四月某日、大安吉日――。

 白いウェディングドレスを着こなしたその女性は、伸ばしても間に合わなかった茶色い髪にボリュームを持たせる為、飾りにこだわった。彼女の父親は控え室で、感涙と悲壮を交えずっと泣き続けているらしい。

 広い部屋の、大きな全身鏡の前で自分の花嫁姿を眺めていた相田は、新婦控え室のドアが開いたのを背後に見た。そして現れた白いタキシードに身を包んだ相手へ、いつも通りに声を掛ける。

「――ノックはするものでしょ? 日向君?」

「それじゃ映画の真似事みたいだろ? ……カントク」

 鏡越しに目が合った二人は、幸せそうにお互いの呼び方を笑った。今日はずっとプランを練ってきた披露宴当日。

 世界で一番幸せになろう。そう二人は目線を合わせ、互いを愛しく思う。百合の花が香るこの部屋で、日向は相田に手を差し出した。


 ………………………


「――元気だったか?」

 そう懐かしい顔触れに声を掛ける木吉は、福岡の大学へ進学していた。就職活動も器用にこなし、早々とアチラに内定を決めたようだ。膝さえ無ければ、彼もまたバスケの道へ進んでいたのだろう。ニッコリ笑った木吉は、その懐かしいチームメイトが集う場から離れ、何故か知らない人が集うテーブルへと座りだした。キョトンとする他参加者を余所に飲み物を選び出す。

「木吉サン、席こっちです」

「……好きな所座るんじゃないのか? ココが一番よく見える」

 黒子から呼ばれた木吉は、そうやってマイペースに答えた。火神をも超えた天然具合に、元メンバー達は苦笑いをするしかない。

「……火神は足首大丈夫か?」

 火神の左隣に座る伊月が聞く。彼もまた都内の文系大学に通う。噂では"ミスターキャンパス"に選ばれたと聞くが、本人は笑って答えを濁らせた。

「復帰は何時から?」

「火神ィ! 心配したんだぞオレェ!」

 席前に居る大きな目をした調子の良い先輩が声を掛けた。小金井のムードメーカー具合は相変わらずで、猫口の彼と同じ大学の同じ学部に通う水戸部がその隣で頷いている。土田は今日仕事で欠席すると通知があったとの事だ。彼からの祝電には、二人の幸せを祈るささやかな言葉が添えられていた。

「怪我と言えばさぁ、アイツ。スーパーエース様!!」

「青峰大輝……だっけ? 大手チームに入ったよなぁ……今どうなの?」

 小金井が出した話題に、伊月が乗っかる。"彼の今"を知っている黒子と火神が俯くと、二人は「スランプなんか誰でもあるからな」とフォローを入れた。

「……膝は、怖いからなぁ」

 木吉がグラスビールを飲みながら呟いた。本人にそんな気は無いのに、それを聞いた全員が思わず黙ってしまい、円卓は気まずくなってしまう。

「今季もパッとしなかったからなぁ。火神もあれなら勝てたんじゃない?」

「いや、それは……どうだろうな、ッスね?」

 元気の無い火神の返事に、小金井は違和感を持ったが、更に話題を円卓へと提供し始めた。

「紫原も凄かったよなぁ! オレあいつらに勝ったって自慢してるんだ」

 話題がNBAへと活躍の場を移した紫原へと変わる。聞けば、試合になるとスイッチが切り替わったように【強者のオーラ】を纏う様がアニメのようで、それなりに人気らしい。嫉妬から見られないでいた火神は、彼の活躍具合を初めて聞いた。

「……日向も青森かぁ」

 伊月がシャンパングラスの縁を指でなぞる。会話を"祝うべき二人"へ巧く誘導した彼は、こういう部分にも秀でていた。

「子供の名前はオレが決めるんだ!」

 そう大声で言い出した木吉は既に酔っ払っていた。ここ数日は楽しみで眠れず、且つ長距離移動で疲労が蓄積した身体へ多量のアルコールを流した結果だ。

「そう言えば、駄洒落止めたんですか?」

 黒子が伊月に聞く。今日は一度も奇妙な駄洒落を聞いていないのだ。

「言葉遊びを勉強しだすと、それだけでお腹一杯になるね」

 伊月は、そう言って気まずそうに笑った。

 黒子は、こうやって人が変わっていくのを見ると、楽しかった当時が自分を置いて離れていくようで寂しくなった。そして自分の左隣に座っている火神が、あと一週間程で恐ろしく遠い場所へ旅立つと思ったら、何故か胸が苦しく痛くなる。火神の短くなった前髪はすっかり伸び、元に戻っていた。

 ホールの照明が落ち、BGMが変わる。司会者が二人を紹介すると、披露宴が始まった。中央の赤いカーペットを相田リコと日向順平が足取りを揃え歩き出す。

「……綺麗だ」と、目元を押さえ感激で泣き出した木吉に、同じテーブルに座る五人は笑った。割れんばかりの拍手の中、火神は指笛を吹き二人を祝福するのだった。


 ―――――――――


「お前が何を考えているのか当ててやる」

 青峰の部屋に鎮座するテーブルには、美味しそうな宅配ピザとサイドメニューの揚げ物、デザートにはパンナコッタまで並べられていた。

「オレが恐ろしく男前だから、会う度に緊張するんだろ?」

「お腹空いた」

「だからこうやって傍に居たいんだな?」

「お腹空いた」

 まるで火神のように、ゴリが通るまで同じ事を繰り返す○○の態度へ、青峰は大きく溜め息を付いた。

「……居たくねぇの?」

「空腹で、胃は痛いよ?」

 青峰は笑って彼女の両肩を覆っていた手を退ける。嬉しそうな○○は、三角形の大きなピザを頬張り幸せそうな顔をした。

「食い意地ばっか張ってるから、お前太るんだぜ?」

「……えっ?」

 振り返った彼女の脇腹を摘まんだ青峰は「ココとか?」とからかう。さらに二の腕を揺すり「ココもだ」と、彼女の脂肪の存在を知らせる。最後に両胸を包んで揉むと「ココは痩せたままだな」なんて嫌味を言う。そんな失礼な向こうの手を、叩いて胸元から外させた。

「痩せるよ! 夏までには!!」

 デザートのパンナコッタを持ったままに、○○はダイエットを決意をする。

「水着買ってね! 約束だよ?」

「……痩せてから言えよ、そういうおねだりは」

 気の早いお願いに、青峰は苦笑いをした。水着なんか着せるとしたら、ワンピースのように色気も無いモノにするだろう。けど、コイツにはソレが一番似合う。

「……やっぱりヤダ。海とか行きたくない」

「比べられるからか?」

 嫉妬する彼女に堪らなくなった青峰は、舌を尖らせ耳を舐める。腕の中の彼女が、食す手を止め快感で震えた。再び胸元に手を這わせ、今度は軽装になった衣服の中に指を滑らせる。ブラジャーごと揉めば、下半身が膨張してくるのを感じた。

「――絶対胸が大きい子とかデレデレして観るんだよ? サイテー……」

「見てるだけだろ、悪ィのかよ」

「じゃあ私も観るからね? 格好良い人居ないか探すから」

「駄目に決まってんだろ?」

 フロントホックを外し乳首を捻れば、少女は「あぁ……っん」と、可愛い声を漏らす。ピザを落としそうになった○○は、ふたつ並んだ紙皿にそれを置き、後ろの彼へお願いに入った。

「……食べるの、邪魔しないで」

「ダイエットはもう良いのか?」

 青峰は、ニヤニヤしながら彼女の胸元から腕を引き抜き、その両手を自分の後頭部へ持っていく。

「……青峰君、復帰いつ?」

 青峰は、その突拍子も無い質問にピクリと反応してしまった。彼は、胸に顔を寄せてきた彼女に契約解除の件を"伝え忘れていた"のだ。

 ――否、この話題をわざと避けていた。今の自分をカテゴライズしたら、恐らくは"無職"になるだろう。それは酷く羞恥的で、プライドや自信を容赦なく奪う。

「……お前に飽きるまでは、傍に居るよ」

 ○○は、その暈した答えに複雑そうな顔をした。ここ最近の青峰は様子がおかしい。出掛ける以外はほぼ毎日「会いたい」と呼び出すし、会ったらこうやってベッタベタにくっ付いてくる。彼女の勘は、その変化を危険信号だと告げた。

 何かが変わろうとしている……――。

 でもその"何か"が判らない彼女は、また相手の両腕が自分の脇腹に巻き付くのを許可した。後ろ首に柔らかい感触を感じ、彼の飽きる事の無いキスが始まる。

 晩御飯の向こう側に乗った卓上カレンダー……。来月の八日に大きく丸が付いていた。○○は気付いてはいたが、それが何のマークか聞けずに居る。聞いたら全てが泡のように消えてしまいそうで……。

 その不安要素は、そっと胸の中にしまった。

「……色んな場所、行こうね? これからも」

 そう不安そうな顔をした彼女の頭を撫でた青峰は、相手のその小さな身体を強く胸に抱いた。


 ―――――――――


「……火神、アメリカ行くんだってな」

 会食中、日向に呼ばれた火神は新郎新婦の高砂前に居た。新婦の相田は、華やかな友人達に囲まれ撮影会をしている。

「……綺麗っス。カントク」

「馬子にも衣装だな」

 きっと彼女が聞いたら怒るだろう台詞を言った日向は、今はもう眼鏡をしていなかった。高校生から変わらない髪型なのに、顔付きが変わっている。父親になるって、どんな気分なんだろうか。

 ――ああやって逃げ出した青峰は……もし父親になっていたら、今頃どんな顔になっていたのだろうか。

「アッチで、バスケすんのか?」

「……日本は、もう息苦しくて」

「テレビでさえ見れねぇのか。寂しくなんなぁ」

 ハハハ……と笑い声を漏らした日向はグラスに入った氷水を飲んだ。そして、グラスを持った手で火神を指差す。

「困った時は、オレの嫁さん貸してやる。テレビ電話とかで良いなら、な」

 首を傾げ「アイツそういうので見れんのか?」とブツブツ言う彼に、火神は赤い頭を下げた。

「……スミマセンでした」

「何がだよ」

「迷惑ばかり掛けて……高校ん時から」

「迷惑じゃねぇよダァホ」

 懐かしい日向の口癖は、すっかりトゲが抜けて火神の背中を擦ってくれた。

「楽しかったよ、お前が居たからだ。火神」

 火神が思わず俯いたのは鼻が赤くなったからで、更に肩が震え視界がぼやける。そんな小刻みに揺れる肩へ、立ち上がった日向は手を置いた。

「……お前は、オレらの光だったからな。頑張れよ、サインくれ。後で」

 そんな些細な台詞で、新郎より一回りも大きい男は鼻を啜った後に、まるで子供のように泣き出してしまった。予想外に涙脆い相手に日向は頭を掻く。ぐずぐずしながらも火神は、元キャプテンに出国する理由を告げ始めた。

「――あっ……青峰、っ……アイツに付いて……マネージャーやるっス……しばらくは……アッチで……」

「――そうか……。火神、後悔はすんなよ?」

 深くまで聞かないその日向の優しさが、今は何よりも有り難かった。

 余りにも美しいこの会場は二人を祝福し、これからの多幸を願っている。だから火神も、心の底から日向姓になる相田と、目の前に座る先輩の幸せを神に祈った。

「――火神、いいか?"    "」

 日向はそんな彼にひとつアドバイスをくれた。

 簡単そうで、酷く難しい。ソレに潰れる事もあるかもしれない。途中で投げ出したくなっても、気付いた時にはもう逃げられないのかもしれない。……それでも火神は、そのアドバイスを実行しようと誓う。それこそが、自分を強くするから。火神は、赤い目を擦りながら鼻を啜り、太陽のように笑った。

「おめでとうございます、です! 日向サン!!」


 ………………………


「……黒子君、バカ神を宜しくね?」

 綺麗なドレスに身を包んだ"旧姓・相田"が黒子へ言葉を掛けた。高砂に居る二人を眺めていた黒子は、似合わないスーツを着て涙を流している火神を見る。

「……何でボクなんですか?」

「――さぁ? 女の勘よ」

 本日の主役は、黒子の前で悪戯に笑う。

 『どういう意味で……?』

 そう質問を投げようとした時、「リコ綺麗になったよ……お前」と、また泣き出した木吉が彼女に近付いて来る。苦笑いをした花嫁は「誰よ、こんなに飲ませたの!」と、周囲に変わらぬ気の強さを見せた。最後に相田は、クルリとこちらを向いてリップに塗れた唇を開く。

「……火神君、ああ見えて弱いから。あなたが守ってあげなさい?」

「ボクが……火神君を?」

「それが、相棒なのよ」

 今までで一番綺麗に笑った相田は、手を振りながら高砂へと戻った。

「――お守りか、黒子は」

 隣に立ち静かにビールを煽る伊月の言葉へ答えられない黒子は、不甲斐なさに拳を握った。

「……付いていくの? USAに」

「――まさか」

「二十代は、冒険する年代だぞ?」

 コツン、と頭を小突かれ伊月からシャンメリーを差し出される。黒子はふんわりした笑みを見せるその先輩からグラスを受け取ると、グラスを合わせた。カチン……と響いた音は、澄んでいて心地好い。

「いただきます」

 ゴールド色したフェイクのお酒を、黒子は美味しそうに飲む。アルコールなんか入っていないのに、周囲の浮かれたお祭り気分に感化され、自身も幸せに酔いそうになった。