一月三十一日。06:49AM。

 少女はお腹の痛みで目が覚めた。デジタル時計の時間に驚き、黒子との約束を果たす為に行動を開始した○○は、身動きが取れない事に気付く。それは後ろから羽交い締めに近い形で抱き付かれているからだ。相手は、まるで所有物を抱えるように彼女を両手で包み、その寝息が髪の毛を擽っていた。

 あれから何度も何度も強引に繋がり、彼は獣のようなセックスをした。擦れて赤く腫れた陰部は、身動ぎをする度に傷む。針を刺されたようなソコの痛みが"愛の証"だったら、どれだけ嬉しかっただろうか。極度の空腹と、いつもの性交痛がセットになり○○の胃から下をキリキリと締め付けた。彼女は、その痛みで目が覚めたのだった。

 アイツ以上の女は居ない。

厳しく冷たい言葉だ。彼の内側に入るのを拒まれた。青峰の心はたった一人にしか向いていなかったし、そしてこれからもそうなのだろう。○○は鼻を啜り、この場から脱出する事だけを優先させる。待ち合わせの10時から逆算しても、今ならギリギリ間に合う。だが一向に動けない事に、少女は焦った。

「――朝かよ。寒ィ」

 寝惚けた声が背後から聞こえる。目を覚ました青峰は、脳みそをまだ夢の中に置いてきたようだ。相変わらず彼女を大事そうに抱え、掛け布団を引っ張り二人の露出した裸を隠す。

「私、約束あるから帰らせて?」

「あぁ、じゃあ勝手に行けば?」

 彼は掠れた声でそう言うと、あっさり拘束していた腕を離し、背中を向け布団の中へ潜った。"行くのなら、オレへの全てを振り切って行けよ"。――そう言われた気がして、少女の内に悲壮感が込み上げた。

 ○○は、青峰の口癖が好きだった。彼はいつも"あぁ"と相槌を打つ。

『あぁ、そうだな』

『あぁ、お前は』

 ……そう言えばメールの返事も【あぁ】の一言だった。快感で漏れ出た声も、何かを察する時も、許可する時も、自分を馬鹿にする時も……。一言目はそれが多くて、彼女はその口癖の傍に居たかった。その面倒臭そうな言い方が彼らしくて、凄く愛しいと思っていた。

「……ありがとう、ございまし……た」

 静かに温もりから脱出した○○は、室温の冷たさに身震いをした。そうしてベッド外に放り出されていたキャミソールを手繰り寄せ、胸に抱え唇を噛む。盛り上がった布団からはやっぱり「……あぁ」とだけ返事が帰ってきた。

 ――冴え始めた頭をバリバリと掻いた青峰は、同じく冴え始めた目をすぐ背後で着替える彼女へ流す。そして何も身に纏わない自分を余所に、彼女がコートを羽織る事が面白くなかった。

 今日と云う重要な一日。彼女とは同じ格好で同じ布団に潜り、互いの肌を共有していたかった。その理由は、酷く傲慢で低俗で下衆で、自分だけが救われる……。そんな事の為だけに、だ。

「どこ、行くんだよ?」

 青峰は無駄の一切を削いだ上半身を起こし、自分の元から旅立とうとする彼女の華奢な手首を掴む。身仕度を終えた相手は、突如の引き止めに息を飲んだ。

「黒子君の所、行かなきゃ。離して?」

「雪、降ってる」

 窓の外には白い塊がチラリチラリと風に揺れ舞っていた。電車は動いていない。――そう遠回りな言葉で青峰は、約束を破る事を教唆するのだ。

「バスなら走ってる筈だし。……黒子君ならそうする」

「あぁ、そうだろうな」

【黒子テツヤ】は誠意が服を着て歩いているような男だ。今までだって、どんな困難も誠意と根性で乗り越えて来た。雪程度で約束を果たさない野暮な人物では無い。――また青峰の中の劣等感が逃げ場を求め出した。

「寒いからコッチ来いよ」

「なら暖房付けて? 服を着て!?」

 段々と彼女の声が、焦りで乱暴なモノになる。青峰はそんな彼女が可笑しくて、嘲りを交えた笑いを漏らした。

「お前が温めろよ。そういう役割だろ?」

 ○○は、右手を振りかぶり彼に怒りをぶつけようとした。そうやって身勝手に振り回される事から離れたいのだろう。しかし、あと数センチの所で青峰の大きな左手は、彼女の小さな右手首を掴んだ。動体視力と瞬発力の高い彼は、こんなのワンモーションで回避出来る。

「……ビンタは、され飽きた」

 何事も無かったかのような表情をした青峰は手を後ろに引き、彼女を両腕で受け止めた。男は胸元にすがる形となった少女の首筋にキスをし、唇を押し付けたまま強く吸う。

 唇離したその場所には、綺麗な痣が出来ていた。

「やっと付け方が分かったな」

 そして、青峰はそのすぐ横にもう一つ自分の印を付け始める。○○は必死に抵抗を始めた。

「もう止めて!」

 それが誰の為の中止要求なのか知っている青峰は、彼女のコートを開けてその肌を舌で湿らせる。寒い室内に、彼の唇から漏れる淫靡なリップ音が響いた。寒さで透き通った空気は、その音をよりクリアにするのだった。


 ……………………


 水色の髪が景色に溶けそうな少年は、待ち合わせのバス亭に腰掛けていた。雪は目の前の風景を変えていく。白い結晶は風とダンスしながらチラチラと軌道を変え、落ちていった。灰色掛かった空を見上げると、少年の顔面に雪の粒が掛かる。じわりと溶け、顔を濡らすのだ。この液体もやがて気体となり、また宙に還る。世界は見事に循環していのんだ。

 この身も最後は朽ち果て、地に還る。きっと彼女も、青峰も火神も黄瀬も……。万物に"永遠"なんて存在しないから、雪は綺麗で、不安は消え去り、こうして彼等は人を愛せる。

「……電車、まだ止まってるんですかね」

 誰も答えてくれないその質問は、吐く息と共に眼下を白く曇らせ消えていった。待ち合わせの時間から20分経っている。それなのに連絡も無いなんて、○○らしくない。ふと、その彼女の台詞が頭をよぎった。

『ずっと、リアルタイムで相手が何をしているか考えるんだよ。きっと焦ってる、連絡する間も惜しい位。今、走って転んでるかもしれない、電車に揺られあの駅に居るかもしれない。必死に言い訳を考えてるかもしれない。そう考えたら、怒る暇ないよ?』

 彼女は優し過ぎる。こんな世の中じゃ、他人に優しい人間はすぐに潰れるだろう。でも、黒子は彼女を信じたかった。そうしてアドバイス通りに、彼女が今何をしているか考え始めた。お洒落に時間を遣い過ぎた自分へ頬を膨らませているかもしれない。もしかしたら、人助けをしているかもしれない。

 そうだったら、大変な人だ。

 白い世界で、少年は静かに微笑む。

 だが、空想に乏しい黒子の脳内劇場はすぐに終幕を迎えた。かじかむ指先が痛くて、手のひらの中に折り込む。時計を見ると、あれから5分、時が過ぎていた。本当に、何かトラブルに巻き込まれて手こずっているのかもしれない。

 黒子は自身の携帯をコートから取り出すと、彼女へと電話を掛けた。


 ……………………


「……うるせぇんだよ。止めろよ、電話」

 青峰は、テーブルの上で鳴り続ける着信へ文句を付けた。そして泣くのを止めた少女から、性器を抜く。少女の陰部は渇き赤く腫れ、酷く痛々しかった。

 こうしてずっと長い時間交わっていると、腰だって鈍く痛んで来る。ジワジワと痺れを含んだその痛みさえ、男の性欲を押し留める事は出来ない。

 元々青峰はプロのアスリートだ。三十分近い時間を全力疾走する競技は、攻守が激しく入れ換わる。その為、休む暇すら彼等に与えないのだ。脚力も体力も精神力も、並外れにその身へ定着させる。したがって、人並み以下に体力が無い彼女は動けなくなれば、まるで人形のように扱われるのも当然だ。

 褐色肌に汗を纏った男性は、一度だけ食事を買いに外に出た。せっかく逃げるチャンスを与えたのに、彼女は玄関で小さく丸まり泣いていた。青峰はそんな相手にゼリーを与えたが、向こうはソレを口にしなかった。

「お前が出ねぇなら、オレが出る」

 そう言って身体を動かすと、○○は懸命にすがり付いた。彼女は激しい行為で乱れた髪を直しもせず、涙の線が痕を引く腫れた眼差しで懇願する。

「……これ以上……もう、傷付けないで」

 青峰は、罪悪感から思わず目を逸らした。○○のスマホを握り、使い方が不明ながらも勝手に操作し履歴を開く。そうして着信の相手を確認すると、すっかり自分により汚されてしまった少女の傍に放る。着信は2件、どちらも黒子テツヤからだった。

「もう、待って無いかもな」

 湿度と熱気で結露した窓は、水滴が筋を作っていた。そのストライブ越しの世界は、雪が舞い白が全てを飲み込む。髪を垂れ、両手で顔を覆った○○が啜り泣き始めたのは、雪の中をひた向きに待っているだろう黒子テツヤへの罪悪感からに違いない。そうでなければとんだ悲劇のヒロインごっこだ。

 電話も掛けられない○○は、相手の大きな手がこの電子機器を再び握らないよう大事に胸へ抱え込んだ。こんな事をしている間にも無情に時間は過ぎ、黒子の20歳の誕生日はこのまま終演を迎えるのだろう。

『キミと彼を引き合わせなければ良かった』

 あれは彼女への謝罪では無く、彼自身の後悔だったのだと、○○はたった今気付いた。本当に傷付いたのは彼女じゃない。黒子テツヤだったのだ。

 やがて○○が握っていたスマートフォンに一通のメールが届く。青峰はオンナの手から静かにソレを奪い、手が届かないだろうテーブルへと戻した。そしてまた、力が抜けたオンナの身体を優しくベッドに押し倒す。


 ――――――――


 "いつもの場所"……と言えば、大抵が火神のマンションを指していた。そんな溜まり場になった一室に、二人の大男が居た。リビングのソファーに座り足を組む黄色い髪の男は、テーブルに凭れ掛かり立つ赤髪の男の話を聞き、愉快そうに肩を震わせる。

「へぇ? 青峰っちって、そんなになるんだ。愉快な話が聞けたっス」

「それを"愉快な話"だって言えるお前が怖ェよ」

「怖いのはソッチっスよ」

 火神がクリスマスにあった事を何ひとつ隠す事無く言えるのは、顔しか綺麗とは言えないモデルのコイツしか居なかった。黄瀬は、その綺麗な仮面の下に恐ろしい混沌を隠している。――この男が一番喰えない……。知り合った誰もがそう感じる。何人のオンナを泣かせてきたのか知らない。教えてさえもくれない。恋焦がれた果てに命を断つ奴も、少なくは無いだろう。

 狂おしい程に、ミステリアス。それこそが黄瀬涼太を纏う魅力だ。

 黒子も青峰も、この男の本質には気付かない。――いや。知ってはいるけど、あえて触れないように仲を続けていると言うのが正しいのかもしれない。二人は火神程、好奇心が旺盛では無い。黄瀬とは、昔からポテンシャルが見えない"底無し沼"のような男だ。

「――アンタはもうひとつの"真実"には気付かない。実はそれが一番怖いんスけどね」

 そんな誰よりも腹の黒い黄瀬は、グラスの縁を撫でながら呟いた。聞こえていない振りをする火神は、ストレートに青峰を馬鹿にする。

「天才も、恋をしたらただの人だな」

「火神っち、そんなんじゃなかったのになー」

「……はぁ? どんなんだよ?」

「もっとこう……、うるさかったっス。暑苦しいから近寄って欲しくなかったし」

 彼の正直過ぎるイメージに、火神は大声で笑う。

「嫌いじゃ無かったっスよ?」

 黄瀬だって、火神と仲違いしたい訳では無い。一応のフォローは入れておく。

「んで? 何を経験しちゃったの? アッチで」

「……さぁな? 知ってどうすんだよ?」

 火神は笑いながら言葉を返した。その瞳が黒に染まっていたのを感じ取った黄瀬は、面白そうに笑い返す。常に楽しそうな黄瀬涼太は、どんな事も愉しそうに解釈する。演技と本気の境界線が見えないのも、彼の魅力だ。見ようと思えばどちらにも見える。――やはり喰えない男だ。

「でも、今のアンタも嫌いじゃないなぁ。……いや? むしろ興味が沸く?」

 黄瀬はそのアーモンドの形をした大きな瞳を、目の前の男へ向ける。先の台詞から黄瀬の喋り方と共に雰囲気が変わった。それに気付いた火神は凭れていたテーブルから離れ、彼の左隣へと座る。

「奇遇だな。オレも、別に嫌いじゃねぇけど」

 火神はサイドテーブルにグラスを置くと、小さく首を傾げる。目を瞑る事無く、睨み合ったままの二人は顔を近付け始めた。僅かに目線を逸らしたのは黄瀬で、その瞬間に立場の優劣が付いた。優位に立った火神は右手を伸ばし、彼の"出会った時から付いていたピアス"へ触れる。

 唇が重なりそうになった瞬間、すぐ近くにあった火神のスマートフォンが彼を呼び出した。二人は僅かに顔は離すが、探りあうような視線を逸らす事が無い。家主は、空いていた左手で音の発生源を掴む。

「……頼られるって、厄介だな」

 口角を上げながら自身への"当てこすり"を飛ばした火神は、着信へ応答する。そして相手の第一声を聞いた瞬間に持ち前の大きな声で祝福した。

「よぉ、黒子! ハッピーバースディ!」

 黄瀬はその変わり身の早さにニヤリと意地悪く笑い、電話の向こうで何かを話している黒子へスカシた台詞を吐き、シャンパンを口にした。

「大人の世界へ、ようこそ」