店内は薄暗く、循環機の中を大量のパチンコ玉が走る轟音が、BGMを掻き消す。通路には薄汚れたカーペット。挟むように左右に並ぶスロット台が、歓迎するかのように眩しく光る。今日は休日だ。その殆どが埋まっていて、皆同じ方向を見て黙々と作業に没頭していた。

 その中に、無表情でレバーを叩き、考え無しにボタンを押す青峰の姿があった。目の前で光る演出のライトは目に悪そうで、リールはレバーを下げる度に忙しなく回り続ける。液晶には知らないキャラクターが色っぽい仕草と笑顔で「頑張ってね」と激励を飛ばした。

 ――これ以上、何を頑張れば良いんだよ。

 レバーを叩くとすぐ消えたその笑顔すら、今の彼には皮肉に思えた。

 いい加減同じ作業に飽きた青峰は、下皿に吐き出されたコインをドル箱に詰め、呼び出しボタンを押す。よく教育された若い店員は愛想良く、七百枚近くあったメダルを一枚のレシートへ変えた。

 こうやって五月蝿い場所に居ないと、気がおかしくなりそうだった。週末で稼働が良いパチンコ店は、騒がしい音で自動ドアを通る青峰を見送った。

 静かになった途端に、フラッシュで白く瞬く紫原と「いつまでも過去の栄光にすがるな」と言う野次が頭の中を一杯にする。

 ――自分のバスケはいつから過去のモノになってしまったのだろうか。今まで"キセキの世代"と云う過去を置いて来た気になっていたが、結局置き去りにされていたのは自分の方だったのだ。過去には群を抜き出た才能のせいで、強者で居るのが面白くない時期もあった。

 【絶対的エース】と云う言葉は彼の為に存在し、彼もまた【絶対的エース】と云う言葉の為に存在してきた。王者である自分を超えるモノは、他ならない"更に成長した自分"のみであると考え、豪語した事もあった。

 件の試合の後、携帯には数件のメールが入っていた。その全てが昔からの知り合いで、体調を伺うモノが殆どだった。二件だけ、返事を出したメールがある。

 紫原から来た【頑張れ】と言う4文字に「お前もな」と同数の言葉で餞の言葉を送った。ただ、すぐに来た【待ってる】と言うメールには未だ返信していない。

 そしてもう一件は、幼馴染みから久々に届いていたメールだ。

【大ちゃんは、私が居ないと駄目だね】

 この言葉には最初、「戻ってこいよ」と情けない言葉で返そうとした。やがてそれを消去しその代わりに「そうかもな」とだけ返した。

 ――ソレ以降、彼女からの連絡が無い事が青峰の中で痼となっている。今までだったらすぐ折り返しの着信が、自分を呼び出していたと云うのに……。冷たくなった幼馴染みの美女は、誰かから紹介された医学部の彼氏とよろしくやっているようだ。居なくなってから存在の大切さに気付く。……いつも後手後手なんだ。さつきは、一生涯自分の隣に居ると思っていたのに。

 輝かしい過去の全ては、無慈悲にも青峰を置いていく。

 傷む膝から足首に掛けては、常に痺れている状態にまで悪化していた。この痺れが消えた時、全ての感覚が無くなりそうで怖い。あの時、あのセンターサークル付近で味わった"足を撃たれたような感覚"が、恐怖となって彼を責める。

 きっと足首を駄目にした火神も、自分と同じなのだろう。どす黒く腫れた骨折箇所は、彼を絶叫させた。骨の内部までヒビが入り神経を削いだのだ。

 ――こんなの痛くないから……!! 今より高く跳ぶから……!! だから……だから、捨てないでくれ……!!

 誰も居ない場所で独り、そう咆哮したに違いない。そんなバスケと云う道しか知らない彼等の叫び、祈り、葛藤を……誰も知らない。

 ふいに誰かに甘えたくなった青峰は、とにかく独りで居るのが嫌になった。自分の輝かしい過去を知らず、今の青峰大輝しか知らない、そんな人間に傍に居て欲しかった……。該当するオンナは沢山居る。携帯を開き、桃井からの連絡が無いのに少し落ち込み、みっともない自分を微かに笑った。下らない考えを早く払拭しようと電話の履歴を探る。

 誰でも良かった、本当に。

 テキトウに履歴に並ぶ登録もしてない番号へ掛けた。捕まらなかったら、また次の番号に掛ける。まるでコインを入れれば抽選が始まるスロットの様だな……と、騒がしいホールを思い出す。

 その中でも、この前のあのオンナだけは止めようと思った。律儀にお礼のCメールをくれた、アイツだけは……。滅多にメールの返信をしない青峰は、気紛れにたった二文字だけを彼女に送っていた。

 だけど、ああいう世間知らずのスレてないお嬢サマは、黒子のような一途でエスコートが上手い王子サマの方が似合うのだ。それが男女の仕組みだ。

 その一方で、青峰は彼女に桃井さつきの影を見た。そりゃあ見た目は圧倒的に劣るかもしれないが、あのオンナなら駄目な自分の世話をしてくれるだろう。傷付いた自分を励ましてくれるのだろう。

 だからこそ、相手が自分から離れる時が怖かった。こんな情けない自分を見たら失望するのだろうか? アイツも、さつきも……。

 自宅に着いた青峰はコートを脱ぎ、その辺の床に落とす。結局五人程に掛けたが、コールの先が無く誰も捕まらなかった。そりゃそうだろう。一度はコッチから捨てた奴等だ。冷蔵庫から冷えた缶酎ハイを取り出し、一気に体内へ流し込む。

 ――寂しい時、誰も自分に優しくしてはくれない。

 その悔しさに、飲み干した缶を力一杯投げた。それは壁にぶつかり、軽快な音を立て床に叩き付けられる。怒りが静まらず、テーブルに置いてあった皿やコップ、DMを右腕で凪ぎ払った。ガチャガチャッと様々なモノが床に落ち、その殆どが破壊された。雑誌を拾い、壁へとピッチングする。

 そんな動作中にも悲鳴を上げる膝に腹が立ち「あ"ぁあ"っ!!」と咆哮して、目覚まし機能の付いたデジタル時計までベッドサイドへ投げた。ガチャッ……と音を立てたソレは、時を映すのを止めたようだ。

 ドンッ、と隣人が壁を叩き抗議してくる。青峰はそのくぐもった音の主へ「っるせぇんだよ!!」と、空気がビリビリと裂ける程に大きな声で怒鳴った。部屋の隅に詰み、タワーのようになっていた雑誌のバックナンバーも倒し、床に散らばせる。ハンガーに掛け室内干ししていた洋服を、ハンガーごとその辺にぶん投げた。ポスターも破るように剥がし、紙屑になったソレをテレビに向かって投げ付けた。

 そうやって部屋の全てに八つ当たりをした青峰は、息を切らしながらベッドに横たわる。足下は様々なモノが散乱し、まるで強盗に入られたようだった。

 まるで世界が自分を責めているようだ。

『もうお前は用済みなんだ』

 幻聴が己をそう誹謗し、中傷する。今朝のスポーツ新聞に載っていた試合結果の記事。解説文の隅にあった【青峰大輝(20)は怪我により療養中。今シーズンの復帰は絶望的。】そのたった二文が、彼の今だった。その新聞は丸めてコンビニのゴミ箱へ捨ててきた。

【絶対的エース】は【凡人以下】へと、恐ろしいスピードでグレードダウンしてしまった。凡人以下の彼は両手で頭を抱え、大きな身体を丸める。このまま身体ごと、ベッドの中に沈んでしまいたかった……。

 そんな逃げ腰な彼を、ジーンズのポケットに捩じ込んでいた携帯が呼び出す。幼馴染みからの連絡かもしれないと慌てて取り出した通信機器。相手も確認せず通話ボタンを押した。

「何だよ?」

 桃井である事を願った青峰は、口調を乱暴なモノにしてしまう。数秒間の無言が続き、電話の向こうからおずおずした声が聞こえた。勿論、焦がれた桃井さつきの声では無い。

『――青峰君? ……起こしたならゴメンね?』

 ――何で、よりによってコイツなんだよ……。

 青峰は、お嬢サマの気紛れに顔をしかめる。どちらが口を開くでもなく、ただ無言が続いた。その無駄とも思える時間は、青峰が打ち破る。

「来いよ、ウチ。場所分かるだろ……? 今、どこ?」

 お嬢サマの居場所を聞いた男は「30分で着くだろ、早く来いよ、相手してやる」と乱暴に誘う。我ながら酷い誘い文句だと思ったし、こんな誘いでやって来るオンナは救いようの無い馬鹿だとも思った。


 ……………………


 部屋に来た○○は、まず部屋の惨状に驚いた。疲れた顔をした青峰は、彼女を散らかした8畳程の部屋へ招き入れる。

「……ガラス、踏むなよ」

 来訪者にそれだけを伝えた青峰は、サッサとベッドへ座る。

「どうしたの? ……これ」

 ドアの前から動かない○○は、青峰に部屋の有り様について問い質す。そこは足の踏み場も無い程に散らかされ、破壊され、汚れていた。

「模様替えだ」

 青峰は冗談を言ったつもりなのだが、勿論彼女は笑わない。

「怪我したって……。新聞見て……」

 口角だけを上げた青峰に以上を告げ、二、三度首を横に振った○○は「……試合も見たよ」とも呟く。

「……あぁ、それで? 慰めてくれんのか? 良かったな、オレずっと暇だからエッチしまくれるぜ?」

 ヘラヘラ笑った青峰のギャグは、本気で配慮している○○には届かなかった。

「――お医者さん、何て……?」

「行くかよ、病院なんか。大丈夫だ、すぐ良くなるから。ホラ、全然痛くねぇ」

 下手くそな笑顔を顔面に貼り付け、首を垂れた青峰は傷んで痺れる膝に拳を置きドンドンと叩く。その痛々しい行動から目を逸らした○○は、尚も言葉を続けた。

「でも、病院に……行った方が……――」

「ほっとけって言ってんだろ!!? 何様なんだよテメェは!!!」

 彼を心配する○○が言葉を言い終わる前に、青峰は怒鳴った。そのいきなりの怒号へ、彼女の肩が跳ねる。男のそれは、先程静まった筈の八つ当たりの延長だった。やがて彼の顔が冷たいモノになる。

「ちょっと優しくされたからって彼女ヅラすんじゃねぇよ……」

 不貞腐れ、寝転がった青峰は面倒そうにソッポを向いた。彼の辛辣な一言は、○○の心をズタズタにした。

 たった一言で、彼女の感情は悲壮感で一杯になる。頭が働かない。ぐわんぐわんして目の前がぼやける。両手が震えている。大きなショックがストレスとなり、彼女の全身と脳を揺すった。

 それでも少女は青峰を慰めに来たのだ。泣いているのを相手に悟られたくない○○は、詰まる鼻を啜らないように注意しながら、唇を開き深く呼吸を繰り返した。顔を伏せているので、止まらない涙は足下へ真っ直ぐ落ち、フローリングへ小さな小さな水溜まりを作る。

 青峰は何気無しに振り返り、俯く彼女を見て仰天した。

「……何、泣いてんだよ」

 理由は既に分かりきっていたのだが、男は思わず聞いてしまった。彼女は首を横に振ると、鞄から取り出したハンカチで鼻元を押さえる。青峰はボックスティッシュを手に取り、腰を上げ彼女の元へ近付く。

 褐色肌の男は、とりあえず○○の目線の先にティッシュを差し出してやる。ここで初めて彼女は鼻を啜った。ズズッ……と音を立て、今度は嗚咽が始まる。

「……悪ィ、オレ……」

 青峰は気まずそうに謝り、空いた手で自分の頭を掻いた。彼は、泣いてしまった人間への"正しい対処法"を知らないようだ。不器用な男の部屋にエアコンが風を吐き出す音と、目の前の少女がしゃくり上げる声だけが響く。

 観念した青峰は、○○の上下する肩に手を回し、身体を包んでやる。すると、泣きながら彼女も背中に手を回して来た。胸元が相手の涙で濡れてしまうのも、今は仕方ない。青峰が鼻で深呼吸をすると鍛えられた胸部が膨らみ、彼女の額を押した。髪を優しく撫でてやり、向こうが落ち着くのを待つ。数分間抱き締めていれば、段々とベソをかく声は小さくなっていった。青峰は気付いていないのだが、いつの間にか彼の中から怒りの感情は無くなっていた。

 ふと、彼女の後ろ首を見ると、タートルネックから厚紙がはみ出していた。それが何か判った青峰は吹き出しそうになる。笑ってはいけない……と無理に押し込めたせいで、喉から変な音が出た。

「……お前。タグ付いてるぞ? コレ」

「……えっ!?」

 少女が慌てて背中に手を回し身を捩ると、値札タグが数枚指先に刺さった。悲鳴を上げた○○に、我慢出来ない青峰は遂に笑い声を上げた。

「タグ付けっぱなしの奴、初めて見た!! しかもお前ソレ……しまむらかよ!!」

 涙で顔を赤くしていた彼女は、困った顔を曲がるだけ後ろに向け、タグを引っ張り抜こうと身を捩り続ける。青峰は腹を抱え、写メを撮ろうとジーンズから携帯を引っ張り出す。

「やっ……止めてよ!!」

 ○○はカメラを向ける彼を、泣き顔のままに怒った。

「取って……取ってやる。ハサミ……うはははは!!」

 先程の彼女のリアクションがツボに入った青峰は苦しそうにハサミを探し出す。膝が痛んだが、今はハイになった笑いを止めたかった。

「いいっ……良いよ!! 取らなくて!!」

 手をブンブン振る○○はタグを切って貰い、青峰が落ち着くまでしばらくの間、恥ずかしい思いをする事となった。