Boy meets Girl
「あれ、洗剤切れてる……」
そういえば、さっき料理した時、塩も無くなりかけていたはずだ。高血圧が何だ、日本人にとっての調味料は塩だ!──さておき。
外は、太陽が西に傾き始めてきたころ合い。少し暑いが、これは生活必需品を買っていなかった私の落ち度だろう。
重い息を吐きながら、ゆっくりと腰を上げた。
34th.Boy meets Girl
近くのスーパーまで、自転車も使わずに歩いていく。コンクリートで音を鳴らすサンダルのヒール。右手の重みに、じっとりと手のひらが汗ばんでいた。
考えてみれば塩も洗剤も重いものだ。自転車で来れば籠に放り込むこともできたのに。後悔しても後の祭り。私はこれを持って家までの道のりを日光に照らされながら帰らなければならない。
「あっつぅ……」
10月11日。暦上秋とはいえ、その日差しは弱まるということを知らないらしい。地球温暖化か。まあ確かに真夏のあの頃よりは随分と涼しくなったと思うのだけども。長袖をまくりながら歩く。
少しでもと涼しさを求め、帰り道の河川敷、川の近くに寄ってみる。水面を撫でた風は冷気を含んでいて肌に涼しい。
この時間帯、土曜日だからだろう、学校帰りの小中学生の声が響くここも、今は少しだけおとなしい。
「──あ、れ?」
そんな中、一際目立つ声が聞こえてきた。笑い声と低めの声に、少し高めの叫び声。茜色に染まった芝生に群れる三人の男。それぞれも朱色を浴びてはいるが、あのシルエットは間違いようもなく、ツナと山本と雲雀さんである。
「そういえば、秋の大会だって言ってたっけ」
あの子が絶対に応援に行くんだ!と張り切っていたような気もする。その練習だろう。……少なくとも山本は。雲雀さんはそれを見かけて寄ってきて、ツナはまあトラブル吸引主人公体質の何やかんやだろう。
山本も入院していたのが今では嘘のように動き回っているし、ここのところ体調も絶好調のようだから、明日は活躍が期待できそうだ。
「──あ」
邪魔をするのも悪いかと思い、そのまま家へと帰ろうとする最中、河川敷沿いの道路に一人の少年を見つけた。ショートの黒髪の小学生。見下ろしているのはツナたち。小学生にしては不審なその行動に、私はその少年に近づいてみた。
「……何してるのかな?」
「────!?」
びくり、と。少年が震えた。反射的にこちらを振り返った少年のその右目は、紅い色に漢数字の、六。
「──……ぁ、」
喉に詰まったような声。少年は口を開けたままそれ以降喋らない。一方の、その少年の正体に瞬間的に硬直していた私は、少年の声で我に返った。
「……ああ、骸さん」
「──なまえ、でしたか……」
少年、改め骸さんは、私の言葉にため息をついた。──ちょ、そんなに私と会えたことが不幸でしたか。
「……あなたが、何故ここに?」
沢田綱吉が連絡していた気配はありませんでしたが、と、骸さんが言う。それを聞いて、ああそういえばこんな話、ファンブックに載ってたような、と小さく思い出した。
「買い物帰りですよ。丁度洗剤とお塩を切らしていたので」
手に持っていたビニールバッグを見せる。そうすれば、全く僕の方の悪運は尽きてしまったんですかね、と呟かれた。
河川敷では騒ぐ三人が見える。何故か不思議なことに皆こっちに気づいていないようだ。それを幸と捕えるか不幸と捕えるか。
「──なまえ」
「何ですか、骸さん」
ビニールバッグを自分の横に添えるように置いて、私と骸さんは河川敷を見下ろすよう、土手に座っていた。
「なまえは、今……いえ、きっと、幸せなのでしょうね」
「何がだよ」
「別に、何でもありませんよ」
言葉を濁す骸さんに、手刀を一つ。はっきり喋れ、と言ってみる。
「……なまえは、僕を恨んではいないのですか」
「────はぁ?」
急に隣で呟かれた言葉に、私は心の底から疑問を発した。何を以てそういうことを言うのか──ああ、そういえば私は骸さんに捕まっていたのだったか。もう一か月も前のことになる上、ここしばらくが平和すぎて忘れていた。
「まあ、そう言われればねぇ」
正直、捕まえられたことに対しては今でも恨んでいないのかと聞かれれば恨んでいるの部類に入るのだろう。何故に私を捕まえたのか、何故私を操ってツナと戦わせたのか。言いたいことは結構ある。でも。
「でも、結局骸さんはさ、私を使ってツナを手に入れはしなかったでしょう。私を使いはしたけれど、確かに私の運動神経が悪かったのもあったけど、それでも無理をすれば、私の命を犠牲にして、ツナを絶望に陥れてしまうことだってできた。そうすればツナを乗っ取るのは何よりも簡単だったはずじゃない?」
「……なぜそう、行き過ぎた自己犠牲をさらりと告げるのですか」
「いやまぁ、ノリ?」
「ノリで生きすぎでしょうあなたは」
半分はまだ、しっかり受け止められていないのだと思う。この世界に生きる私と言う存在が。未だに帰れるのではないかと、そんな証拠もない希望を持ち続けているから言えるのだ。
────もし、この世界で死ねば。この生涯こそが夢であったのだと、現実世界で目を覚ますことができるのではないかと。
「……それに、ツナ、ずっと心配してたよ。骸は大丈夫か、って」
「──あの、お人好し」
「だからこそのボンゴレボスなんだと思うんだけどねぇ」
「あれが、後の最大のマフィアのトップですか。先が思いやられますね」
骸さんのため息。私は笑う。
「あれでも、超直感の持ち主だし。──それに、」
ああ、だめだ。これ以上は言ってはいけない。……そうだ、骸さんは、霧の守護者。これを知るのは、私とゆうこだけ。あれ、でも今の骸さんて知ってたんだっけか。でもどちらにせよ、今は言うタイミングではないだろう。
「何です?」
「ん、いーや、今は」
「そう、ですか」
私が濁して、骸さんはそれを、まるで聞こえていなかったかのように流した。
和らいだ太陽の光を含んだ、少しだけ温い風が頬を撫でて髪をさらっていく。あざ笑うかのように吹く風に、目を細めた。
「──なまえ」
「はい、何でしょう」
「お願いが、あるのです」
「お願い、ですか」
風が止まってから、骸さんはそう投げ掛けてきた。視線を投げやる。深く澄んだ紅と、夕日に陰った黒がきらと光っていた。
「──あなたのその性格を過大評価して、頼みたいのです」
「それ人にものを頼む態度じゃないだろ」
「あの子を、お願いします」
「スルーか、おいスルーかお前は。何処でそんな高度なスルースキル身につけてきたんだ!」
「お願い、しますよ」
ふと。それだけを告げて。骸さんは私の隣から居なくなった。想像するに、適当なところまで行ってから憑依を解くのだろう。あの子にだって、家族が居る。
「──まったく。私じゃなかったら『あの子』って言われて誰のことか悟らないっての」
昼よりも幾分か冷えた空気に、私は自分の呼気を紛らせた。
ビニール袋を持って腰を上げる。沈みかけた夕日が河川敷を宵色に染め上げていた。
朝から騒がしいゆうこをはいはいと軽く流す。今日は日曜日だったわけだし、本当ならずっと寝ていたいところだけども、それでも一応約束していたわけで。少しだるい体を引きずりながら並盛の球場へと足を進める。
今日の武は絶対格好良いよ!楽しみだなー!なんて言ってるゆうこについて行けない。ああもうおばあちゃんかなぁ。
「つーか、よくあの風紀委員長が許してくれたね」
「うん、球場周辺で群れを咬み殺してくるよ、って言ったら一発だった!」
「ああ、それは何となくわかる」
「──どして?」
ふへ?なんて言うゆうこには解ってない、絶対解ってない。まあ、解られたら解られたで困るんだけども。
「ってあー!遅刻しちゃう!なまえ急ごう!」
ぐい、と力強く引っ張られる腕。たたらを踏みながら、球場までの道のりを強制的に走らされた。
「よーっしゃー、いっけぇ武ー!」
ゆうこの声にかぶせるように、カキン、と乾いた音が球場に響いた。山本が打った音だ。白いボールは青空に吸い込まれて行くように高く舞い、遠く離れた所へと落下する。フェンス越え。いわゆるホームラン、だ。相変わらず野球に関してはデタラメと言ってもいいくらい凄いと思ってる。……褒め言葉だ、一応。
前列でツナにフゥ太、京子ちゃんに了平さんにハルちゃん、ランボやイーピンが騒いでいる。若いって良いわぁ。
「相変わらず凄いなぁ」
ツナの言葉に何かがむかついたのか、というか山本関連であれば大抵むかつく獄寺が、ダイナマイトを取り出して点火する。それを見た了平さんが「ボクシングをやらんかー!」と声高々に叫ぶ。
「ちょ、煩いです了平さん!」
「バカやってんじゃねーぞ芝生頭が!!」
「甘いぞタコ頭!バカはバカでもボクシングバカだ!」
だからバカなんだろうとか、絶対に口に出しては言えないことを内心で思う。……でもこうして見ると、入院していた了平さんからしてみれば凄く回復した方だ。
昨日、骸にあったことが思い出される。黒曜に殴りこみに行ったのが──ていうか捕まったのが、凄く昔のことのように思えて仕方がない。
グラウンドからのファール行ったぞー、という声、ボールを受け止めるビアンキ。倒れる獄寺。不審な音を立てるお弁当。
「あーもう、何でこうなっちゃうかなぁ……!」
「ま、メンバーがメンバーだし、しょうがないんじゃない?」
「そういうものなのかなぁ……」
もう俺ギブアップと言わんばかりのツナ。それを見てくすりと、私が小さく笑う。
「──!」
「?」
と、急にツナが後ろを振り返った。何か見つけたのだろうか。きょろきょろとあたりを見回している。
「──どうしたの?」
「え、いや……何か、見られてたような……」
「見られてた?」
「うん、気のせい、かな……」
「ふげー!!」
「あ、ちょ、獄寺君!?」
尋ねても返ってきたのはあやふやな言葉で。けれど、見られていたというのなら、ツナに心当たりはなくとも私には心当たりがある。
「一人はさみしそーだな。またいつでも相手になってやるぞ」
私の隣、リボーンが静かにそう呟いた。
また……いずれ……。昨日の小学生がリボーンに答えるようにそう言って。
彼のルビーに、私が映る。
「……任されたよ」
私は、昨日の答えを。
ふ、と。私に向けてかリボーンに向けてか。骸さんが薄く笑った。
また、戦いが始まる。