「随分と感情に負けるんだな」

「この身体が堪え性ねぇんだよ」

 ベンチに座った男二人はポツポツと喋る。二人の隣には各々の彼女が座り、二人は歩み寄ろうとしない。お互いがさっき化粧室の横に座り顔を直していたのには気付いているが、かと言って会話が広がるとは思えない。

「お前ら、何乗ったの?」

 青峰が質問をすると、火神は「来て弁当食って、寝てた」とだけ答える。

「遊園地だよ?公園じゃないんだよ?」

 初対面の男が出した回答に驚いたB美は、信じられないような口調で会話に混ざる。

「ジェットコースター……苦手なんだよ、オレ」

 ゴニョゴニョ言うその男は、二又に割れた眉を下げた。意外過ぎる弱点に色黒の男はニヤリとする。

「大丈夫だ、怖くねぇから」

 指差された先にあるのは足が付かないタイプのコースターで、急勾配があったり三回転くらいさせられる上級者向けだ。

「はぁ!?食ったばっかだぜ?吐く、やだ」

「怖くないよ。ちょ・っ・と、回るだけ」

 B美から可愛い子ぶった声で進められるが、ループコースを指差した赤毛の男は慌てた声で拒否する。

「見ろよアソコ!ひっくり返んだろ!!」

「一瞬だよぉ?ビビるのも馬鹿馬鹿しいじゃん」

「馬鹿は高い所が好きだからな?」

「大輝に失礼だよ!?三回も乗ったんだからね!!」

 そう言ってB美は、色黒で筋肉質の腕に自分の豊かな胸を押し付け華奢な両腕を絡ませた。いきなりにボディータッチされた青毛の男は、ビックリした声を出す。

「何でオレ!?」

 そのリアクションにA子以外は笑う。引っ込み思案なA子は、その様子を羨ましそうに見ていた。二人で居た時は大人しかった火神の口調。それが今は楽しそうで胸が痛んだ。――自分だけが仲間外れにも思えて目を逸らしたくもなる。

「A子、お前はどうする?」

 急に低い声が自分の名前を呼んだ。俯いていた顔を上げると、彼の向こう側に座る色の黒い男が、自分へ笑みを向けながら首を傾げた。

「あ……な、名前……」

 A子の困った様子にハッとした顔になる色黒男は、顔を引っ込め前傾気味になっていた姿勢を正す。

「……大輝、女の子にはすぐ馴れ馴れしくする」

「怒んなよ、悪かった」

 ムッスリしたB美が腕に身を寄せる。肩にキャップのつばが刺さり、青毛の男は苦笑いをした。

「オレは、ゴーカートにでも乗る。ひっくり返らねぇからな」

「スリルねぇなァ、バンジーでもしろよ?世界が変わるぜ?」

「……私、絶叫マシン好き」

 A子は意を決して、三人の会話に混ざろうと声を発した。

「じゃあバンジーでもするか?」

 初対面の男がまた赤毛の彼の向こうから声を掛ける。さすがにバンジージャンプする勇気が無いA子は、さっき彼等三人が話題にしていたコースターを指差す。

「……アレ乗りたいかも」

「決まりだな?四人で乗ろうぜ?」

 強面成りに笑顔を見せる青毛の男に肩を組まれ、酷く嫌そうな顔をした火神は「ゴーカートは!?」と不満を口にした。





 そこからの数時間――。B美は苛立ち始めていた。原因は単純だ。好きな人が自分以外に夢中になっているから、ただそれだけ。

 B美がチラリと青峰を見れば、彼はまた地味な女を眺めていた。見ているだけで幸せそうな顔をしている。何か意見を求められ話し掛けられた時なんか嬉しさを堪えられないように笑みを浮かべ対応している。――何なの?大輝は、そんな地味な女が好きなの……?次第にイライラが積もり、爆発が近い。せっかくのデートなのに全然楽しくもない。

 綺麗にアートを施した爪を噛み、足を鳴らすB美の姿に特徴的な眉を潜めた男は、隣で半開きにも口を開けA子を見ていた男にこっそり耳打ちをした。

「……火神。お前はオレなんだぞ?立場をわきまえろ」

「――分かってる……分かってるんだよ……」

 相手からシュンとした返事が帰って来たのだが、不安が拭えない赤毛の男はこれ以上B美が不機嫌にならない事を祈った。そんな風になったら自分がフォローしなくてはいけない。普段なら火神の方がこの役割を担うのだが、今日のアイツはどこか身勝手だ。それがきっと、恋に情熱的な【火神大我】らしさなのだろう。

  ::  ::  ::

 だが、彼の嫌な予感は帰り際に的中してしまう。日も暮れ閉園の7時が近付いていた。遊び尽くしてヘロヘロになった四人は出口に向かっていた。

「結局、ゴーカートには乗れなかったじゃねぇか……」

「え?アンタ、ガキ?ゴーカートゴーカートって……」

 自分達の前を歩く赤毛の男とB美を眺めている。青峰の隣にはA子が眠たそうな顔をして空になったお弁当箱を抱えていた。こう並んだだけで身体が元に戻った気になるから不思議だ。目の前では自分が歩いているというのに。

「足元、段差あるから……――」

『気を付けろ』と言う前にA子は足を踏み外し、後ろへ身体が傾いた。両手が塞がり重心が崩れた少女は、自分が転ける事を悟り背筋が冷えた。――しかし、自分の身体を"何か"が支えた。

「……危ねぇなァ、落ち着きねぇもんな?A子」

 腰に手を回され全身が緊張する。知らない男に触れられた部分に神経が集中して、A子の顔が熱くなった。男性に触れられ慣れていない少女は、たったこれだけでヘニャヘニャになってしまった。

「――……あ、りがと……」

 そして青峰は切なそうに、それでいて愛しい人間を見つめるような視線をA子へ向けていた。それは無意識下の行動で、彼はそれに気付いていない。――B美が彼のそんな顔を見たのは始めてで、向けられた相手が自分じゃ無い事に拳を握る。彼女を"子供"と言ったらそうだろう。精神が幼い美少女は、手に入らない【青峰大輝】の愛情が、自分より劣った容姿の女性に向けられた事にキレた。

「――オイ、何て顔……」

 隣に立つ"火神の中に居る男"がB美の表情の変化を読み取り、彼女に声を掛けたのだが……一足遅かったようだ。イライラが頂点に達したB美は、剥ぐように二人を引き離し地味な女に向かって怒鳴っていた。

「大輝にチョッカイ出さないでよ!!」

 ――触って欲しく無かった。この女には、自分の愛しい人を。彼女が青峰大輝に触れたら、きっと全てを持っていかれる。根拠がないのにそんな事を思ってしまう。

 女の子と喧嘩もした事の無い彼女じゃ、軽く突き飛ばすにも加減が出来なくて予想以上に力が入ったようだ。足が縺れたA子は小さく悲鳴を上げて転んでしまった。空になった弁当箱が地面に落下し、派手な音を立てる。

 青毛の男は腕を掴み阻止しようとしたのだが、間に合わず伸ばした手は宙を掻いただけになった。地面に擦った膝部分は血が滲み砂が混じって痛々しい。

「B美!突き飛ばしたら危ないだろ!?」

「……そんなつもりじゃ……私悪くないもん!!勝手に転けたソッチがドジなだけじゃん!!」

 青峰の浅黒い手はB美の肩を強引に掴みコチラを向かせると、手を張り上げチークの塗られた頬に平手打ちをかました。

 皮膚を叩いた鋭い音が閑散とした園内に響く。この場にいた全員が、その音に重々しさを感じた。一番驚いているのは他でもない爬虫類顔した男で、自分が少女に暴力を振るった事へ細い目を見開き、口を半開きのままにして呆然とする。

「――何で……?何で何で何で!!??」

 横を向いたままにB美は目に涙を溜めた。どうして自分はコチラを向いているのか……。何で自分の頬は痛むのか――。目頭から涙が滲み水滴となり頬を通った。それでも叩かれた熱は取れない。

「何、で……?アンタ……どっちが、大事なの…………?」

 張り手を繰り出してしまった手を眺め、青峰は震えた。自分がした事が一体何なのか、考えただけで頭に衝撃が走る。

「B美!!」

 追い掛けようと足を出すと、後ろから肩を掴まれた。振り向くとソコには特徴的な眉毛を吊り上げ、怒った顔をした"自分"が立っている。ソイツは振り向いた青毛の顔を見た瞬間、複雑そうな顔になった。女性に暴力を振るい、感情の整理が付かない男は全身が震えていた。勿論、蒼い瞳も揺れて――自分が"本体"に居た頃、こんな顔をした事があっただろうか……。

「お前は行くな。オレが行く」

 そう言って狼狽える相手を落ち着かせようとすれば、何年も何年も何年も共にしてきた低い声が上擦っていた。

「でも……、オレ……っ……」

「落ち着け!良いな?まずは深呼吸でもして、落ち着くんだ……。アイツはオレが何とかしてやるから」

 掴まれた肩に痛みを覚える。ユサユサと身体を揺さぶられると、少しだけ視界と意識がハッキリした。自分がB美を叩いたのは、きっとまだ内に居るA子を愛しているからだろう。A子を守るのはオレじゃなければいけない――。姿は火神大我じゃなくても、守ってやりたいんだ。例え世界中を敵に回して……誰かを傷付けたとしても。

 そう思い二人きりになった空間で、A子に手を伸ばせば彼女は震えて後退りをした。【内に居る火神】は避けられた事に衝撃を受けた。

 分かっているのに……。今鏡を見ても、そこに映った自分は鋭い目付きに薄い唇。髪の毛は青く、肌は黒い。身体は無駄なく引き締まり、肩幅が広くゴツい。そんな男が目の前で、他の女に手を上げたのだ。――火神大我は、A子の中で恐怖の対象になってしまった。

「……あの、ごめんなさい」

「――いや、良いんだ。別に」

 何が良いんだ……?教えてくれよ。オレは一体"誰"になれば良いんだ?

「――……戻って来るまで、あれに乗りませんか?」

 それは突然の提案だった。A子が指差した先には、観覧車が優雅に空を旋回している。青峰の姿をした男は信じられないような顔で彼女を見た。

「……聞きたい事が、あります」

 一人でスタスタ歩き出したA子の後を慌てて追う。ゆっくりと動くゴンドラは子供時代に見た時よりずっと小さくて、先に少女を乗せて自分もステップから乗り込めば機体はほんの少し傾いた。体重が倍近いのだ。こればかりは仕方無い。

「――……変な事を聞いても良いですか?」

 目の前に座る女は肩に力が入り、身体が強張っていた。チラリと横を見ると上昇を続けるこのアトラクションはコースターの高さを超える所だ。遠くの地平線で夕日が少しずつ沈もうとする。

「それが本当に"変な事"じゃない事を祈るぜ」

 窓から視線を外し肩幅に開いた膝の上で頬杖を付いて、向かいの女のスカートから伸びた膝を見る。ハンカチで砂を落とし拭いただけのソレは、未だに血が滲み赤黒い線が幾重にも交差している。

「あなた、火神君……?」

 その問い掛けに瞳の奥で深い青が揺れた。西側から夕日のオレンジが反射して、暗いゴンドラの中で影とのコントラストを作る。

「――A子……お前……」

 重なった視線は、彼女から振り切った。

「……否定して……欲しかった。"違う"って、返して欲しかった……――」

 悲しそうに涙を浮かべた少女は、声が震え出していた。その弱々しい声を守ってやりたくて、オレは未練がましくココに居る。

「あなたが火神君だって言うなら……じゃあ、私が好きなのは……誰なの?」

「知りたいか?」

「あなたは火神君じゃない!火神君は……違うの……!!」

 A子の目尻から涙が落ちてスカートを濡らした。涙を拭いてあげたくて腰を上げ手を伸ばせば、二人を隔てる僅かな距離はすぐに縮んだ。ユラユラ揺れる鉄の箱は、片側に寄った重さで更に傾くのだった。

 ずっとずっとこうしたかった――。【火神大我】で居た頃から我慢していた。柔らかく小さい身体を腕の中に招く。サラサラの頭を抱えれば、髪の毛が指の隙間から零れる。鉄で出来た座席に片膝だけを乗せ覆い被さるように抱き締めた。

「やめて!離して!いやぁ!!!」

「オレが火神なんだよ!!A子……オレが!!」

 すぐ近くにある相手の後頭部に本当の正体を告げる。愛しさを伝えるよう、更に強く腕に力を込めた。

「やめて!!私、あなたなんか知らない……!!」

「何で判ってくれねぇんだよ!!!」

「離して!!お願いだから!!」

 胸元を叩いて拒絶された事に怒鳴った火神は、ゴンドラが最上を過ぎた事に気付いていない。観覧車がゆっくりと下降をするように、火神の溢れた情熱もゆっくりと熱を冷まし始める。

「……もう、終わりだ……。元に戻っても……全部が、終わるんだな……?」

 二人きりの時間も、三分の二が過ぎた。この数分で世界が終われば良い――。笑えるよな?『何か違う』の次は『あなたじゃない』だぜ……?オレの何が駄目なんだよ……。

 拘束していた両腕を離し向かいの座席に戻り、後の時間は外を眺めた。さっきまで真っ青だった空は半分が蒼く半分は橙色で、太陽は闇に圧され姿を消す。やがて暗闇がこちら側の地球を覆うだろう。太陽を追い掛け世界の裏側に逃げようにも、こんなちっぽけなゴンドラじゃ何処にも行けない。

 外の黒が深くなり鏡のように反射した窓からは、ボサボサな頭をした"青峰大輝"が、くたびれた顔でコチラを見ていた。





「何ヒスってんだよ!」

 閉園の音楽がスピーカーから流れ哀愁を漂わせる。日が落ち初めて、影が細く伸びていた。エスケープした少女へようやく追い付き、二人分の長い長い影が並ぶ。

「何でアンタが来んのよ!!あっち行ってよ!!大輝は!?何で大輝は来ないの!?あんな地味な女の方が好きなの!??」

「少しは落ち着けよ」

「――……大輝、呼んでよ」

 立ち止まりこちらを向いたB美は、キャップのつばが影を落として口元しか見えない。でも頬がキラキラ光る理由を男は知っていた。

「……距離を置け。オレが言えるのはこれだけだ」

「偉そうな事言わないでよ!!アンタ何様!?」

「そんなの何でも良いから……距離を置け」

 近場のジェットコースターがレールを走り、風を切る音が聞こえた。ガタンガタンと揺れる機体は虚しく走る。声の類いは一切せず、人が乗っているのか彼には分からない。

「馬鹿じゃないの!?」

「喚くな。迷惑だ」

「私から大輝を奪わないで!!」

 言う事を聞かない相手に向かって大袈裟に溜め息を吐いた赤毛の男は、丁度良い機会だとずっと思っている事をぶつけ始めた。

「お前さぁ、いっつも上辺しか見ねぇのな?」

「…………は?」

「そうやって一生表面だけ愛して貰えよ。ガキだってお人形さん遊びは、半年で飽きるぜ?」

「大輝はガキじゃないもん!!」

「――どうかな?……お前が表面しか愛してねぇんだからなぁ?B美」

 少しだけ首を傾げて顔を見る。俯いた女は着ていた服をギュウと握って悔しさを表した。

「違う!!大輝の中身も好きだもん!!」

「……だったら、真実に気付いた方が良いぜ?それが無理なら、アイツから離れろ」

 子供のような口調の女へ再度同じ事を伝えた。"オレ"はコイツと別れても良い。上辺だけの付き合いは飽きた。

「…………何なの?アンタ偉そうに。腹立つ」

 鼻で笑った火神は、少女の手を掴み歩き出す。抵抗されるかと思っていたが、B美はキャップのつばで目元を隠すとずっと「ムカつく、ムカつく、ムカつく……」と呪詛のように呟く。

 途中に露店を見付けた男は、フラリと立ち寄りアイスをひとつ購入した。

「……冷やせよ、頬。三百円のパピコだ、馬鹿らしいな」

 そう言って下手くそに笑った男が一瞬だけ愛しい人に見えたB美は、叩かれた頬に馬鹿らしいアイスを付けた。

「私は、大輝と……結婚するの!」

「無理だな」

 すぐ後ろをむすくれながら歩くB美の夢を否定する。

「アンタに何が分かるの?さっきから邪魔ばっか……私の事、好きなの?」

「人形に惚れるかよ、馬ァ鹿」

 彼女を引っ張っていた腕がグンと伸びる。何て事はない。後ろ手引く女が立ち止まっただけだ。

「…………大輝?」

 筋肉質な背中は何も言わない。でも、今の言い方は過去に何回も聞いた。毎回毎回必ず言われていたから――。その間延びした罵倒の台詞は【青峰大輝】のモノだった。

「……こっち向いて」

 命令通りに振り返った男に、B美はキスをした。キャップのつばが弾かれ後ろにずれ、地面へと落下した。でも拾う事はしない。いや、出来ない。――だって彼女は、肩と頭を抱えられながら激しく深いキスを受けていたから。相手の男は今日初めて会った。カガミタイガと言うらしい。青峰に比べたら顔は濃いし、体型もほんの少し暑苦しさを感じる。声も肌質も全然違う。フレグランスに体臭が混ざるのが気に食わない。

 ――だけど、ここ最近で一番【青峰大輝】と居るような気がした。キスの仕方だって似てる。唇を必ず舌でなぞってから口内へ入れてくれる。それが彼の癖で――。目を開けたくない。だって、目を開けたらソコに居るのは……――。

「……アンタじゃ、ない」

 両手で頬を優しく挟んでやった男の顔は、自分が愛している人物のモノでは無かった。



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