「だいちゃ〜ん、コッチコッチ」

 駅前通りに面した大通り。多種多様な居酒屋・クラブが並ぶ【呑み屋街】に、アイドルにも見間違う程整った少女が顔を赤らめ、男のアダ名を呼ぶ。それは二人が小さい頃から慣れ親しんだあだ名で、青峰は羞恥から首を掻いた。

 そんな彼女の前には如何にも遊んでいそうな男性二名。にやける顔を隠す事もせず、目線を顔と胸元に注ぎながら彼女にアピールをしていた。大方、少女の美貌とスタイルに惹き寄せられたナンパ野郎に違いない。溜め息吐いた青峰は、三人へと近付いた。

「ゴメンねっ。バイバイ」

 その綺麗な少女は青峰の腕に抱き着くと、ナンパ目的の二人に可愛く別れの挨拶をした。「ツレが居んじゃねぇか……」と悔しそうな顔をして立ち去っていく二人を見送った彼女は、長身の幼馴染みを見上げた。

「久しぶりだね」

「相変わらずデケェ胸」

 千鳥柄のお洒落なコートを窮屈そうに押し出す胸元は、青峰の二の腕により形を変えている。彼の幼馴染みは甘い香りがした。その嗅いだ事の無い匂いに、青峰は少しだけ知らない彼女を見た。そんな男のセクハラ紛いな台詞に、彼女はハンドバッグで尻を叩いて怒る。

 二人は車のライト・街頭や看板、店先の照明で未だ明るい大通りをフラフラと歩く。桃井は腰まであった髪を肩でバッサリ切り、ぐっと大人っぽくなっていた。幼い頃から慣れ親しんだ大きく輝いた瞳、高い鼻に形の良い柔らかそうな唇……彼女の完璧な造形は、化粧により更に磨きを掛けていた。ファッション雑誌から抜け出したような美少女に、すれ違う全ての人間が振り返る。そんな眩い彼女へチョッカイ出そうとする奴を視線で牽制しながら、三歩後ろをトボトボあるく青峰はまるでボディーガードだ。そうして自身への皮肉を飛ばしながら、目の前を歩く【お姫様】を気に掛ける。

「……足、大丈夫なの?」

 国道を横切る横断歩道の真ん中で桃井は振り返り、青峰へ訊ねた。

「……あぁ、まぁな」

 男が目を伏せ嘘を付けば、彼女は寂しそうな顔をする。信号を待つ車のライトが、左右から彼女を照らした。どこに居たって桃井は美しい。それは変えられない事実だ。

「……何で、そうやって嘘付いて……心配させるの?」

 青峰が何も言い返せずに押し黙っていると、歩行者用の信号機が点滅を始る。無言のまま歩き出し、彼女の手を引いて国道を渡りきった青峰は、握った手を即座に離した。その瞬間に背後の車が動き出し、エンジンとタイヤの擦る音で騒がしくなる。

「病院行くの、怖いんでしょ……? 『もう治りません』って言われるのが、嫌なんでしょ?」

 全てを見透かすような視線を背中に感じた。

「……大ちゃんは、弱いよ」

 幼馴染みの少女から批難された青峰は、静かに口を開く。

「行くよ。ちゃんと」

「絶対行かない! だって大ちゃんだもん!!」

「どんな理由だよ……」

 青峰は小さく笑った。彼女の前だと無口になってしまう。それが恋をした青峰大輝だった。

「だから私が連れてってあげる。一緒に病院行こ」

 青峰は、微笑む桃井に愛しさを感じた。幼い頃から一緒だった彼女は、青峰大輝を誰よりも知っている。

 ――本当は怖い。膝の痛みが、永久に競技の妨げとなるかもしれない。そう言われる気がして病院にも行きたくない。だから、誰かに寄り添って欲しかった。最悪な事態が訪れた時、それでも傍に居てくれる誰かが欲しかった。

「23日から冬季休暇だから、コッチ戻ってきてあげる」

 そう言ってスケジュールを教えてくれた桃井は、現在スポーツドクターを目指し隣県の医科大学へと通っている。彼女は難関な入試を突破し、才色兼備になってしまった。周りは医者の卵だらけだ。別れたと言う彼氏も、開業医の息子だと聞いた。桃井との間に格差が出来たと感じる青峰は、自分じゃ不釣り合いだと嘆き、彼女から離れた。

「別れたの、大ちゃんのせいなんだよ……?」

「……お前、何でもオレのせいにするんじゃねぇよ」

 青峰は鼻で笑い余裕を見せるが、内心バクバクした心臓が煩かった。

「……あんまり私が大ちゃんの事、心配するから……アッチが怒って喧嘩になったんだよ?」

 俯き恥ずかしそうに目を伏せる彼女を抱き締めたくなった青峰は、手をジーンズのポケットに捩じ込んだ。幼馴染みと云うかけがえの無い存在を、性欲で壊したくは無い。

「……今日だって、大ちゃんに会いたくて……ここまで来たんだから」

 男は、目の前の可愛い生き物が小さい頃から一緒に居た幼馴染みであると信じられなくなった。

「……いいから、帰るぞ」

 青峰は彼女の前を歩き出した。顔を真っ赤にしながら――。


 ――――――――


「最近、可愛くなったねアンタ」

 キャンパス内を歩きながら、高校からの友人に成長を褒められた○○は、恥ずかしそうにモジモジした。恋が女を綺麗にするとは本当で、彼の事を考えると食事も喉を通らなくなる。体重が3キロ落ちていたのには驚いた。

 ……青峰君、どんな子が好きなんだろう。絶望的に無い胸を膨らませ、彼女は照れた。

 来週からは冬休みが始まる。○○は、クリスマスを彼と一緒に過ごしたいと思っていた。夢を見る位なら、神様も許してくれる筈だ。しかし、彼女が電話をしても向こうが出る事は無かった。連絡付かない事に不安が加速し、その度に下腹部を押さえる。そして『大丈夫だ、大丈夫だ……』と言い聞かせた○○は、独りで"ある心配事"を背負っていた。

 視線を感じたので顔を上げると、偶然にもすれ違った黒子がこちらに手を振っていた。相変わらずの影の薄さで、振り返ればもう姿を眩ませている。

 ――彼には絶対相談出来ない。彼女が抱える悩みは、友人にも親にも、誰にも言えない。ふと一人だけ脳裏に浮かんだが、頭を振り彼を頭から消そうとした。

 火神大我……。悪戯にキスをして来た男だ。○○は、ふいにあの瞳と舌の動きを思い出してしまい、腰元が疼き震えた。彼女の恋心を知り、且つ『青峰はやめとけ』と釘を刺した、唯一の人物だ。強引でキザな部分はあるが、憎めない真っ直ぐな性格をしている。そう言えば高校では入学早々、屋上で意気込みを叫んでいた事もあった。今も『やれ』と言われたら、スカシながらもやりそうだ。何かと目立つのが好きなのだろう。

 ○○は不安を取り除きたいのに、どうしようもない己の無力さに立ち竦む。友人が心配そうに顔を覗くのだが、大丈夫だとは言えなかった。


 ――――――――


「……へ!? じゃ、元サヤじゃないっスか」

「意味違くねぇか? ソレ」

「桃井さんと青峰君、やはり二人ワンセットじゃないと落ち着かないですからね」

 定例になりつつある火神宅での呑み会には、いつもの四人が集った。青峰は頭を掻き、恥ずかしそうに呟く。
「病院行くだけだよ、一緒に」

「テメェは一人で病院にも行けねぇのかよ」

 そんな情けなくも初々しい青峰に、火神は厳しいツッコミを入れた。辛辣な言葉と子供めいた青峰に堪えきれず、黄瀬は吹き出し大声で笑った。

 口をへの字に曲げた青峰はソファーへと逃げた。

「浮かれてるっスよ、アレ」

「判りやすい方です、相変わらず」

 黄瀬は青峰を指差してからかう。お茶を飲みながら黒子も賛同をした。

 青峰から『桃井が彼氏と別れ、冬休みに戻ってくる』と聞いた三人は、男がほんの少しニヤけているのを見逃さなかった。まぁ、そりゃあれだけ魅力溢れる女性が傍に居てくれるとなれば、その気持ちも判らなくはない。しかも、相手は小さい頃から一緒に居る幼なじみ。映画か何かでは、離れた二人が再び惹かれ合うまでがセオリーだ。

 火神が『あのオンナはもう良いのかよ』と聞こうとしたタイミングで、彼のスマートフォンが持ち主を呼び出す。画面に表示されている名前が"今話題に出そうとしている彼女"であるのを知った赤毛の男は、周りに一声掛けると席を外して廊下で応答した。

「おう、どうした?」

 あんな事をした後に、向こうから着信があるなんて予想もしなかった。しかしポジティブな彼は、これをチャンスだと思い、彼女に先日の謝罪をする気だ。

『……青峰君、最近……会った?』

 謝ろうとしたのに出鼻を挫かれた火神だが、その元気が無い声に相手の心配をする。

「今、一緒に居るぜ?」

 取り次ごうか聞くと『いい、大丈夫』と抑揚の無い返事が返ってきた。彼女がこうなってしまった理由は、ひとつしか思い浮かばない。

「連絡、付かねぇのか?」

 無言になった相手に、火神は小さく溜め息を付く。

「またかよ、青峰……」

 青峰と二人で遊びに繰り出す事の多い火神は、こうなる度にいつもオンナ側をフォローしなくてはいけない。赤毛の男は、いい加減青峰の思い遣りの無さに憤りを感じる。

「言っとくよ、連絡してやれって。アイツ今、浮かれて……」

 会話の途中で火神は余計な事を言っていると悟り、すぐに口を接ぐんだ。青峰に対して恋心を持った女性なら『青峰は今、片思いが始まり喜んでいる』なんて事実は、耳に入れたくないだろう。「何が?」とは聞かれない。彼もここからどうフォローすれば良いのか判らず、お互いが気まずい無言が始まった。

 口を開いたのは彼女で、それはぼんやりとした意識が些細な悪気を見せた結果だった。火神にこれを言う事で、少なくとも二人に置かれている状況がどんなモノなのか理解されてしまう……。それでも○○は、今独りで抱えている不安を口にした。

『――生理、来ないかも』

「……どういう意味だよ」

 その言葉に火神の顔と声が険しくなる。そのトーンの下がった声を聞いた瞬間、○○は自分が何を言ってしまったのかに気付いた。彼女は、関係無い火神を巻き込んでしまったのだ。青峰の信用を失わせる言葉を吐いてしまったのだ。そうして彼女は自分が穢く、そして惨めな人間なのだと自覚する。

 堪えていた涙が溢れ、○○の視界がぼやけた。彼女の右手親指は、通話を終了させる。電話の向こうに居る赤髪の彼が、これ以上何かを知る前に……。

 途切れた通話の先に終了の音が響いた。火神は耳に付けたスマートフォンを離す事なくその場に佇む。

 『青峰君、ゴム付けてくれない』とぼやいた過去のオンナ達が頭を過った。火神は、その度に『頼めば良いだろ?』と返していた。簡単な事だ。嫌なら拒絶をすれば良い。その意思表明なら赤ん坊でも出来る。

 ――違う、そうじゃないんだ……。そんな単純な事じゃない。

 火神はこの時初めてある真実に気付いた。彼女は自身に芽生え始めた恋を成就出来るように、彼のワガママに身を委ねた。馬鹿だ。本当に馬鹿な女だ。

 ……でも、だからと言ってソレを蹂躙する男は、もっと馬鹿だ。

 強引にキスをした事を思い出した。単純だ。青峰の行為も、アレの延長上にしか過ぎない。言い訳が違うだけで、嫌がる相手を手込めにしていた。やっている事は二人一緒だ。

 ――だけど、二人には明確に違う部分がひとつだけあった。

 火神はリビングに戻ると、ソファーに座りテレビを眺め笑っている青峰の元へ真っ直ぐ進んだ。テーブルに座りトランプゲームに興じていた黒子と黄瀬は、帰ってきた火神の目が怒りに燃えているのを感じ、思わず立ち上がった。

「……オイ」

 低い声で目当ての彼にたった一言話し掛けると、相手がテレビから視線を移動させるよりも先に左手で胸ぐらを掴み、無理矢理立たせる。いきなりの乱暴に青峰は目を見開き、何かを伝えようと口を僅かに開いた。相手の口から言葉が出る前に、火神は反動付けた右拳で頬を殴打していた。鈍い音と痛みが、彼らに響く。

「火神君! 何してるんですか!」

 何も知らない黒子が吹き飛ばされた男の元に駆け寄った。頬に打撲痕が出来た青峰は、痛む頬を擦りながらも無言を貫く。火神は拳に怒りの感情を乗せ、相手にぶつけた。

 ――ゴムを付けずに行為をするのは構わない。そんなのは自己責任で、お互い合意さえあれば好きにすれば良い。火神は、"甘い"と批難されるのを知りながらもそう思っている。だけど責任と不安を相手一人に押し付け、逃げるのは違う。最低な糞野郎のする事だ……。

 だから、そんな事を平然とやってのける青峰に腸が煮えくっている。更に、無理矢理身体を押し付けようとしたあの時の自分にも腹立って仕方無かった。自分の何もかもが嫌になりそうだ。何がその場しのぎの愛だよ、クソッタレ。

 目線を伏せたまま動かない青峰が、そのまま自分だけ嫌な事から逃げようとしているんじゃないかと感じ、火神は怒鳴った。

「青峰テメェ!!」

 火神が動き出し再度青峰の胸ぐら目掛けて手を伸ばせば、黄瀬が慌てて背後から羽交い締めにする。そうして身動きが取り辛くなった火神は、深呼吸を繰り返し腕の代わりに冷たい目線を青い髪の男へと投げた。

「……生理、来ないかもって……何だよ」

 その台詞を聞いた黒子と黄瀬は、内容に驚いて青峰を見る。二人が事情を知らなくとも、火神が何故怒っているのか大体の察しが付く。六つの視線を感じながら、青峰は「そうか……」とだけ呟き、また無言を始めた。

 火神が誰の事を言っているのかは理解出来た。だって、彼女から数回着信があったのには気付いていたけど、ソレに出なかったのだ。理由はただ、目の前の恋に夢中になっていたからだ。

 幼馴染みを幸せにしたいのに……幸せになりたいのに立ち塞がった○○と言う存在。青峰は自身の情けなさに口角が上がり始める。

 反省が見えない青峰に愛想尽かした火神は、黄瀬の腕を振りほどき青峰へ背を向けた。

「……氷、要るだろ」

 そのまま家主はキッチンへ向かう。そうでもしないと、痛む右手でもう一発相手の頬に、怒りを叩き込みそうになったからだ。