シーズンが始まり、チームのオーナーは《本日のゲームは満員御礼だ》と喜んでいた。チケットを購入した人々はエントランスから既に興奮していて、待ちきれない様子で様々な意見を交わす。その話題の中心の人物は、一人のアジア人。……今日が彼のデビュー戦だ。アリーナへ足を踏み入れると、大音量のヒップホップが高揚感を煽る。

 この選手スタンバイの時間に、二人の日本人プレイヤーがそれぞれ開始前の心境を記者達に語っていた。どちらも自チームのウインドブレーカーを羽織り、背番号を背負ったチームユニフォームを覗かせている。ギャラリーは満員に近く、音響に負けじと会場を賑やかすのだ。

 青峰は、マイクに向かって丁寧に質問へと答える。普段の彼からは想像付かない程に流暢な敬語である。

 ……それもそうだ。だって、予め答えが用意されているのだから。互いのゴーストライターが彼等の言葉を代筆してくれるのだ。だからこれは彼等の想いや考えでは無い。只の模範解答だ。それでも、若者らしく堂々と、ルーキーらしく謙虚な内容はきっと好感度を上げてくれるだろう。


 ――今の気持ちを一番に伝えたい人は?

「……海の向こうに居る家族と、支えてくれた全ての人に"ありがとう"と」

 ――注目の日本人対決ですが、ライバルは紫原敦?

「アイツ……あ、いや。えぇと"彼"は違う。オ……っと、自分のライバルは、常に自分自身です」

 ――ファンの方々へメッセージを。

「一人じゃここまで来れなかった。辛い時期含めて、色々な人に支えて貰った……し、なぁ。えーっと、ありがとうございます。これからも応援宜しくお願いします」


 朧ながらにインタビューを終えた青峰は、溜め息を付いて控えベンチへ帰る。そうして頭をバリバリ掻きながら、気分をコチラ側へと戻した。

 さっきの質疑応答は、渡されたカンペを元に嫌と言う程に練習させられた"他人の造り出した自分"だ。だが、今はそれで良いと思っている。どうせ馬鹿な自分は、巧い言葉も繋げない。

 伝えたい気持ちは沢山あった。でも、今まで覚えた言葉を総動員しても伝え切れないだろうし、それはそれで野暮と言うモノだ。

 大型新人の自分には、当たり前だが"恋人の件"も全て秘密にする指示が出ていた。お揃いの指輪だって、今はベッド脇のキャスターの中に眠っている。そもそも、本当はそんなの恥ずかしくて人前では付けられない。火神に見られたら、何を言われるか判ったモンじゃない。

 アリーナのBGMが途切れ、会場に一瞬の静寂が訪れた。照明が落とされ、群青色の空間が広がる。汗を纏ったチームメイト達が、同じユニフォームを纏い続々と控えベンチにやって来た。ザワザワした観客の期待だけが、この場を盛り上げてくれる。

 そうして突如、更なる大音響の音楽が鳴り、コートへチアガールが飛び出す。観客のボルテージが最高潮へ達し、歓声が広いアリーナを包んだ。デモンストレーションの始まりだ。

 本日は青峰が属するチームが所有する球場でのホームゲーム。"奇跡のシンデレラボーイ"と云うこっ恥ずかしい二つ名を付けられた青峰大輝の、華々しいデビュー戦である。同じデザインの衣装を身に付けた女性達が、ミニスカートから脚線美を魅せ飛び跳ねた。

 招待され観客席前方に座る黄瀬は、その華やかな始まり方に圧倒された。日本とは何もかもが違う。アチラの試合もここまで派手だったら、きっと自分も今頃ユニフォームを纏いコートに立っていただろう。まぁ、今からだって遅くは無い。黄瀬は思わずまたバスケがしたくなった。

 ……とは言いながらも、今の自分にそんな余裕は無さそうだ。日本に帰れば、新しい写真集のプロモーションが待っている。忙殺され、そんな事すらまた忘れるに違いない。

「凄ェだろ? 本場は」

 隣に座るキャップ姿の男が、黄瀬に向かって呟いた。その男の前には小さな時から目を輝かせて観ていた世界が広がる。

 ……あと少しだ。もう少し手を伸ばし高く跳べば、オレだって栄光と期待、そして歓声を背に受けアソコに立てる。火神大我は、自分が今見下ろしている一軍のコートで華々しくデビューする自身の姿を想像した。

 デモンストレーション中でも、選手達は既にミーティングを始めている。青峰の横には通訳が付き、選手に監督とコーチの指示を伝えた。この通訳も、元はそれなりのプレイヤーだったらしい。選手目線を交えた正確な通訳は、判りやすく、また有り難かった。

 チアガールがコートから去り会場が明るくなり始めたら、いよいよ試合が始まる。五人のスタメンの中には青峰大輝が居る。控えの選手に背中を強く叩かれ、前につんのめった日本人を全員が笑った。

《デビュー戦だ、暴れて来い》

 監督が青峰だけにそう指示を出した。真面目な顔をしたその選手は、親指を立てた後に人差し指で真っ直ぐに監督を指差す。チームの監督は、その選手の生意気なジェスチャーに笑った。

 アウェイチームの選手から一人一人紹介され、いよいよ彼自身もコートへ足を踏み入れる時がやって来た。紫原が紹介されコートに立った時には、ほんの僅かにブーイングが起きる。彼もまた、本日注目されるライバル選手となっていた。

 会場一杯に響く外人独特のイントネーションで名前を呼ばれた背番号65の人物は、興奮で鳥肌が立つ腕を擦りながら片手を上げコートへと走る。本日の主役、青峰大輝が入場すると黄色いエールと歓声が一番大きくなり、その期待の高さが伺えた。

 偶然にも目の前に整列した紫原と、青峰は向かい合う。アチラは口をパクパクさせ、何かを伝えようとしていた。

 ま・っ・て・た・よ。

 ククク……と笑った青峰は、右腕をほんの少し前に出し、親指と人差し指を立てピストルの形を作る。悪戯に「バン」と撃つ振りをすれば、無表情のまま紫原は手で胸を押さえてくれた。

 そんなお茶目なやり取りの後二人は睨み合い、始まりの握手を交わす。

 ……また、ここから始まるんだ。青峰は大きく手を広げ、深呼吸をした。観客達は自分の名前が合唱し、鼓動と耳を震わせてくれる。天井は高く、ライトが眩しい。そしてこのコートには、世界一のプレイヤー達が集うのだ。

 怖いかって聞かれたら、そりゃ少しは怖いさ。でも、強い奴等と戦える。青峰は、自分を試せる事が何よりも嬉しかった。

 報道席に居たある日本人カメラマンは、青峰にカメラのピントを合わせた。……理由は何となくだ。何となくで、良い絵が取れそうだったから。主役である日本人プレイヤーが両手に拳を握り最高の笑顔を魅せた瞬間に、彼はカメラのシャッターを切った。

「……浮かれてる」

 黄瀬は、中学から憧れていた彼のガッツポーズをそう言って笑った。

 だが、この会場に居る全員がまだ知らない。その浮かれた一枚の写真が、数ヵ月後に日本の製薬会社が販売するスポーツ飲料の広告で起用され、青峰大輝と云う選手の知名度を一気に上げる事になる事を。

 いよいよ試合開始だ。観客席に居る火神も黄瀬も、緊張に身体が支配され思わず手に汗を掻く。ホイッスルと共に、ボールが頭上高くに上がった。


 さぁ、青峰。ここからがお前の望んだ世界のステージだ。観ている人間はこの広いアリーナに居る奴等だけじゃあ無い。中継や録画を通して、何万……いや何百、何千万と云う人々がお前を観ているんだ。

 沢山居るぞ? 遠慮はするな。全ての人間を魅了の世界へ誘ってくれ。そのイマジネーションとセンスの塊で……。

「お前は、最高のhypnotistだ」

 火神のその呟きは、歓声賑やかな声に掻き消され、誰にも届かなかった。


 ―――――――――


 黄瀬は、大分前からソイツの存在に気付いていた。向かいの観客席の後方に、火神とはまた違った赤毛を持つ日本人が座っている。気付いた理由は彼が纏うオーラだ。

 多感な時期の自分達を器用に纏め上げた"彼"が、この会場に居るのだ。

 "彼"は試合も途中に立ち上がると、一度だけ真っ直ぐに自分を見た。いきなりの視線にドキリとした黄瀬だったが、笑いながら密やかに観客席を後にする懐かしい"彼"を、そのまま静かに見送った。

 もう、会う事は無さそうだ……。だが、中学時代から身に纏うあの強者のオーラは、全く衰えていなかった。


 エントランスを後にした赤毛の少年は、美しい声でクククと笑う。

「これで世界に羽ばたいたのが三人かぁ……。悪くない。むしろ、上出来だ」

 少年は嬉しそうに、それでいて何処か興味が無さそうに冷たい口調で、上記の独り言を呟いた。そのまま入り口近くに座る小汚ないホームレスへ畳んだ五ドル札を投げてやると、手に持っていたチェスの黒いキング駒を空中に放った。

 チェス世界大会のファイナリストである赤毛の少年は、一週間後にヨーロッパで運命の最終決戦を控えている。なのにまるで、勝負の行方を予知したように、余裕の笑みを見せたのだった。


 ………………………


 ――それは二人が再会した秋の日の出来事だった。

 ビジネスホテルの一室に並んだ双子のベッド。片方だけ、シーツが乱されていた。五月からずっと抑えていた欲情を散々貪った男は、珍しく購入した避妊具を自身から外して白濁液が漏れ出ないよう口を縛った。男はぶらぶらと揺らしたゴム臭い避妊具を、使用済みのソレしか入っていないゴミ箱へシュートを決める。

「手がゴム臭ェ……」

 右手親指から中指の匂いを嗅いだ青峰は、顔をしかめて汗にまみれた身体をシーツへと寝そべらせた。そうして隣で恥ずかしそうに裸体を掛けシーツで隠した彼女を白い布ごと抱き寄せる。二人の間のシーツは、どちらかによって引き抜かれた。

 お互い、肌が触れる事を幸せに思う。青峰の右手薬指にも似たようなリングが嵌められ、憎らしくもソチラはサイズがピッタリだった。

「……可愛くなったな、お前」

 珍しく本心をそのままに伝えた男は、彼女が照れるだろうと思い、わざとソレを口にした。予想通り、相手は眉を困らせ真っ赤にした顔を両手で隠す。

「会えなかったからだよ……」

「じゃあもっと会わなければ、マイちゃんみたくなんのか?」

 その意地の悪い返しに膨らませる彼女の頬を掴んだ男は、優しく潰してやる。

「私、青峰君好みの女になりたい」

「お前はずっと変わらないで居てくれ」

 そう言って、男は彼女に優しく口付けをした。最初は触れるだけのキスから始まり、徐々に互いの口が開く。何度も離してはくっ付け、最後は強引に舌を入れ彼女の口内を乱す。顔を動かす度、肩に触れたシーツがサラサラと擦れた。どちらのモノかは判らないが、唾液が甘く感じる。渡米中にずっと我慢していた男は、時間を取り戻すかのように相手の頭を掴み、キスに没頭した。

「何で青峰君……私を選んだの?」

 長い愛情表現から解放された彼女は、ずっと聞きたかった事を聞いた。恐らく上記のその質問は、全ての女性が最も交際相手に聞きたい質問だろう。

「何でだろうな?」

 ウゥム……と考える失礼な"婚約者"は「あぁ、分かった」と浅黒い指をパチンと鳴らし、より強く彼女を抱き締め自身の胸板へと押し付けた。彼女の頭を抱えた男は、意地悪そうな調子でたった今浮かんだ理由を口にした。

「……お前、オレに催眠術でも掛けたんだろ」


hypnotize
  END――