「……寒ィな、最近は」

 背を丸め、青峰はそう文句を言う。黒いジャケットコートに鮮やかな水色のマフラーを巻き、ジーンズにスニーカー。それに背の高さが合わさって、人混みでも一際目立つ。珍しいモノでも見るようにすれ違う人達は、誰もが彼を一瞥した。見られ慣れているのか、青峰は視線を気にしない。

 ジーンズのポケットから銀行の封筒を取り出し、待ち合わせ相手へ手渡す。そして「悪かったな、気遣わせて……」と謝った。○○は首を振り、封筒を受け取る。

「……寒ィな」

 再度同じ事を言うと、傍に立つ彼女を見る。髪形が変わり、前回とはまた違った雰囲気だ。化粧も目元に力が入っている。だけど、付け睫が不自然に思えた。

「……お前、化粧薄い方が良いよ」

 青峰が本心を告げる。元々ギャルはタイプでは無いのだ。性欲は湧くが、それだけ。ナチュラルな顔が一番だ。自身が憧れている堀北マイの顔を思い出す。あぁ、コイツ口だけは似てんな……。ショックを受けているのか、○○は頬に手を置き俯いていた。

「――じゃあ、オレ……これで」

 青峰は踵を返し、その場から立ち去ろうとする。昨日『これ以上関わらない』と決めたのだ。金はちゃんと返したし、ここに居る意味はもう無い。

「……っ、待って……!!」

 呼び止められた青峰が振り向く。止めたは良いが、何を言えば良いか分からない○○は、声を掛けた事を後悔し、その場に固まる。

 ――でも、○○はこのまま帰るのが嫌だった。せっかく友達に手伝って貰ってお洒落をしたのだ。もっと一緒に居たい。そう願った彼女は、勇気を出して青峰を呼び止めた。

「……これで、何か奢ります」

 何故か敬語になり、渡された封筒を相手に見せる。青峰は少しだけ考えた後「……あぁ。そうだな」と、その提案に乗ってくれた。

「誰か呼ぶか? テツとか」

 青峰は片手で折りたたみ携帯を開き、着信履歴を追う。そんな彼を見ながら、○○は寂しそうな声で呟く。息が白くなる、息を吐く度に視界に白い気体が映った。

「そんなに、お金無い」

「……じゃあ、オレとだな」

 男はポケットに携帯をしまうと、二人きりで良いのか再度確認をする。嬉しそうに微笑む○○は、首を縦に振り肯定の合図を返した。


 ……………………


 二人は大衆向けに安価な商品を提供し、人気が高いチェーン居酒屋へ向かった。店員は青峰の背の高さに一瞬驚いたのだが、すぐに笑顔を作り席へと案内を始める。通された卓席は個室タイプで、麻のカーテンで通路から遮断された。

「好きなの、飲んでいいよ」

 メニューを見せられるが、酔いたくない青峰はオレンジジュースを頼む。その意外なチョイスに○○は、化粧で大きくなった目をパチパチさせる。

「酔うとあんま、良くねぇんだよ……。オレ」

「この前も酔ってたの?」

 "この前"が、あの火神宅での飲み会だと悟った青峰は、片眉を上げ頬を掻く。

「あん位じゃ酔わねぇよ。3本位ビール瓶一気したら、酔う」

「当たり前じゃん!」

 ツボにはまった○○は、大笑いをした。青峰は口を曲げ「そうかよ……」と少しだけ照れる。愛想の良い店員が、生ビールとオレンジジュースを運んで来た。目の前に生ビールを置かれた青峰は、気まずそうな顔でオレンジジュースに手を伸ばすのだった。


 ――何をしているんだ……オレは。

 そう自戒した男は、メニューを見てフードを選んでいる彼女を眺める。ここに来たのは、下手こいて不機嫌になった彼女が黒子に全てをぶちまけるんじゃないか、と危惧したからだ。『飲み会の帰り、無理矢理にでも犯された』なんて言われたら、言い返す言葉も無いだろう。メシ食う位なら、大丈夫だ。あと一時間もしたら解散して帰れば良いんだ。嫌になる位打算的な考えが青峰の脳内を巡る。

「酔うとどうなるの?」

 そんな彼に、メニューを頼み終えた○○が声を掛けてきた。少し考えた青峰は「……ナックルボールで、ガラスを割る」と答え、その時の事を覚えている限りで説明した。楽しそうに笑う彼女はビール一杯で酔っているのか、顔が紅くなっていた。

 まるで接待だ……。男がそう例えた二人きりの飲み会は、汚い罪悪感で彼を包んだ。


 ……………………


「――帰れんのか? ソレで」

「大丈夫だよ〜……」

 ジャケットの裾を掴まれ、フラフラと歩く○○の肩を支えてやる。離したら転けそうな位に、足取りはおぼつかない。失敗したなと、青峰は小さく溜め息を付いた。まさか相手がここまで酔っ払うとは……。近場にあった公園のベンチへ座らせ、ジュースを買いにベンダーを探す。

 男は携帯を取り出し、黒子テツヤにバトンタッチをお願いしようとするが、今までの経緯をどう説明するのか悩む。それに、酔っ払った彼女が何を喋るかだって判らない。

「……ホレ、水だ」

 結局、青峰は黒子を呼び出す事無く○○の酔いが冷めるのを待つ事にした。程よく距離を置きベンチに腰掛け、少女がキャップを開ける手元をただ見つめる。

 ペットボトルの中身が小さな口を通り、細い喉元が小さく上下した。暗い野外で見るソレは、扇情的な仕草だと思ってしまい、男の下半身はピクリと反応する。細長いペットボトルが別のモノに見えた。グロスで光る口元が自分を誘っているみたいで……――。

「……帰りたく、ない」

 その声に、青峰はハッとする。盛り上がった膨らみを隠すのに、社会の窓前で両手の指を組み合わせる。オレは欲求不満なのだろうか……。そう言えば一週間以上、誰とも肌を重ねていない。それに気付いた青峰は、頬を数回叩いた。

「駄目だ、帰れ。送ってやるから」

 少女から首を横に振られ、青峰は垂れた頭を掻く。まさか置いて帰る訳にも行かないし、この寒さでは身体が冷え風邪を引くかもしれない。面倒になった青峰は、ひとつの提案をした。

「オレん家、来るか……?」

 彼のアパートはここからふた駅だ。もしかしたら途中で酔いが冷め「やっぱり帰る」と言い出すかもしれない。なす統べ無い青峰は、何も言わない彼女を抱え、僅かな外灯が照らす閑静な公園を出た。


 ――――――――


「……ホラ、そこに寝てろよ」

 自室に着くなり、ベッドに彼女を横たわらせた。何でオンナの靴は脱がせるのがあんなに面倒なのか……。重労働をした青峰は、首を鳴らし冷蔵庫を開けビールを煽る。喉を潤すと「クソッ」と悪態を付いた。ズルズルと駄目な方向へ向かっている気がして、やはり黒子に話すべきなのか頭の中でシミュレーションを立てる。だけど、どれも絶望的な結果にしかならなくて、自身を『ネガティブな奴だ』と嘲る。

 『初めてだと気付かずに、ナマでヤりました。嫌がる相手に無理矢理挿入しました』なんてぶちまけたら、穏やかな黒子だって怒るだろう。今、あそこで寝ている相手が自分に"愛情"なんて持ってしまった日には……その可能性は高いが……それは黒子から寝取った事になる。前髪を掻き上げ、何度も溜め息を付いた。

 火神と黄瀬ならどうするのだろうか……。隠し事が出来ない火神は馬鹿正直に言って、黒子に頬をぶん殴られていそうだ。他人事だと思うとまるでコントのようで、少し笑えた。


 ○○は見知らぬベッドの上で目を覚まし、頭がボンヤリするのに気付いた。酒が抜けずに思考を妨げるのだ……。夢の中なのか、現実なのか、それさえどうでも良くなる。

 彼女は知らない部屋に居た。引っ越したばかりなのか、口の閉じられた段ボールが数個置きっぱなしだ。大型のモノはベッドとテーブル、テレビしか無い。枕元にはいかがわしい本が数冊開かれて放置してある。ヤングジャンプと書かれた青年向け漫画雑誌。ページを捲れば、喧嘩しているか、スポーツに熱中しているか、可愛い女の子とスケベな青春を謳歌している漫画ばかりだ。全男性の夢と煩悩が、そこには在った。漫画目当てで買ったのか、グラビア目当てで買ったのか……。袋とじが開いてるのを見る限り、後者だろう。部屋の端にバックナンバーが積み上げられ放置されていた。

 枕からは男性らしい匂いがした。香水と汗と皮脂が混じった匂い。一度だけこの香水を嗅いだ事がある。若い男性が付けないような、貫禄を感じる匂い。付けていたのは……――。

「目ェ、覚めたか?」

 ワンルームに姿を見せた香水の人物は、ビールの缶をテーブルに置く。

「何か飲むか?水しかねぇけど……」

 家主であろう男からそう問い掛けられるが、○○は首を横に振る。喉は渇いていない。気だるい身体をうつ伏せにし、男臭い枕を握る。ストッキング越しのシーツは、よく滑った。少女は引き続きボンヤリとする頭で、反対側を向き居心地悪そうにしている青峰へ声を掛ける。

「……こっち来て、座ってよ」

 それは、限界ギリギリの誘いだった。漫画や映画には色気を魅せ情事を催促出来る女性が出てくるが、彼女はあんな事一生出来そうにない。勿論、男性はそういう大胆な女性が好きなのは知っている。

 青峰は理性にて煩悩を抑えていた。――酔っている人間は、どうしてこんなに色っぽくなるのか。本人は気付いていないのだろうが、先程からスカートが捲れ艶やかな黒いストッキングからはレースが縁取られた下着が覗いている。首元の広く開いたニットから、首の筋ばったライン、鎖骨やブラ紐まで見えている。不規則に散らされた髪が、白いだけのシーツに女性の影を彩っていた。

 青峰は悔いた。彼女を呼んだ己の浅はかさを。そして、欲望に勝てない弱さを、心から悔いた。

 シャツを脱ぎ、鍛えた身体を露出させた男は、ベルトを外しジーンズのボタンに右手を掛けながら、ベッドに横たわる○○の元へ左腕を伸ばす。

 ベッドが青峰の体重分軋み、ギギッ……と音を立てた。彼女に跨がり、相手の身体を仰向けに寝かせる。

 ジーンズのファスナーを開けると、足掻き苦しそうな性器が下着を押し上げていた。お互いこれから始まる快楽を求め、息が汗ばむ。

 青峰の見下した目線が、○○へ突き刺さる。照明が逆光となり、彼の表情は見えない。こちらからは見えなくても、向こうも彼女の表情を見ていない訳じゃあ無い。少女は恥ずかしそうに顔を横に向け、口元を手で隠す。

 お前は何も分かっちゃいないな……。

 そう思った青峰は、○○の口元から手を外す。小さい頃から憧れたアイドルに似たその部分が、男からしたら一番魅力を感じる部位なんだ。青峰は身を屈め、唇を合わせようとするが、数センチの所で止める。

「……あんのかよ。キス、した事は」

 消えそうにか細い声で「ない」と返事が返ってくれば「じゃあ、本当に好きな奴の為に取っておけ」と、漫画のような事を言う。見た目に寄らずロマンチストな一面を見せた彼は、確かに暴君で自分勝手な部分はあるが、そういう所があるからこそ些細な気遣いがイメージアップに繋がるのだ。

 ○○は少し強引に上半身を起こされ、青峰と向かい合う姿勢になった。目線を落とせば、浅黒い肌と割れた腹筋が見える。男の人の裸を見る機会があまり無い……ましてやこんなに近くで見た事がない少女は、その腰回りの太さと無駄な肉の無さに見とれた。万歳をさせられ、ニットを脱がされる。スタイルに自信が無い為、ウエストを必死に隠していた。

 お気に入りのフロントホックを外された瞬間、せっかく寄せて上げた胸元が一気に頼りなくなる。日に焼けず白いままの小さな胸に、青峰の大きな色黒の手が触れた。ただ触れられただけなのに、少女の身体は跳ねる。

「……乳首は、綺麗だな」

「……んっ」

 気恥ずかしくなる褒め言葉に、○○は甘い声で反応する。彼に褒められたのはこれが初めてだった。鼓動が早すぎて、冷めてきた酔いがまた回りそうになる。