始まりの詩


怖いのだと思う。事実を認識することが。そうでなければ、人間が動けなくなるなんてことはあるわけがない。

誰か、嘘だと言って。この事実を。

……後ろから聞こえてきた声が、妙に聞き覚えがあったというこの事実を……!



24th.始まりの詩



その声はツナよりも低く、それでもどこかに幼さを残している声。10年後のツナよりも、それでも声は低い。

「Non si muovono」

その声の主を仮定するならば、その言葉はイタリア語になるのだろう。さっきは命令口調、そして今回は疑問調。訳するなら、動くな、誰だ、だろうか。初対面の不審者に投げ掛ける言葉なんて、そんなものしか思いつかないけど。
言葉が呪文のように体を縛る。指一本に至るまでがこの場の空気に支配されてしまって動かない。

「Non puoi risposta?」

また、何かを問われる。けれど、私に操れる言語といえば、母国語の日本語程度だ。英語なんてそんなに喋れるわけでもない、その上、この声の持ち主が想像通りの人間なら、英語が通じるかどうかは疑わしい。彼のいるこの国では、英語は世界の共通語ではなかっただろう。
さあ、どうするべきか。

「……」

彼、はしばらく黙って、数秒だろうか、言葉を紡いだ。その言葉は、最初に掛けられた言葉よりは、馴染みのあるそれだった。

「……Can you speak English?」

「、A little.」

英語。少しだけ驚いた。まあ、彼がイタリア人で、英語が主流で無かったとはいえ、それがイコール英語が喋れないというわけではない。ひとまず喋れる言語で話しかけてみた、というのが妥当な解釈だろうか。私はそれに、応えられる単語を繋ぎ合せて答えた。この問答の場合、大切なのは文法じゃない、通じるか通じないかだ。
私の答えに、彼はなおも質問を重ねる。

「Ok,……Are you……Chinese?」

「No,I'm Japanese.」

「Giapponese!?」

日本人だと答えれば、彼はことさらに驚いたような声を上げた。それから、またイタリア語らしき言葉を呟き、

「どうやってここに入った?」

日本語を、返してきた。それは、日本人である私からすれば、まだ少し訛りのあるほうだったが、それでも彼が日本人でないと告げなければ気づかないような些細なものだった。

「いや、あの、気が、付いたら……」

それでもって、私は彼の質問に対する適切な答えを持ち合わせていない。それしか本当に言えないのだ。だって、誰が想像したか、10年バズーカに撃たれて10年後に飛ばないなんて。

「……一応、嘘は言ってないみたいだな」

私の言葉に、しばらく迷ってから彼はそう言った。同時に構えていた銃を下ろす音。

「こちらを向け、客人」

背中から掛けられる音に、私は素直に従う。普通、気配に気づくことのない私でさえ感じていた、射殺すような殺気、それはもう感じない。
ゆっくり、振り返ってみた。薄暗いこの部屋の中で、彼の持つ色は一際目立っているように見えた。

「……いきなりの手荒い歓迎を許してもらおう、客人」

重力に逆らうように逆立つ、金髪。同じ髪型の彼よりも、その色素は薄い。透き通る小麦色を瞳に宿した彼は、その存在は。

「ひとまず詳しい話が聞きたい。付いてきてもらえるか?」

「……はあ、」

「ああ、そうだ。私のことは……そうだな、プリーモとでも呼んでくれ。みんなそう呼ぶから」

プリーモ、ボンゴレT世、ジョット。
ボンゴレの創始者だった。








「紅茶で良かったか?客人」

「はい、あ、いえ、お構いなく……!」

「そう遠慮するな。しかし、日本人は謙虚というのは本当らしいな」

「はぁ」

こぽこぽ、傾けられた陶器のティーポットから注がれる紅茶は綺麗な琥珀色をしていた。

「砂糖とミルクはそこにある。好きなだけ入れるといい」

「あ、どうも」

無機質な音を立てて木製の机に置かれたティーカップ。ゆらゆら、紅茶は波紋を描いていた。表面に、豪奢なこの部屋が映る。さっきとは違うこの部屋は、応接室かな。……雲雀さんを思い出した。

「ところで、まだ名前を聞いていなかったな」

「あ、はい。みょうじなまえと言います」

「みょうじなまえ、……日本人だから、なまえが名前か」

「はい。……詳しいんですね、日本のこと」

素直にその疑問が口をついて出た。ジョットさんはふわりとほほ笑んだ。

「好き、だからな」

「(あ、似てる……)」

その笑い方は、ツナの笑い方に似ていた。それとも、ツナがジョットさんの笑い方に似た笑顔をすると形容したほうが正しいのか。

「将来は、日本に行ってみようと思うんだ」

「日本、に」

「ああ。……あそこには、サクラがあるだろう?」

ジョットさんの瞳は、形容しがたいくらいに優しい。

「好きなんだ、恋人が」

ジョットさんは一口、紅茶をすすった。

「恋人さん、ですか」

「ああ。日本人とイタリア人のハーフだけど、イタリア育ちだからサクラを見たことがないんだ。それで、うちのファミリーにいる日本人からサクラのことを聞かされてからというものの、日本に行くと言って聞かないんだよ」

言葉だけを追えば、それはわがままな恋人に呆れているようにも聞こえる。そう思わせないのは、ジョットさんの表情。相当に恋人さんのことが好きなんだと思える。それは、1マフィアを束ねる人間のする表情じゃなかった。たった一人の、好きな女の人を思う、男の表情。
いつか、これくらいに自分のことを愛してくれる人と出会えたなら、それはとても素敵なことだと思う。

「……それなら、三月の終わりごろがお勧めですよ」

「そうなのか?」

「はい。ちょうどそのころから、桜が咲き始めるでしょうから」

「そうか!ありがとう、なまえ」

ジョットさんの表情があまりにも優しいものだから、ついつい助言してしまう。それで喜んでもらえるのだから、こちらも嬉しい。ジョットさんはただニコニコと笑っていた。

「なあ、なまえ」

その笑顔のまま、ジョットさんは、告げる。

「君は、私を知っているのだろう?」

時が凍った、音がした。
それは、告げてはならない真実で、どうしてそれをと問うことは無意味。彼はボンゴレの創始者、ボンゴレプリーモなのだ。

「ああ、そう身構えないでくれ。…直感しただけだよ」

「直感、」

「そう。君は、おそらくボンゴレの関係者。ただし、私たちとは違うボンゴレの」

違うかい?尋ねられた言葉に間違いは、無い。

「そう、です。私は確かに、ボンゴレとかかわったことがあります」

当たり障りのないように、未来に支障のないように、私は答えた。それでも、ジョットさんは気にしていないように、ただ、満足そうに微笑むだけだ。

「そうか。……ならば、」

ジョットさんは、その飴色の瞳を優しげに潤ませた。

「なまえ、君は今、幸せかい?」

純粋な言葉。それには嘘も言い訳も通用しないように見えた。ただ真っ直ぐに、答えを求めて。

「……はい、幸せです」

「そうか、なら、良いんだ」

どうか、君と、君と関わるボンゴレに、幸多からんことを。その言葉に、そうですねと、同意した。








「――っ、あ、なまえ!!」

「……お、ただいま、ツナ」

「た、ただいまじゃないだろ!バズーカに当たったと思ったら、10年後のなまえは来ないし、五分たっても戻ってこないし!凄く心配したんだからな!」

「あ、あー、ごめんね?」

「その辺にしとけ、ツナ。戻ってこなかったのもなまえの責任じゃねーだろ」

「そうだけど!」

唐突に現代に戻ってきた。ジョットさんにお別れを言えなかったけど、あの人のことだ、帰ったのか、とでも直感するだろう。
さて、私の当面の問題はツナだ。様子を見ると、ものすごく心配されたようだ。その気づかいが少しだけ嬉しいだなんて。思わずくすりと笑った。
なおもただ焦るツナに、私は名前を呼ぶことでその激昂を抑えてみることにした。

「大丈夫、私は、ちゃんとここにいるでしょ」

「……、うん、そうだ、ね」

ふにゃり、笑うツナはどこか初代に似ていた。それでも、違う。ツナは、ツナで。そんなツナの隣でこうして笑えること、それが私の幸せなんだと再認識した。

遥かなる時を越えて。有るはずの無い邂逅に、思いを馳せる。

あなたの残した系譜は、私に幸せをもたらしてくれてるんです、ボンゴレプリーモ、ジョット。











「どうしたの、ジョット。ずいぶんご機嫌ね?」

「ああ、キキョウ。お帰り」

「お帰りじゃないわ。私の言葉の答えになってないわよ」

言って、キキョウは笑った。俺が答えることを期待していない。俺は普段からそんなだっただろうか。

「……ねえ、キキョウ」

「なぁに、ジョット」

「日本に行くの、三月ごろにしようか」

「あら、何か目的でもできたの?」

「そういうわけじゃないよ。ただ、その頃が桜が咲き始めるころだと、聞いたからね」

「それ、女の子に聞いたのね?」

「おや、どうしてそう思うんだい?」

「男の子は、あまりそういうものを気にしないのよ。うちのファミリーの男なんてなおさら、ね。それに、この近辺に住んでる男の子がそんなことに詳しいとは到底思えないわ。日本人の女の子にでも聞いたんでしょう?」

妬けるわ、キキョウは不機嫌そうにそういった。

「そう言わないでくれ、キキョウ。彼女は招かれざる客だ」

「やっぱり話していたんじゃない!それも、ここで話していたんでしょう!その紅茶がいい証拠だわ」

むすーっとして、口調が強い割には、それほど怒っているようにも見えない。彼女も、本気で怒っているわけじゃなさそうだ。ただ、自分の知らないところで自分の知らない人間と会っていた俺が許せない、そんなところだろう。
それでも、なまえは、そういった子じゃない。

「…… キキョウ」

「何よ!」

「彼女はね、俺たちが日本に行くことが正解だと教えてくれたんだよ」

「……どういうこと?」


「ね、キキョウ。式はむこうで挙げようか」

「ちょ、はあ!?答えになってないわよジョット!」


真っ赤になるキキョウを見て、俺は笑った。



なまえ、彼女は日本人だった。年のころは、まだまだ学生。それなのに、ボンゴレと関わりがあった。それは、俺が日本に行って、そこでボンゴレの血を残すことを意味しているのだと、思う。
彼女がイタリアの本拠地のボンゴレと関わりがあるのなら、俺が最初にイタリア語で話しかけたときに反応していてもいいはずだ。それをしなかったということは、彼女は生粋の日本人。日本生まれの日本育ちの彼女が、あの年でボンゴレと関わるのは、そのボンゴレ関係者が日本人だから。
俺とキキョウの日本行きを知っているのはセコーンドだけだから、あいつが余計な事を喋らない限り、日本にいるボンゴレ関係者は俺の直系。ようするに、俺とキキョウの子供は日本で育つということだろう。
俺の決断は、日本に定住するという考えは、どうやら無事に行くようだ。俺は、笑った。

「もう、ジョット!どういうことかちゃんと説明しなさい!」

「はいはい」


遥かなる時を越えて。有り得てしまった邂逅に思いを馳せる。

ボンゴレの系譜に名を連ねるものよ、お前は今、幸せか?



- ナノ -