残酷で「あくまでも参考なのだよ」と言う補足など、黒子の耳には入らない。ビー玉のように大きな動揺に瞳が揺れて、零れそうになる。 「……そんな、事が――?」 有り得て堪るか。非現実すぎるその"事実"に頭が混乱する。僅かに視線を落とし固まった黒子テツヤは、言葉を飲み込めないようだ。緑間は卓上に並べた全てを手にし、教室を後にしようとする。 「これが終わったら詳しい話をしてやる。――アイツ等には本当、驚かされるのだよ」 去り際に本日の約束を取り次がれ、ドアは閉められた。 :: :: :: 教卓に立つ講師が抑揚乏しい声で数式を解いていく。その声は、黒子テツヤにはノイズとしか捉えられなかった。 先の部屋が受験生で埋まり、こうやって授業が始まっても、黒子の意識は全く別の所にあった。頭で何回も何回も反芻される言葉は、思考の全てを奪う。彼の中に残った感情は"恐怖"だった。あぁ、早くこの時間が終わって欲しい――。 緑間は彼にこう告げたのだった。 「――アイツ等……一度、死んでいるぞ」 |