タイム・トリップ
中途半端な浮遊感が果てしなく気持ち悪い。隣で無邪気にごめんねっ、なんて笑ってるゆうこにげんこつを一発お見舞い。目尻に涙を浮かべるゆうこはこの際スルーだ。
21st.タイム・トリップ
視界を彩る色が緩やかに変わる。さながら虹色。眺めているうちに、変な重力にも慣れてくる。大丈夫かな、と思った矢先だった。
「うわきゃあぁぁぁ!」
当人右手側から甲高い悲鳴が上がる。視界の端を淡い色が掠めた。ゆうこの髪だ。そちらに目を向ければ、物凄い勢いでゆうこが遠ざかって行くのが見えた。
「なまえ──────……」
消えていく声。その声の持ち主は捕えることは出来ない。
あれを私も体験するのか、と考えてぞっとした。
「ランボは大変だろうなぁ……」
毎回毎回あれなのだ。今度会ったらお疲れと言ってあげよう。……ちっちゃいランボに言っても意味無いかな……。
そういえばこれは10年バズーカだ。じゃあ大人ランボ会えるかな。
そこで、強制停止。時空の歪みは私を外界へと弾き出すことにしたようだ。全身に強烈な風を吹き付けられたかのように、まるで木の葉のように私のからだが一方向へと引っ張られる。……いや、むしろ投げ飛ばされると表現したほうが的確か。狂う重力感覚を掴めず、酔いそうになる。
逆らえないものに無駄に逆らおうと抗う。だけどそれも数秒。虹色の視界が白に染まる。
どうやら、この異常空間は終わりみたいだ。
どさり、背中を強かに打ち付けた。頭は無事なので安堵するところだろうけど、地味に痛いので何だか損をした気分だ。こう、ランボみたいに立ったまま現われるには、相当この感覚に慣れなくてはいけないみたいだ。……そんなにバズーカに打たれるのもやだな。
痛みを十分に逃がしてから、ようやく体を起こした。ぐるりと周囲を見回して、場所を確認してみる。まあ、10年のタイムラグがあれば場所なんて解らないとは思うけれど、やらないよりはましだろう。
正面にクローゼット。その右隣に……シングルベッドがひとつ。クローゼットの左にはドアがあり、その左の壁添いにシステムデスクがひとつ、さらに左にパソコンラック、本棚の順で並んでいる。本棚の左は窓で、
「外、見えるかな……」
窓に駆けよって外を見た。閑静な住宅街がある。少し視線を上向ければ、休みの日によく行く、(こっちでの)自宅近くのショッピングモールの看板を見つけた。見え方もそんなに違わない。
「てことは……ここは、並盛?」
しかも、私の家──というか、アパートに近い場所の可能性が高い。(私の家だと断定しないのは、まず完全に部屋の広さが違うからだ)
窓から離れて、本棚を覗いてみる。何だか難しそうな本がいくつか並んでいる。その中に、英語とは違う綴りのタイトルが記された本を見つけた。好奇心に駆られて、その本を本棚から取出し、ぱらぱらと中身を見た。
文字はアルファベット、だけど単語が英語の物じゃない。単純にローマ字読みしてみると、語尾を伸ばすような単語や、詰まる音を持つ単語が意外に多いことに気付く。フランス語やドイツ語かとも思ったけれど、それにはわりと特徴的な字がある。けれど、この文章のなかにそれは見受けられない。
なら、
「イタリア語、かなぁ」
単純に導きだしたその言葉。答えを求めているわけじゃ無い。だけど、
「そうだよ」
返された言葉。慌てて声のしたほうを向けば、そこには背の高い男の人が。
ふわふわと重力に逆らうような髪は淡いキャラメル色。標準成人男性よりは大きいであろうその瞳の色は澄んだ琥珀色。柔らかそうな笑い方は、あの頃から変わっていない。
「え、あ、ツナ……!?」
「そこまで驚くことかな?」
10年後の世界に来て、誰よりもまず先に会ったのは、大好きな大好きな、
「そっか、俺のお見舞い中に……。あー、あったかもしれないね、そんなこと」
流石に10年も前だと忘れるね、なんて、ツナは笑った。
私はこの部屋のベッドに、ツナはその正面のデスクの椅子に座って話をしていた。聞くところによると、この部屋の主は私らしいのだ。ツナいわく、「まあこの10年で色々あってね、なまえが自分の家を買ったんだよ」との事。……その費用は自費なのだろうか、在り来たりにバックグラウンドから出ているのだろうか。気になる。
「……10年前だと、骸と戦った頃なのかー」
あの頃は若かったなぁ、俺、なんてしみじみ呟くツナだけど、……今でも十分若いと思います、なんて、言えはしないけど。
「ま、昔の俺によろしくね、色々と」
「はぁ……」
よろしく、って、何を。そう思ったのを無意識に口にしてしまったらしく、ツナは苦笑いをしていた。
「あの頃の俺は、素直じゃ無かったからね」
答えになっていないが、それ以上に何か言うつもりは無いみたいで、ツナはただ笑っている。私はそれ以上訊くことを諦め、そして返ってきた言葉に言葉を返す。
「えー?素直すぎるくらいだと思うけど……」
「……うん、まあ、性格は素直な方だったかな」
性格は、ってことは、それ以外のことだろうか。……何かあった?
人が悩んでみても、ツナはただ笑っていて、10年の歳月は結構人を変えちゃうものなのかなぁと感じる。
「んー……」
「なまえ、そんなに考えなくても良いよ。どうせ俺の問題だし」
「そうは言われても気になるものは……、」
「、なまえ?」
そこで今更ながらに違和感。ツナは、何と言った?
「……呼び、捨て?」
そう訊けば、ツナは軽く目を見開いて、それからふわりと笑った。その笑顔は、柔らかく、優しく。
「……そう。ファミリーの中で、ゆうこちゃんを除けば俺だけの特権、ってところかな」
答えて、椅子から立ち上がったツナが近くに来る。視線を外すことは許されないかのように、その琥珀色の双眸に捕らえられて、
「なまえなら、この意味が解るよね」
皮膚が触れ合いそうなくらいに近づく。ぼやける視界の端に、私の髪とツナの髪が交ざっているのを捕えた。それ程までに、近い距離。
ツナのことを好きだと認識してまだ1週間も経っていないというのに、この展開は刺激が強すぎますツナさん……!
「そういう事だから、」
くしゃり、この距離で強めに頭を撫でられる。その強さに反射で目を閉じてしまった。
ふと、
「え、ちょ…………、ツナさん……?」
「うん、何で敬語?」
「あ、の、…………今」
「うん」
「おでこに、吐息らしきものを感じた気がするのですが」
ツナとの距離とか、目を開いたときに見えてしまう世界とかが怖くて、目を閉じたままツナに疑問を投げ掛けた。いや、本気で何したこの人……!いやいや答えは決まってる気がするんだけど!するんだけど明らかに何かが違うくないですか!
「うん、おでこにキスしたからね」
「はっ!?ちょ、」
さらりと。ただ当たり前のように告げた(というか爆弾投下だこれは)ツナに、まさかそう返されるとは予期していなかった私、思わず目を開けて、相変わらずの近すぎる距離に驚いて、バランスを崩して、
「う、わ……!」
背中からベッドに倒れ込む。それこそ、近くに居るツナも巻き添えにして、
「…………なまえ、」
「……………… ベタ過ぎる」
状況を把握してからのその一言に、ツナが思いっきり苦笑した。
きっと顔は真っ赤だった。それを指摘しなかったのはツナの優しさか。
「……やっぱり、なまえはなまえだね」
「…………それ、褒めてますか貶してますか」
とにかくそれから起き上がって、二人、ベッドに並んで座って、残り少ないだろう時間を会話で潰す。内容は、本当に他愛も無く。
「やだな、何で敬語?」
「…………」
むすっとしていても、それも子供をあしらうように簡単に流される。……この時代じゃ、私とツナの関係は完全に大人と子供だ。それが少し、悔しくなる。
「……大丈夫」
ぽん、と、さっきよりも軽く頭に手を乗せられた。そうして紡がれる言葉は、全部見透かしたみたいに。
「もう少しだけ、待っててよ」
<今>のツナを代弁するかのように。
「あ、それから」
「?」
「唇はね、やっぱり今の俺が奪っちゃいけないと思うんだよね」
「って、はぁっ!?」
それじゃあ、頑張って!
衝撃的な言葉はその意味を問いただすことは出来ず。私の視界は桃色一色。おそらくというより絶対、あの人は私の帰り間際だからこそあんな言葉を残した。超直感って、明らかに使い方間違ってる!
帰りは、行きほどの不思議体験は無く、桃色を認識したと同時に急激な重力付加。ジェットコースターが後ろに走る感覚に似ているようなそうでもないような。
それが数秒続き、そして何の前触れも無しに消えた。慣性の法則に従って、私の身体は後ろに投げ出されるように着地する。打ち付けたお尻がマジで痛い。
「──────っ痛ぁー……。」
「なまえ!?」
耳朶を打つ声はアルトに近く、それでもどこかが記憶の声とダブる。目を開けば、ベッドの上で、動けないなりに手を伸ばしたりして必死な様子のツナを見つけた。
帰ってきたんだ、と思うと同時に、気が抜けたのか、余計な事まで思い出してしまった。
かっと顔に血が上ったのが解る。
「え、嘘、なまえ!?10年後で何があったの!?」
その上その声が、呼び方が、
「っごめんツナ!ちょっと帰るね!」
「えぇっ!?」
何かを、狂わせて。