その頃、未来では
ピンク色の煙は少しだけそこに留まって、すぐに消えた。さっきまで幼かったなまえがいたその場所には、今の時代のなまえが。
「……お帰り、なまえ。10年前はどうだった?」
「……どうだった、って、そんなこと聞かれてもね」
なまえは、軽くため息をついてみせた。その顔に疲労なんかは見られない。久しぶりに昔に戻れて楽しかったのかもしれないと思うと、同じ自分でも昔の自分に嫉妬しそうだ。
なまえは、そんな俺を見てくすりと笑う。
「10年前のツナは可愛かったけど、今の綱吉はカッコ良いよね」
21.5th.その頃、未来では
綱吉、不意を突いてなまえはたまに俺のことをそう呼ぶ。それに俺がどれだけ心を乱されてるかなんて、なまえは考えていないんだろう。
「また、そういうことを、」
「嘘じゃないのに」
動揺が漏れないように二言返せば、なまえは綺麗に笑って答える。この10年、ずっとなまえにドキドキさせられっぱなしだ。
「さーて、と。じゃ、私お昼ごはんの用意してくるね、ツナ!」
「え、あ……うん」
なまえはそれまで座っていたベッドから立ち上がって、部屋を出て行った。階段を降りる音がいやに大きく聞こえる。
「――――――っ、はぁ、」
なまえが一階に下りたのを確認してから、俺は大きなため息をついた。なまえの前では大人でありたいと思うのは、今も、10年前も変わらない。なまえの前では余裕があるようにふるまいたがるのも、そしてそれがあまりうまくいってないことも。
「まだまだ子供だなぁ」
「沢田綱吉ですからね」
ぽつり、零せばそれを掬われる。それでも驚かないのは、誰かが何かを返してくれるという妙な確信を感じたから。背後のテノール、振り返らなくてもわかる。そこには骸がいた。
「10年前の彼女にはあまり込み入った話をしませんでしたね」
「まあ、混乱させたくはなかったし」
「おや。……君ならなまえに話すと思っていたのですけどね。彼女は自分の恋人であると」
「話しても良かったけど。でも、必要無いよ」
「――――何故?」
からかうような声色。骸だってわかってる。
「昔の俺は絶対、彼女に落ちる」
落ちて、彼女を振り向かせようとがむしゃらに努力するだろう。この自分がしてきたように。
「まあ、今でこそ、なまえが最初から俺が好きだった、って聞いて知ってはいるけどね」
「僕がいる前でそれを言いますか。相変わらず性格の悪い」
「お前にそれを言われたら終わりだな」
「失礼な」
軽口の応酬も慣れたものだ。昔こそ骸になまえを取られまいと意地になっていた時期もあった。ああ、懐かしい。
「それでも、」
「?」
骸が言葉を続ける。その言葉に続けられるのは、何か。
「諦めざるをえないのは、解ってるんですけどね」
「…………」
実際この家は、ボンゴレの地下アジトへと通じる隠し通路がある。もちろん、霧系のリングでカモフラージュは施しているものの、見つかればただじゃ済まない。隠し通路を隠すためだけに建てられた、いわば仮初の家。それでも誰かが住まなければ不審がられる。本当は守護者を住ませたかったけれど、あいにくと彼らにはアジトにいてもらわなければならない。この家は完全なカモフラージュ目的で建てられているから、通信機能も必要最低限の機器しかないため、アジトから急に連絡を取りたい時なんかは、どうしても連絡が遅れる。
誰を住ませるか。京子ちゃんやハル、という意見もあったけど、巻き込むわけにはいかないので却下(戦闘力はもってのほか、それ以前に、彼女たちはボンゴレについてほとんど無知だ)。イーピンは学生で、ずっと家にいるわけにもいかない。それだと攻め込まれた時の連絡が遅れるので、却下。ビアンキは戦闘力があるので、少し危険な場所での情報収集をしてもらっている。それが欠けるのは結構痛い(なんせ俺の代のボンゴレはまだ小規模だ)。フゥ太も、ランキング能力を失ったといってもその情報収集力には目を見張るものがある。情報が錯綜するこの時代、情報家が欠けるのは負けを意味する。そのうえ、ここで情報収集をするには設備が不足している。以上の理由により、自動的に奏一さんも却下される。
ついでに柿本や城島という案もあったけど、彼らが骸以外の言うことを聞くことは無いし、何より骸はマフィアが嫌いだ。俺から骸に説得するよう頼んでも笑顔でバッサリ切り捨てられることは容易に想像がついたので、提案後1分も経たないうちに破棄された。
候補がいなくなる。そんなときに名乗りを上げたのが、なまえだった。
戦闘力に関しては京子ちゃんやハルと比べて大差ない。ただ、彼女たちと決定的に違うのは、ボンゴレに関する知識。「攻め込まれた時の連絡くらいなら出来ると思うよ」、その言葉に俺は猛反対した。それでも適任は他に見つからず、結局なまえがこの家に住むことになった。
「ボンゴレのためだと、あなたのためだと言う彼女です。あなた以外にはここまで尽くそうとはしないでしょうね」
「それ、結構辛いんだよね」
守りたいのに、死地に追いやっているのは自分じゃないか。それが情けない。
「なまえだって、怖がってるのは解ってるんだ」
一度、俺となまえが外出した時に、他勢力のマフィアに襲われたことがあった。俺が難なく片づけはしたものの、あの時のなまえの怯えようは、初めて見た。
骸につかまっても、ザンザスたちと対峙した時もそう取り乱すことの無かったなまえが、初めて、俺の前で恐怖に涙した。思えば、あの時初めて彼女は、自分に明確に殺意を向けられたのかもしれない。
嫌だ、怖い、それだけをひたすら繰り返して泣くなまえは、まるで子供のようで、俺が守ってやらなきゃって、決意して。
「それでも、ここに住んでる」
「それこそ、あなたのために」
それが心配で、毎日のようにここに顔を出して、まるで妻問い婚ね、なんてなまえに茶化されたこともある。リボーンにも、そんなに心配なら早く適任を立ててなまえをアジトに住ませろ、と言われた(なんだかんだ言いながらもリボーンもなまえのこと気に入ってるからなぁ)。
「――俺、やっぱりマフィアなんて継がなきゃ良かったのかな」
「僕としてはぜひそれを推奨したかったですね。……まあ、そうだとしても、きっと君はここにいましたよ」
骸は薄く笑った。それは小さな諦めに似て。
「あなたはきっと、彼女に諭されますよ」
たとえボンゴレ10代目という椅子を拒否したとしても。
「『ツナは、本当にそれでいいの?』――とでも言われて」
「……そうかな」
「ええ、きっと」
そして、そう言われれば、彼はボンゴレに就任することを決意するだろう。なんせ、
「あなたは昔からなまえには甘すぎる」
「それには反論しない」
部屋に二人分の笑い声が小さく響いた。
「ツナー、お昼ご飯できたよー」
「わかった、なまえ、ありがとう、すぐ行く!」
階下からの声に俺は答えて、骸に笑いかけた。
「そういうことだから、そろそろ仕事に戻れ、骸」
「おやおや、せっかちな男はモテませんよ?」
「いいよ、俺にはなまえが居るし」
「そのなまえに愛想を尽かされないといいですね」
暗にさっさとなまえと別れろ、と言っているのが聞こえる。独特の笑い声とともに、骸は霧となって消えていた。
「――あいつ、いい加減普段からなまえに敬称つけて呼ぶ癖付けろよな」
公の場で、ボスの恋人が部下から呼び捨てにされるのは、守護者含む幹部のほとんどが学生時代からの知り合いだというボンゴレでこそ普通の光景だけども、ほかのマフィアには通用しない。事情を知らないほかのファミリーに部下との関係を疑われるだろうし、そうなれば命の危険性は「ボンゴレボスの恋人」時以上に跳ね上がる(「ボンゴレボスの恋人」の時点で、普通じゃ考えられないくらいに危険ではあるのだが)。呼称の区別はなまえを守る最低のラインだというのに。
「まあ、公私の区別がつけられないような人間じゃないことは確かだけど」
隙あらば恋人の座を乗っ取る気満々なあいつのことだ、油断はできない。
「いつ、いかなるときでもあいつを呼び捨てにしていいのは、俺だけだ」
それは嫉妬であり、独占欲であり。
よくこんな俺に、なまえは付いてきてくれるなぁと感心する。……もちろん、その周辺の感情はなまえにはひた隠しにしてはいるのだけど。
「ツーナー?ご飯できてるよー?食べないのー?」
「……ごめん、なまえ、今行くよ!」
ねえなまえ、なまえのことが好きすぎてどうにかなりそうなんだよ、俺。