泣き疲れグッタリした火神と別れた青峰は、さっき頭に浮かんだ少女に電話を掛ける。帰宅途中なのか、繋がる事は無かった。代わりに【明日、暇?】とそっけないメールを送り、慣れた手付きで携帯を閉じる。


 ――――――――


「……メール、入ってる」

 大学の講習室で友達と世間話をしていた少女は、マナーモードにしていたスマホにメールが入っている事に気付く。受信はつい3分前。その直前には着信まで残されていた。

「ごめん、待ってて?」

 送信者を確認した少女は友人達へそう断ると、スマートフォンを持ち出し廊下に出た。

 周りに誰も居ないのを確認し、少女は着信履歴から目当ての人物を探し出し、通話をタップする。やがて呼び出し音が3回鳴り、相手が応答すると眩い笑顔で話し掛け始めた。

「……もしもし? どうしたの? きーちゃん」

 桃色のボブを靡かせた少女は、用事があると言う【黄瀬涼太】へ、リダイヤルを掛けたようだ。

「今、時間あるっスか?」

 愛想の良い声が受話の向こう側で弾けた。うぅん……と考えた桃井は「今学校だよ?」と素直に答える。

「知ってる、だってすぐソコに居るし」

 背後で黄色い悲鳴が聞こえた。廊下に響いたソレに視線を合わせると、通路の向かいに絵画のようなスタイルを持ち、顔の整った男性が立っている。目が合った瞬間に通話は途切れ、彼はこちらへと歩み寄った。

「その髪型、可愛いっスね」

 ハットを被ったままの黄瀬は自身の頭を指差し、桃井の肩まであるボブを褒めた。

「相変わらず目立つね」

 少女は再開の喜びを笑みに乗せた。その感想へ、『当然だ』と言わんばかりに肩を竦めた黄瀬が笑い返す。

「目立っちゃうんスよ。そんなつもり無いのに」

 悲鳴を聞きつけ室内から廊下を見た桃井の友人グループは、彼女の前に立つ雑誌を賑わせているモデルの姿に気付くと、息を飲み驚いていた。

『何で教えてくれなかったの?』

 戻った桃井はきっとそう言われて、彼女達に責められるだろう。


 ………………………


「緑間っちに会ったっスよ。相変わらずだった。疲れるっス、一緒に居ると」

 黄瀬はそう溜め息を付き、変わらぬ旧友への感想を彼女に伝えた。学内にあるカフェは、学生バイトが美味しそうなコーヒーをボタンひとつで抽出してくれた。木製のテーブルと椅子が、雰囲気によく合う学内のカフェで、美男美女な二人は向かい合っていた。

「凄く有名人なんだよ? 勿体無いよね。あのこだわりさえなければモテるのに。……今日はバイオリンだって」

 黄瀬はクスクスと笑う桃井を見つめ、緑間の足下に楽器のケースが置いてあったのを思い出した。……そのバイオリンは弾く為に所持していたのでは無くて、今日の彼に必要なモノだったから置いてあったのだ。その変わらなさに黄瀬も声を上げ、ゲラゲラと笑った。

「……でも、そんな事でわざわざ来たんじゃ無いよね?」

 桃井は大きな瞳で探るような視線を送った。マネージャー時代に培った観察眼と勘の鋭さは、未だ衰えてはいないようだ。――憎い程の美貌を持つ彼女が、醜い嫉妬に邪魔されずに学生生活を謳歌出来ているのは、そのスキルを巧く活用しているからだろう。

「――分かるでしょ? オレが来た理由」

 ニッコリ笑った黄瀬は、お目当てだった"友情ごっこ"を始める事にした。口元に人差し指を付け、可愛く唇を尖らせた桃井は微笑んだ。

「――大ちゃんは、恋愛に対して純粋過ぎるんだよ。……それも凄く、驚く位に」

 ホットココアの入った陶器カップを両手で抱えた桃井は、あの日の事を語り始めた。


 ………………………


「――約束、守ったか?」

「サイテイ。本当信じらんない。オレサマ」

 待ち合わせ場所である郊外の駅中カフェへと着いた青峰に呪詛を吐いた○○は、普段より短いスカートの裾を押さえていた。

「そのマフラー、センスが良いな。誰に貰ったんだ?」

 憎まれながらも、先日贈ったマフラーを室内でも着用しているその姿が嬉しくて、青峰の口から調子の良い言葉が出た。彼女が座っていたロングソファーに巨体を腰掛けた男は、膝で頬杖を付き挨拶代わりにまた褒める。

「そのスカートも良いな、今度からソレにしろよ」

 そう言ってミニスカートを捲ろうとした青峰の手を、彼女は思い切り叩き落とす。客足が少なく静かな店内に、彼の「いってェ!」と言う叫びだけが響いた。

「――その反応は、言う事聞いてきたみたいだな」

 手を擦りながら下手くそな笑みを作った青峰は、周りを見渡し誰も近くに座っていないのを確認する。そして何気なしに彼女の胸元へ手を伸ばした。彼の手のひらはコートの内側へ入り込み、白いふわふわしたセーターの上から胸を掴んで揉み始める。その下にブラ独特の固さが無いことに満足した男は、頂点周辺を指先で引っ掻く。○○は目を閉じ身を強張らせ、彼の愛撫に興じた手のひらを掴んで抜いた。

「……変な事、しないで」

「変な事って何だよ?」

 ○○が息を上げながら公共の場でのセクハラ行為へ注意を促すと、青峰から悪戯に問われた。少女はジットリした目線と共に、野次を飛ばす。

「馬鹿……」

「馬鹿だから分かんねぇんだよ」

 青峰は油断していた○○のスカートを持ち上げ、捲った。その布の下に広がっていた光景を見た青峰は「おぉ」と感嘆の声を漏らしたのだった。

 昨日、青峰からメールで【下着の類いを着けて来るな、スカートも膝上5センチ以上】と命令された。何度も返信を送り必死に拒んだのに、シカトされ今に至る。

「青峰君のそういうデリカシー無い部分、嫌い」

 カフェから外に出た二人は、寂れた駅前を当てもなくブラブラする。むくれた彼女は足取りが速く、珍しく青峰の前を歩いていた。

「オレは好きだぜ? お前の素直なトコ」

「……えっ?」

 ○○は立ち止まり、いきなりの告白に足を止めた。そんな彼女へ視線を流した青峰は、言葉を続ける。

「あぁ、壺売ったら気持ち良く買ってくれそうだからな」

 数歩で彼女を追い越した男は、止まる事無くスタスタと先を行く。気持ちを玩ばれた○○は追い掛け巨男の背中を強く叩いた。その反撃に「うぉっ」と驚いた彼は、困った顔をしながら愚痴を漏らす。

「最近暴力酷くねぇか?」

「自業自得だよ!人前で変な事するし!あんなトコでするのやめてよ!」

「もうしねぇよ」

 ぶっきらぼうに答えた青峰は、着ていたジャケットコートのポケットに手を突っ込んだ。

「人前じゃなきゃしていいのかよ」

「何を?」

 ○○が意地悪で返せば、何の気もない顔で即答する青峰。

「エッチな事だよ」

 予想していたとは言え、そのストレートな台詞に○○の頬が赤らむ。

 青峰はポケットから手を出すと、恥ずかしそうに視線を逸らした彼女の肩を抱き、駅近くに建設されたホテルへと誘った。


 ――――――――


「……何であんな事したんスか?」

 黄瀬が厳しい口調で問い質したのは、昨年のクリスマスイブに前の彼氏と夜の街へ消えた理由だった。桃井に対して厳しく出来るのは、もうずっと長い付き合いになるからだろう。あまり人と関わり合いを持ちたくない黄瀬は、こうやって感情のままに接する事が出来る相手の方が、ずっと少ないのだ。

「……あんな事でもしないと、大ちゃんは私を吹っ切らないから」

 黄瀬は、寂しそうにカップの底を眺める桃井から視線を外す。彼のその悩ましげに眉を潜めた姿は、まるで映画の登場人物だ。頬杖の角度さえも美しく見える。

「アンタなら、一生あの人の傍に居れると思ってたっスよ……」

「私だって居たかったよ? でも、無理だったんだよ。……私は、そんなに強くないから」

 桃井がああやって残酷な方法で青峰を突き放したのは、彼女には重かったのた。

 青峰大輝の愛は、他人と求めるモノが違う。……だから桃井は、ずっと幼馴染みのままで居ようと決めた。

「こうやって幼馴染みしてた方が……ずっと傷付かないで済むから……」

 桃井の顔からは笑みが消え、残ったのは暗い感情だけだった。その暗さは彼女の美しさをより際立たせた。


――――――


「大ちゃんの言う事がコロコロ変わるのは、その時その時の考え方自体が変わるって事だし」


「なぁ、誰に触られてもこんなんなるの?」

 青峰の太い指先が、○○の濡れた割れ目を撫でる。男はわざとらしく音を立て、「淫乱だ……」と呟いた。

「……分かんないよ。他の人に触られた事無いし……」

「火神の時は? アイツの色気にドロドロか?」

 自分からそう聞いたのに、厭になる程に心が痛くなった。彼は知っている。この感情は悲壮感と嫉妬だ――。大好きなオモチャを取られて泣きそうになる子供と同じ感情なのだ。

「――覚えてないよ。だって、それよりもショックだったから。青峰君が誰かと過ごしてるって聞いて……」

 青峰はその返事に小さく笑うと、自分の下に仰向けで寝かされた彼女の左手を握る。恋人繋ぎで互いの指を絡ませると、何故か心地が良かった。


「自分の全てを受け入れてくれなきゃすぐ機嫌悪くなるし。……臆病なんだよ。嫌われるのが怖いの」


「……お前、オレのドコが好きなの?」

 耳元で甘い質問を投げられた○○は、モジモジして横を向き視線を逸らす。青峰の唇が愛撫を始め、彼女は首筋に柔らかい感触を覚えた。そのくすぐったさに身体が小さく反応する。

「――言えよ……。コレ?」

 青峰はそう言って自身の性器へ、指を絡ませ繋いでいた○○の華奢な手を誘導する。反り勃ったソレの熱さに、少女はヘソの辺りが疼いた。収縮する甘い感覚に意識の全てを支配される前に、言葉を始める。

「……違う……コレもだけど」


「生まれてから今日までずっと自分だけを一途に愛してくれて……これから先も一生そうやって愛せる人じゃなきゃ駄目なんだよ? 酷いよね。でも大ちゃん……誰かと比べられるの嫌いだから」


「……青峰君の、全部が好き」

 震える○○の口元から、告白の言葉が出た。羞恥心の逃げ場となった真っ赤な頬に、青峰の手が滑る。

「じゃあ、オレだけ見てろよ。……ずっと」

 顔を抱えられた少女が目を閉じれば、相手の唇が近付き舌が口内へ下りてくる。――そして甘いキスが始まった。まるで犬や猫がミルクを舐めるような相手の舌遣いに、○○の腰は痺れてくる。


「それだけ深く愛しても、結局欲しいのは"愛"そのものみたい。――器って言うか……。その人自体には興味が無いの、大ちゃん。都合が良いんだよ?」


 青峰の大きな手が、組み敷いた彼女の目元を隠す。

 ――こうやって、もう自分以外の全てが見えなくなれば良いのに……。青峰はそんな下らない事を考え、支配欲に飲まれる。

「……お前の口は、好きだ。どのオンナよりもな」

 青峰はお気に入りの唇を親指でなぞり、形を確認すると、再びキスで塞いだ。○○の目元から手を離し、先程より深く舌を口内へ滑らせて、更に欲望の渦へと潜り込んだ。


「自分は相手のオンリーワンじゃなきゃ駄目なのに、愛してくれるその相手は誰だって良いんだよ? ……そんなのって、寂しいよ」


「……好き、青峰君……すき――」

「あぁ、知ってる」

 青峰は相手の前髪を撫で、額にキスを落とした。少女は色黒な彼の広い背中に腕を回す。その重なる体温が気持ちよくて、○○は相手の身体を引き寄せた。青峰は彼女のおねだりに答え、密着するようにのし掛かる。向こうの体重が掛かり、○○は守られているような安心感に身を任せた。

「他のオンナじゃ勃起もしねぇ」

「試したんだ……。他のオンナで」

 拗ねた彼女は投げやりな口調で青峰を責める。『そうきたか』と云う微妙な顔をした彼は、愛しそうに○○の髪を撫で、愛を初めて囁いた。

「――言っただろ? オレはお前のそんな素直なトコが好きだって……」


 ――――――――


「……もし仮にっスけど。……そんな滅茶苦茶な愛し方が出来て、そんなんで満足する馬鹿なオンナが居たら?」

 黄瀬は腕を組んで桃井からの回答を待った。授業が始まったのか、カフェに居る客は少なくなっていた。

「きーちゃん……。本当にそれで良いと思ってる?」

 『絶対に無理だ』と言いたげな桃井は、首を横に振る。黄瀬は考え込むように口元を手で押さえた。見解を全て言い終えた桃井は、ここまで足を運んだ黄瀬に問いた。

「……これで、満足出来た?」

 ――そして彼女は、一番大事な部分を付け加えるのだった。

「大ちゃんの恋愛の到達点は愛じゃないの。……ただの"エゴ"なんだよ」

「だから、長く続かないんスね。あの人」

 ハットを深く被った黄瀬は、口元だけを笑わせ目元を巧く隠した。

 ――不器用過ぎる。青峰大輝は"正しい愛し方"を知らない。だが、それは自分……黄瀬涼太にも言える事だし、恐らく火神大我もそうだろう。

 桃井の説明全てに自身の理想が当てはまってしまった黄瀬も、相当エゴにまみれた人間だった。だから彼も、恋人を作りたくなかった。――理想を叶えてくれる相手が現れるまでは。現れないのなら一生独りでいるつもりだ。

 どんなに綺麗な顔をしていても、どんなに明るく誠意に努めても、どんなに秀でた才能があっても……彼等は愛し方も知らない只の生き物だ。

「愛し合ってる内は良いよ? でも、長く居すぎてどっちかが"情"でしか付き合えなくなったら……簡単に終わるよ? 大ちゃん、捨てるよ? ……相手をゴミみたく」

 ……きっとそうなのだろう。残酷だが、"器"に興味が無いのなら、"愛"と云う中身が無くなった入れ物は、途端にガラクタへと姿を変えてしまう。

「そんな愛され方、私には……無理」

 小さく囁いた桃井の瞳からは一筋の涙が零れ、線を描いていた。その涙は何を指しているのだろうか。黄瀬は敢えて聞かず、さよならも言わずにその場から立ち去った。