髪型の話


いくら簾と風鈴に変えたからといって、気温が下がるわけじゃない。体感温度は多少下がるが、暑いことに変わりはない。
現代の自室から持ってきたヘアゴムで、髪を一つくくりにして仕事をしていると、「随分伸びたね」、と背後から声がかかる。首筋に伝う汗を拭いながらふり返れば、ガラスのコップに入った麦茶と、水ようかんを持ってきてくれた光忠さんが居た。

「僕が君に初めて会ったとき、まだ短かったよね。肩につかないくらいの長さだった。今はこうして結べるくらい伸びたね。まだ伸ばすの?」

コップとようかんをのせた皿を机上に置いてから、その手は私の髪へと伸びる。ぴょんこぴょんこと、後ろの低い位置でくくられ、長さが足りずに跳ねているのを、何が面白いのかくるくると指に巻き付けてもてあそんでいる。光忠さんそんなことする人だっけ。この暑い季節に黒のスーツなんか着てるから暑さにやられちゃったんじゃないですかね!

「んー……、夏の間は、切りたい、気もするけど……。また、伸ばそうかなあって」
「ふぅん。そういえば僕は、いや、僕たちは、君の髪が長い時を知らないね。伸びてもせいぜい今くらいで、また短く切りそろえていたし」
「前はねー、胸元くらいまでごっそり伸びてたんだけど。去年の夏前かな、梅雨時期に入る前に暑いからってばっさり切ったら、それが職場の人に凄い好評で。それ以来ずっと短くしてたね」
「そうなんだ?」
「そうそう。むしろ伸ばしに伸ばしてた」

長い髪の方が好きだったのかい? と聞かれ、私は考える。特に好きだと思ったことはない、だろう。結局伸ばしていても、今のように後ろの低い位置で、飾り気も何もない無地のゴムで一つくくりにしてたくらいだ。むしろここまでずぼらなんだから、今のようにばっさり切って短くしてしまった方が私にとっても良かっただろう。

「髪質的に、伸ばしてると得ではあったかな。太いし芯がしっかりしてるし、量も多いから色々と弄るには良い髪なんだって。まあ、片手で余るほどしか弄らなかったけど」
「昔からそうなのかい、君は。……量が多い、ってのは分かるかも。前に切ってからしばらく経ってるから、今もちょっと量が増えたな、って感じがするし」
「後は、あれかな。小さい頃からね、女の子のポニーテールって夢だったの」
「ぽにー、てーる?」

慣れない横文字をたどたどしく言う光忠さんに、私は笑う。太郎太刀さんみたいに頭の高いところで一つくくりにしてるやつだよ、と言えば、なるほどと頷いた。

「小さい頃はね、あー今もそうなんだけど、癖が付きやすくて、だからしょっちゅう跳ねてたり、あとはちゃんと親が定期的に美容室行かせてたから、ずーっと短くてね。今よりも短かったんだよ? あごより下に髪が伸びたことありません! ってくらい」
「そんなにかい? 想像できないな……」
「だからかなー、長い髪を結ぶっていうか、それもあんな高いところから結んで下まで伸びてるっていうのがとっても女の子らしく見えて。だから伸ばしたくって伸ばしたくってしょうがなかったのね」
「へぇ……君にもそんな可愛らしいところがあったんだね」
「うるさい。結局親元を離れて美容院に行かなくなって伸び放題になってから、ポニーテールも出来るようになったんだけど、結ぶの大変だし、髪洗うのも乾かすのも時間かかるし、で、ばっさり」

実のところは、風呂上がりに髪を乾かす時間が多くなりすぎて、その後ゲームする時間が削られるのが嫌で切ったという、身も蓋もない理由だったりするのだが。そんなこと言うと怒られそうなので言わない。絶対言わない。
光忠さんはなおも私の髪を弄りながら、で? と続きを促す。

「また伸ばそうと思ってる、ってことは、何か理由があるんだろう?」
「ん、まあ」

切ったのが大した理由でないのなら、伸ばしたいというのも、また、大した理由ではなかったりするのだけれど。

「この前ネットでね、簡単なかんざしの使い方、っていうのが画像付きで回ってきて。私それまでかんざしってどう使うのか全然知らなかったし知ろうともしなかったのね。でも、こんな簡単に使えるんだ! って思ったら、また伸ばしてかんざし使ってみたいなあって。せっかくこんな、本丸って場所で仕事もさせて貰ってるんだし」

ミーハーなのは自覚している、が、やはり髪を色々と着飾れるのは、少しばかり心を擽られる。毎日とは言わないが、一度はやってみたい、というやつだ。近くにかんざしを扱っている店があるものだから、店の前を通る度に、使ってみたいなあと心惹かれる。トンボ玉は綺麗だし、ちりめんも可愛らしいものがたくさんあるし。
そんなことを考えていると、す、と手が離れる。持ち主を見やれば、眦を柔らかく下げて、蕩けそうな笑みで私を見ていた。

「じゃあ、僕が伸ばして、って言ったら、伸ばしてくれる?」
「……、うん?」
「君が、さっき言ったように、かんざしを挿したい、っていう理由で髪を伸ばしたいんだったら、君が最初に挿すかんざしは、僕が贈りたい。それをつけて欲しいから、伸ばして欲しいと言ったら、君は、髪を伸ばしてくれるかい?」
「……!」

どくりと、大きく心臓が跳ねる。顔が、夏とは違う暑さで火照る。

「どうかな?」
「……っ、べ、つに、光忠さんのためじゃなくても、伸ばすつもり、だったし……!」
「はは、じゃあ僕は、君に贈るかんざしを選んでおくね」
「もう!」

楽しそうな笑みを浮かべられて、怒鳴る気は失せていく。ふてくされた顔をしながらも、彼がどんなかんざしを選んでくれるのか、今から楽しみでしょうがないと思う私は、やっぱり現金なやつだと思うのだ。
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