わたしからの話


週末は全員非番ね、空けておいてね、と伝えておいた三月最後の土曜と日曜。戦況としては秘宝の里が開かれているが、少しばかり前倒しで走ったので問題ない。スケジュールに余裕を持って、土曜日の早朝、私は本丸の執務室へと踏み入った。

執務室の開けた障子からは、春の気配を感じ始めた中庭と、咲き誇る梅が見える。梅の花も良い景色だけれど、今日、この話をするのにふさわしい景色があるな、と私は息を吐いた。
私以外の呼吸が聞こえない、一人きりの執務室。けれど、本丸のどこかには必ず誰かがいる、そこかしこから聞こえる多くの声。
本丸も、ずいぶんと賑やかになった。
私が初めてみんなと顔を合わせたときから――うん、まだ、倍とまではいかないけれど。それにしたって40が70はかなり違う。一振り一振りの顔を見る時間も、以前に比べたら少なくなった気がするけれど、知り合いが来て、同派が来て、兄弟が揃って、嬉しそうな顔を見れば、数が増えるのは喜ばしい話でしかない。
審神者として積み上げてきた年数も、もう5年目に入った。さすがに5年目で初心者顔はできやしない。小学生だって高学年の仲間入りになる年数だ。

「……ふう」

みんな、事前に行ったとおりの準備を進めてくれているはずだ。だから私は、私にしかできない「準備」を始める。
ま、端末を起動してぽちっとするだけなんだけどね!

「景趣――変更、春の、景趣、昼!」

途端、ぶわりと景色が入れ替わって、風は一段と暖かさを増し、庭と山には満開の桜が咲き誇る。はらはらと散る花びらが、縁側の縁にうっすらと積もってまだら模様を描いた。
風に乗って「あるじさまだー!」「なまえちゃんもう来たの!?」「俺が一番に迎えにいってやるぜー」と様々な声が重なって運ばれてくる。さあ、私も執務室を出てみんなに会おう。
春を、始めるために。


まだ準備中だった厨を覗き、たぶん私はここ手出ししない方が良さそうだなと判断して道具の準備を手伝うことにした。料理に関しては慣れた人が適宜分担する方がいい。慣れない人手を増やす方が彼らの負担にもなりそうだし。
物置小屋からブルーシートとござ、座布団を引っ張り出しては一番大きな桜の下へと運ぶ。大きいものは手伝って貰ったり、力のある男士達に任せたりしつつ、軽いものなら私でも運べるので! あとは紙皿と紙コップ……お酒組はおちょこがあったほうが良いかな。それとも気にせず紙コップで飲むかな。

「紙コップで良いと思うよー、どうせ片っ端から全部飲んじゃうだろうし」
「マジかー」

蛍丸くんの言葉を信じて、おちょこは片付けたままにしておく。運んだものがあらかた揃ったところで、広げて並べていくが、75振り、プラス私とこんのすけ分の人数が座る場所と食事や酒瓶などを置く場所を確保すると、かなりの広さになってしまった。

「本当に、大所帯になったよねー」
「ですが、誰一振り欠けることなく居られているというのは、誇って良いと思いますよ」
「ありがとうね太郎さん」

隣で作業をしていた太郎さんに褒められて、むずがゆくなって下手にはにかんでしまった。嬉しいんだけどちょっと照れくさい……。
厨番以外は場所準備に回ってくれていたおかげか、すぐに全員分の場所を整えることができた。手が空いたひとたちが何振りか厨のほうへ向かって、すぐに手に重箱を抱えて戻ってくる。ああ、食事の準備もできたようだ。

「よっし、手の空いてるひとで打刀以下は厨、太刀以上はお酒の準備! 準備終わって全員揃ったらお花見始めるよー!!」

わぁっ、と一気に歓声が上がるが、それはもうちょっと後に取っておこうね!



さすがに準備はすぐに終わってしまった。まあ、料理を運んでお酒を持ってきて、みんな座るだけだからね。うん。
桜の散る下に座る刀剣男士たちはさすが、桜をまとって顕現するだけあって似合わないものなんて誰一人居ない。はー壮観。
歌仙さんのお酌で、私の持つ紙コップにお酒が注がれる。金箔を混ぜた、度数は低いもの。――祝いの酒。

「さあ、主」
「うん」

すう、と息を吸って、一度だけ空を見る。淡い水色に、ところどころ浮かぶ雲。桜色が混じって、まさに春。
始まりの桜に、始まりの季節。
私の顕現した刀剣男士たち全員が、私を見ている。

「今日と明日、お休みを取って貰ったのにはまあ、訳があって。みんなに、言わなきゃいけない、大事な話があります」

緊張からか、言葉が丁寧になってしまう。いつものように軽く言いたいけれど、軽口にするにはちょっとだけ重い。
私の緊張につられたのか、みんなにも緊張が走る。やだなあ、そういう真面目な顔で聞いて貰う話じゃないんだけど……いや、ある意味真面目な話か?
こくりと喉を鳴らす私に、横から小さく応援が飛ぶ。大丈夫だ、主。その声が、なによりも頼もしい。

「えっと……先日、実は現世のお仕事を辞めまして」
「えっ」

誰が発した言葉かはわからない。何振りかの声が重なっていた。空いている手で言葉を制して、続きを話す。

「審神者専業にしようか、って話もあったけど、それには政府側から待ったがかかりまして。過去の私が完全に専業になるには色々誓約がまだあるらしいので、無理だと」
「……」
「で、まあ。次の職場も無事見つかりまして。……この、転職に際して、このたび、親元を離れる運びとなりまして……」

一度、場が無言に制圧される。誰もが言葉を発さない。数秒、待って。

「……主君」

前田くんが、私を見上げて口を開く。うん、なあに。続きを促してみるけれど、前田くんは言葉を探したまま、何と言って良いのか分からない顔をした。困った表情の前田くんに、無意識に入れていた力と緊張が抜けていく気がする。

「さすがに、現代に家がないのはね、だめなので。ホームレスになると仕事もできないからね。だからまあ、一人暮らし用のお部屋を借りました。……一人暮らしと言うことは、仕事外の時間に、家に居ても居なくても、気にする人が居ないってことでね」

つまるところ。

「お仕事以外の時間は、基本本丸で過ごすことになりそうなので、これからは本丸に居る時間が長くなります……っていう、話、と」
「……と?」

おや、と隣の歌仙さんが見上げてくる。ふふ、これは担当さんに確認してて、やっとお返事が返ってきた、最新情報だからね、歌仙さんも知らない話。

「一人暮らしのお部屋の中だけなら、現世に来ても良いよって許可、取れました……」

……さすがに、現世までおいでよって強制しちゃう気もしておこがましいかな、とも思ったけれど、年末に清光くんや安定くんが来たがってたし……。貰える許可は貰っといて損はないし……。
今度は完全な沈黙。私の中で3呼吸程の間を置いて。

ぃやったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー! と声が爆発する。歌仙さんが目にもとまらない早さで立ち上がって、コップを持っていた方の手を強く握ってきた。うわお酒! 揺れたけどこぼれないで良かった。

「ほ、本当かい!? きみの、きみの過ごしている場所へ、行って良いのかい、なまえ!」
「う、うん。許可は、下りたから。ただ狭いから、1部隊も入らないからね!」

来るなら一振りか二振りが限度だよ! と言っても、歌仙さんは「構わないさ!」と興奮したまま詰め寄ってきた。

「ああ……ああ、きみが本丸に長く居られるようになる、と聞いただけでも嬉しかったというのに。もっと、きみと一緒に居られる時間が、増えるんだね」

嬉しいよ、と、最近は良くみせてくれるようになった、あのとろけるような微笑みを浮かべて、歌仙さんは一筋だけ涙を流した。

「……私も、嬉しい」

もっとみんなと一緒に居られるね、と言った声が、震えたような気もしたけれど、すぐにたくさんの歓声にかき消されて分からなくなった。



これは、私が新しい日々を始めるための、とある終わりの日の話だ。
- ナノ -