「――お久しぶりですね、○○さん」

 大きなマンションのエントランスまで迎えに来た黒子が微笑んだ。淡い色のパーカーとチノパンが、清潔的で好印象を持たせる。色合いがもう少しはっきりしていれば、空気に紛れそうな存在感を少しは際立たせるだろうに……勿体無い。○○と呼ばれた少女はそう思った。

 高校生の時、彼と一年間だけ同級生だった。その時は特にかかわり合いが無く、単純にただのクラスメイトの一員でしか無かった。目立たない黒子は、いつも背が高くイカつい顔の男に隠れていたイメージしか無い。ニコイチと言う言葉が似合う二人だと思っていた。

 そんな黒子と親しくなったのは、同じ大学を目指そうと受験競争に飛び込んでからだった。今までは気にした事が無かったが、黒子は涼しげな表情の下に情熱的な野心を持っている。常に真っ直ぐで、素直で頑固……そんな魅力に溢れた人物だと気付くのに時間は掛からなかった。高校3年間をバスケ部で過ごし、今も何処かの社会人チームでプレーをたしなんでいると聞いた。その華奢な体型からは想像付かない。

「すみません、忙しい時期に」

「それは黒子君も一緒だよ」

 二人は実習期間中である。行き先はバラバラだが、進級に関わる大事なカリキュラムだ。そんなカリカリする時期に、黒子から「今日息抜きに遊ばないか」と誘いがあった。例の"背が高くイカつい顔の男"の家に友人数名が集まるので賑やかだ、と告げられている。

「男しか集まらなくて」

「私も友達誘えば良かったねー」

 話しやすいのは、彼の話すスピードが少女とほぼ同じだからだ。本当に、黒子が友達で良かった……○○は彼を信頼し、好印象を抱いていた。


 …………………


「――おう、黒子。来たか? お前のお友達」

 玄関が開くと同時に家主が顔を出す。黒いシンプルなTシャツからは逞しい腕が覗く。暑苦しささえ感じる赤い髪に、強面に逆三角の瞳。中央に鎮座する赤い瞳が、○○を見据えていた。男の最大の特徴は逞しい肉体でも赤毛でも無く、二股に分かれた太めの眉毛だ。高校時代は年齢以上に大人らしく見えた彼だが、ようやく見た目に年齢が近付いたような気がした。

「1年の時同じクラスだった○○さんですよ。ご存知ですよね?」

「……○○? 居たっけ?」

 あっけらかんと存在を忘れ去られた○○は苦笑いをする。裏表の無い素直な性格が赤毛の目立つ彼……火神大我の長所であり、短所だ。

 広い玄関で靴を脱ぐと、リビングから今度は背の高くスタイルの良い美男子が出て来る。友人とは彼の事だろう。黄色い髪と瞳は一見派手だが、端正な顔立ちから浮く事も無く、それどころか美形を際立たせてもいた。

「黒子っち、ジュース買ってきてくれたっスか?」

 あ、と言う顔をした黒子へ綺麗な男は「やっぱり、ホラ忘れてた。もう」と口を尖らせる。火神に促されリビングへ通されると、テーブルの上には美味しそうな料理が待ち構えていた。全て火神が調理したらしい。見た目によらず繊細な男のようだ。

「大丈夫っス、"青峰さん"に頼むから」

 ブー垂れながらも端正な顔立ちをした黄瀬涼太は、"青峰"と云う人物へメッセージを送り出す。金髪の彼は、何をしても格好良い……スタイリッシュな黄瀬に少女漫画のヒーローを見た。夢見がちな友達が見たら「まさに理想だ」と発狂するに違いない。

「黄瀬君……まだ"さん付け"なんですか?」

「当たり前っスよ! 黒子っち!! あの人オレの部屋のガラス、ナックルボールで割ったんスから!! 何が必殺だ……もう"青峰っち"部屋に呼ばない!!」

「室内で野球なんかやるからだろ? アホかよ」

 テーブルに皿を並べながら火神が口を挟む。彼の一言で、その"青峰"と言う男性が室内で野球のピッチングをしてしまい、黄瀬宅のガラスを粉砕したのだと理解出来た。その男が同い年と云うのならば、ヤンチャが過ぎる。

「小さくて丸いモノは全部片付けた方が良いっスよ。必殺ナックルボールが火を吹くから」

「忠告どうも……」

 呟いた火神は、熟すまで飾りに置いていたアボカドをテーブルから取り除いた。

「あの、その"青峰"さんって……?」

 隣に座る黒子に聞けば、やはり火神が横から口を挟んで来た。

「アイツにさん付けする必要ねぇよ」

 青峰さんがどんな人物か想像も付かないが、室内で野球をする辺りきっと元気の有り余る人なんだろう……と○○は推測を出す。

「噂をすれば、"青峰さん"から返信っス。【死ね】……うん、今日も冴えてる」

 投げやりだがひょうきんな黄瀬の言葉に、全員が笑う。


 …………………


 火神が作った料理はどれも美味しく、彼が用意したワインが進んだ。食事も酣になった頃、玄関のベルが全員を呼び出す。

「遅過ぎだろ……アイツ」

火神は立ち上がりながら、来訪者へ悪態を付いた。

「遅刻癖ありますから、彼」

 まだ未成年の黒子は、お茶をちびちび飲みながら火神の悪態に乗っかる。

「今更ジュース持って来られても……ねぇ」

 三者三様に貶された"青峰"と言う人物が、とうとうリビングに姿を見せるようだ。どんなやんちゃ坊主が来るのかとと期待した○○は、足音近付く出入口を見る。――しかし、件の人物が姿を見せた瞬間、彼女の期待は粉々に砕け散ったのだった。

「……コーラだ、望み通りの」

 火神の後にリビングの扉を潜り、訝しげな顔をした肌の浅黒い人物が姿を現した。黒いダウンジャケットを脱ぐと、家主と似たような格好をしていた。白いロンTにダメージジーンズ。二人は外人の様に逞しく、手足が長くスタイルが良い。褐色の腕に巻かれたアクセサリーも、男のゴツさを際立たせた。

 ――……怖い。

 第一印象は一般的な人間なら誰もがそう思うだろう。焼けたような黒肌に190cmを越える高身長。肩幅と背中は広い。眉間の皺が深く、切れ長な瞳は何者もを睨む。機嫌が悪いのか、薄い唇は間一文に閉ざされていた。

 ○○はもう一度だけ彼を見る。――丁度その時、青峰も彼女を見たようだ。見つめ合った瞬間、彼女は自分の全てが奪われた気がした。愛想の欠片もない彼の瞳から、慌てて視線を外す。……何故か心臓が跳ねて胸が苦しい。

 火神も黄瀬も、彼に何かを話しているみたいだが、○○の耳には「青峰」と呼ばれる男の声しか届かない。低く、男らしい声だった。「あぁ、そうだな」や「悪ィな」とか、そんな些細な台詞まで頭に残ってしまう。

 青峰は、俯いたままの○○の左隣へ座った。意識しなくても左側に神経が寄ってしまう。少女は、耳元まで弾ける心臓の音が相手に聞こえないか不安になった。

「そうやって女の子の横に座る」

 向かい側に座る黄瀬が青峰をからかった。だが青峰は表情ひとつ変えずに言葉を返す。

「ここしか空いてねぇんだから仕方ねぇだろ」

 そうして黄瀬の使用していたグラスを奪うと、三分の一程残っていたワインを流し込んだ。

「……んで、誰だ? お前」

 青峰は○○に声を掛ける。余りに雑な聞き方にショックを受けた少女は、身体が硬直してしまった。

「○○さんですよ、青峰君。ボクと同じ学校です」

 彼女の右隣に座る黒子が助け船を出す。

「何だ。テツの知り合いか」

 興味を無くしたのか、青峰はソッポを向く。○○がこれ幸いと黒子テツヤへ目配せをすると、彼は「酔ったんですか?外の空気でも吸いましょう」と離席を促す。この感謝の気持ちを伝えようとしても、きっと伝えきれないだろう。○○は黒子に手を引かれ、ベランダへと足を運んだ。

「――黒子っちも男かぁ……」

 ベランダに出ても尚握られた二人の手を見て呟いた黄瀬は、学生らしい淡い二人へ老婆心に似た感情を抱いた。そんな黄瀬を余所に、青峰はキッチンで洗い物を始めた火神へとエゴの強い言葉をぶつける。

「食いモン無ェぞ? 用意しろよ。気が利かねぇ奴だな!」

 彼の世界の中心に立つのは、きっと彼自身なのだろう。


 …………………


「……大丈夫ですか?」

「ありがとう、緊張したぁ」

 黒子から握られた手を振り払う事なく、○○は笑顔を向けた。そんな彼女に黒子も笑顔で答える。二人は共に並び、ベランダから見える夜景を眺めた。

 ベランダに立つ二人の背中を見ながら、青峰がグラスを傾け呟いた。

「テツの野郎……。さつきの事はもう良いのか?」

「そりゃアンタの方が詳しいんじゃないっスか?」

「……あぁ、あのスタイル抜群のおっぱいちゃんか。元気か?」

 火神と黄瀬から桃井について聞かれた青峰は、グラスの縁をなぞると「いや、分からねぇ……」と答えた。

「さつきに言われたんだよ。『大ちゃんが自立してくれなきゃ、私一生お嫁さんに行けない!』ってな。何でアイツが嫁に行けないのが、オレのせいになんだよ?」

「青峰ェ、お前が貰ってやりゃあ解決だろ」

 火神がワインを注ぎながら提案する。基より二人の親密具合を知っていた知人全員が、アイツらは結婚するのだろうと思っていた。

「……近すぎて駄目なんだ、アイツはオレじゃあ駄目だ……」

 青峰はぼんやりとベランダを見直す。黒子の笑顔に、何だか胸がモヤモヤした。隣で笑う彼女だって別に魅力的な訳では無い。……だが何か面白くない。単純に、自分より幸せな人間が身近に居るのが面白くない。青峰はいつの間にか酒を扇ぎながら、ベランダの二人を睨んでいた。


「……実習、どう?」

「楽しいですよ。授業は眠くなるので、それよりは全然マシです」

 実習とは体力勝負なんだと実感した黒子は、苦笑いしか出来ない。園児は毎日全力でぶつかって来るのだ。手加減を知らない子供の世話に、実習生達の体力は削られていく。それでも慕ってくれる園児らは可愛いし、人を保育するのは遣り甲斐を感じる。

「ねぇ、黒子君とか……彼女とか居ないの?」

 ○○のふいな質問にドキリとした黒子は、冷静を装おうとリビングの方を見る。そうやって落ち着きを取り戻してから、質問へ答えた。

「女性と縁が無いんです。ずっと部活だったし……。気づいたら、今も周りは男だらけです」

「教育学部の佐々木さんが黒子君の事、良いなって言ってたよ? 線の細い人がタイプなんだって」

「あ……そう、なんですか」

 ○○は、黒子が口ごもるのを笑った。慣れていないのか、頬が少し紅くなったのが可愛いと思ったからだ。

「ねぇ、あの人達は?」

 ○○はリビングで飲んでいる三人を見る。しかし、彼女の瞳は青峰だけを捉えていた。――彼女、居るのかな……。居たとしたらとびきり綺麗で、スタイルも性格も良い子なんだろう。じゃないと不釣り合いだ。

「黄瀬君は人気がありますが、他の二人は聞かないですね。やはり女に縁が無いんです」

 ――"彼女が居ない"。黒子が把握していないだけかもしれないが、絶望的な答えが返って来るよりはマシだ。思わず顔が緩む。だが、初対面の青峰に対する興味を悟られたくない○○は、黒子に嘘を付く。

「……三人共、背高いね。私は黒子君位が安心するかも」

「コンプレックスなので、そう言って貰えると嬉しいです」

また夜景の方を向いた黒子は、黙り込んでしまった。地雷を踏んでしまったのか不安になるが、彼は声色や表情に何の変化も見せずにまた話しを始める。

「……この後、二人で抜け出しませんか?」

 思いもよらぬ急な誘いに目を見開いた○○は、「門限あるから……」と誘いを断ってしまう。初めて感じる黒子の異性らしさに、余計な緊張が走った。

「嬉しいんだけど、今日はもう……」

「良いんです、気にしないで下さい。無理は言いたくない」

 表情が乏しい黒子にだって感情はある。提案を断られ、寂しそうな影が掛かる。心苦しくなった○○は、別の提案を出した。

「……今日じゃなくて、今度遊ぼう?」

 黒子は、その案に微笑みながら同調してくれた。

「そうですね、その方がずっと良い」

 微笑めば、微笑み返してくれるこの優しさが好きだ。――しかし、それは愛情には程遠い"好き"だった。彼女は誰かに恋心を抱く事が無いまま、今日まで生きてきた。だからきっと、恋と云う感情に鈍感なのだ。

 肌寒さからリビングへ戻った二人。先程まで座っていた椅子に戻ると、青峰は立ち上がりロックグラスと酒瓶を抱え、少し離れたソファーへと移ってしまう。

「ああ見えて、シャイなんスよ」

 不安気な顔した○○へフォローを出した黄瀬のに氷がぶつかった。結構な力で投げたのか、黄瀬は後頭部を擦りながら青峰を睨む。

「ナックルボールは止めてくれ」

 家主である火神が面倒臭そうに注意すると、青峰はゴニョゴニョと言い訳をし始めた。

「……野球は今、シーズンオフなんだよ」

「珍しい、反省してるっスよアレ」

 そう言って目を見開いた黄瀬は、驚いた顔までも整っていた。