深夜の話


時計が24時を示す頃には、向こうへと戻らなくてはならない。まるでシンデレラだと似合いもしない少女の名前を挙げては自嘲する。
基礎体力も低い上に、年を重ねると段々体力は無くなる一方で、流石に日付を跨ぐ頃には寝ないと持たなくなってくる。次の日が休みならたまに泊まったりもするんだけど、やっぱり平日はそうはいかなくて。

「それじゃあ、また明日来るまで、よろしくお願いするね」
「ああ、任されたよ。君も、明日も頑張ってね」
「……、ありがとう、光忠さん」

殆どの刀剣は眠りにつき、何人かが夜を楽しむためだとか、酒を酌み交わしたりだとかで起きているほかは静かなものだ。藍色の空から静かに降り注ぐ柔らかな月光だけが、私と光忠さんを照らしている。
別れは毎日とて寂しい。仕事が終わってから食事等を済ませ、眠りに就くまでの僅かな時間でしか触れ合うことの出来ない本丸はもどかしくもあるが、深夜に見送ってくれる彼の「明日も頑張って」、が、大きな支えになって、私は明日も頑張れる。そんな気がするのだ。

それじゃあ、と、パソコンに向き直ったところで、かたりと小さな音がする。静寂に包まれた本丸では、どんなに僅かな音でも嫌に大きく響いた。

「……?」

気になって光忠さんと二人、音のする方を向く。そろりとばつが悪そうに顔を出したのは、清光くんだった。

「あ、主……」
「……どうしたの、清光くん」

恐る恐る、こちらを呼ぶ声に、優しく尋ね返す。清光くんは、ゆっくり近づいてくると、きゅ、と私の指先を軽く包むように握った。驚いて目を見張ると、清光くんはどこか困ったように笑っている。照れくさそうに、けれど満足そうな表情に、私もふっと笑みが零れた。

「また、明日、絶対来てね、主」
「……うん、また、明日ね」
「へへ、約束だよ」

するりと離れた手が、今度は私の背中へと回る。ぎゅう、と抱きつかれたのだと気づいたときには、彼はもう離れていた。

「また明日ね!」

とたとた、来たときの表情とは似つかぬ明るさで、静かにけれど軽やかに駆けていく姿を呆然と見送る。はは、と、光忠さんの笑い声が聞こえるまで、私は固まったままだった。

「いつも、僕ばっかり見送りずるい、ってよく言われるからね。加州くんも君を見送りたかったんじゃ無いかな」
「……清光くん、そんなこと言ってたの?」

初めて聞くことに驚いて尋ねてみれば、言っていたのは彼だけじゃ無いよ、と言葉が返ってくる。ますます驚いた。

「本丸にいる皆、多かれ少なかれ思っているだろうね。みんな君のこと大好きだからさ」
「う、うぅ……照れる……」
「はは、だろうねえ」

成る程、いつぞや鶴丸さんがお出迎えしてくれたとき、とっても高揚していたのを思い出す。そっかあ、皆お見送りとお迎えしたいのかな。なら、近侍の交代も考えてみようかなと思い始めたところで、ぽすりと温かな何かに包まれる。肌触りの良い生地。すぐに、光忠さんに抱きしめられたのだと気づいたが、どうにも動きも無ければ何も言わない。不安になって、か細い声で名前を呼んでみれば、ますます強く抱きしめられた。

「加州くんばかり、抱きしめるなんてずるいよね。……それに」

そこで区切って、小さく息を吐いた音が、耳の近くで大きく聞こえる。

「もし、近侍の交代なんか考えてるんだったら、今のうちにたくさん、君を覚えておきたいと、思って」

どくりと跳ねる鼓動がいっそう強くなる。確かに少し考えはしたけれど、ここまで光忠さんに縋るような声で言われたのが、何よりも響いた。

「み、つただ、さん……」
「はは、情けない、かな。ずっと、ずっと君の側に居たから、当たり前みたいに思っていたし、もし近侍を外されても大丈夫だって、勝手に思っていたけれど、案外、堪えるなあ……」

落ちてくる髪が頬を擽る。私を抱きしめるぬくもりに、少しだけ笑って、私は丸くなった背中を優しく叩いた。

「確かに、近侍の交代は、ちょっと考えちゃったけど、本当に交代するつもりはないですよ。それに、もし交代するならちゃんと相談します。ね、大丈夫だよ光忠さん。……だから、明日も光忠さんがお迎えしてくれるの、私待ってるからね」

ゆっくりと、しっかり伝えるように言えば、小さく頷いたのが分かった。じゃあ、行ってらっしゃい。小さく声がする。惜しむように身体を離して、今度こそパソコンへと向き直り、項目を入力すれば身体が淡い光に包まれる。

「行ってきます、光忠さん!」

完全に向こうへと戻る前に、ふり返って投げかける。驚いた後、くしゃりと破顔した彼をしっかりと見てから、私は現代の自室へと戻った。
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