呼び名の話


「何故に偽物くんなんです?」
「俺を差し置いて『山姥切』の名で、顔を売っているんだろう?」

尋ねた私に返された、棘を多分に含んだ言葉はぐっさりと突き刺さった。


「あーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「えっ」
「気持ちは分かるが落ち着け、主」

いろいろな思いが去来した結果、口から飛び出した言葉は母音の叫びだった。あー、あー! 心当たりしかねえな!
あとびくってさせてすまないです監査官さん……!
ぐうっ、と頭を抱える私の肩を、今度は優しくポンポンする山姥切……国広に、僅かな優しさを感じる。

「その言葉はどういう意味かな、偽物くん?」
「いや……お前のその認識は恐らく、若干ズレているかもしれないと……思ってな」
「はあ?」

お前が山姥切の名で呼ばれていることを、俺は聚楽第で聞いていたんだけど? と詰め寄る彼……元監査官の山姥切長義に、山姥切国広は少し気圧されながら言葉を返した。

「その、俺から説明しても、何を言っても言い訳にしか聞こえないと思う。主も、言葉をすぐにまとめるのは苦手だからな……。お互い少し時間をおいてから、改めて話をした方が良い」

もうすぐ夕飯の時間だ、食べ終わってからでも良いんじゃないか、という近侍に、私はそろりと元監査官さんを見やった。彼は青色の瞳を私に向けると、はあ、と息を吐く。

「……ここの主が、どういった意図で偽物くんを山姥切の名で呼んでいたかは、確かに本人から聞いた方が良いのかもしれないな。それに、本丸の生活を乱すのは本意では無い。……俺もすでに、この本丸の所属だからね」

こちらの生活には従おう、と言ってくれた元監査官さんは、「ひとまず本丸の案内を頼んでも良いかな?」と薄く笑った。


歌仙さんに新しい刀剣男士が報酬として配属されたことと部屋の用意を伝えれば「急ぎの準備になってしまって申し訳ないのだが」と言いつつ引き受けてくれた。連れ立って本丸の中へ歩いて行く二つの背中を見送りつつ、私は胃を押さえる。

「時間は作ってやったぞ。本歌が納得できる説明は出来そうか?」
「むりっぽいかな……?」

近侍が写しとして作られた刀であることは重々承知している。それでも彼を「山姥切くん」と呼んだ理由は、私としてはありふれていてかなり単純なものだ。だがこれは、人間としての私の感覚であり、彼ら付喪神からしてみれば、到底受け入れがたい理由であるかもしれない。
彼は、私の告げる理由を受け入れてくれるだろうか。

「……名は、俺たちの物語の一つでしかないが、刀剣男士である俺たちは付喪神だ」
「……」
「あれが、本歌が『山姥切』長義と名乗るのであれば、その名を依り代にした存在だ」

どうかそれを汲んだうえで、向き合って欲しい。近侍の彼は言葉を結んでから、先に行っている、と広間へ向かった。


夕飯とお風呂を終わらせてから、山姥切長義を待つ間に、書斎で資料を一つ手に取った。吹き込んでくる涼風は少し肌寒い。
本歌――本作長義。
私の過ごす時代では徳川美術館に所蔵されていて、先ほど食事の席でも確認したけれど、後藤くん、物吉くん、鯰尾くん、南泉くんとは顔見知りだ。
徳川美術館の持つ、尾張徳川家の資料によれば、彼が山姥を切ったという伝承の記録はないという。……関東大震災で、関連する資料も焼失している。故に、かの美術館では「本作長義」と称する。
一方で、信濃国の山姥を退治した伝承があり、長義の刀それ自体を「山姥切」と呼んだという話もある。故に、山姥切を写した国広の刀は「山姥切国広」と呼ぶべきもの、という説。
あるいは、国広の刀が山姥を切ったが故に名前を付けたという史料もあり、逆説的に「本歌も山姥切である」となった話も聞く。

「名は、物語の一つ」

専門家ですら、写しは本歌に及ばないのが通例と言う中で、二振り揃って国宝・重要文化財に指定されている唯一の刀たち。
歴史に人の紡いだ思いがまつわり、二つの刀を取り巻いている。

「……難しい」
「確かに、簡単な問題ではないな」
「ふぁっ!」

独り言として紡いだはずの言葉に返事があって、思わず肩を跳ねさせた。資料を手に取ったまま振り返れば、並び立つよく似た二人。何故二人揃っているのだろう、と思った疑問をくみ取ったのか、近侍の方が口を開いた。

「執務室で仕事をしていたら本歌が訪ねてきたのでな。あんたと話をしに来たと。なので本丸の案内がてら連れてきたところだ」
「あ……ありがと……」

ぱたん、と資料を閉じて脇に置く。座布団を二つ出して、二人に座るように促せば、彼らは静かに腰を下ろした。
改めて、山姥切の名を持つ二人と向き合う。

「資料室……書斎か。いい部屋だね」
「ありがとうございます……」

山姥切長義は、くるりと部屋を見渡すと一つ頷いた。研鑽を忘れないのは、審神者として良いことだよ、と青色の瞳が細められる。

「それで、偽物くんを山姥切の名で呼んでいた理由は、聞かせて貰えるのかな?」
「……その」

いざ本人を前に理由を告げようとすると、口が回らない。どう、どこから話したものか。迷っていると、近侍が「俺から良いだろうか」と口を挟んだ。

「お前に聞くことはないと思うんだけどね、偽物くん」
「いや、主が迷っているようだったからな、手助けくらいは。……まず認識の確認からいこう。あんたが俺を山姥を切った刀と認識していたかどうか、だ」

ぱちりと、目を瞬かせた。山姥切国広が、山姥を切った刀かどうかについての認識は。

「……山姥退治は、君の仕事じゃない、だよね?」
「ああ」
「山姥切国広。霊剣山姥切の写しとして作刀された。『化け物切りの刀そのものならともかく』、っていつも言っていたから、君は化け物切りの刀じゃない。写しは、本歌そのものじゃない。本歌取りと言われる歌は、本歌ではないように」

本歌という言葉については馴染みがあった。学生時代は文学に関わる学部にいたし、仕事も文学ジャンルである。本歌取りという技法を学んだこともあるが、本歌となる古歌と、本歌取りの技法を使って作られた歌は完全な別物だった。
つまり本歌と写しは、全く別のものだ。

「……そこまで分かっていながら、何故、これを山姥切と……!」

苦い顔をしている山姥切長義に、これは「今の主の認識から導いた、俺の憶測だが」と山姥切国広が口を開いた。

「そもそも主は、俺が山姥切の刀であると思ってそう呼んでいたわけじゃないんだろう。珍しい苗字くらいの感覚で呼んでいたんじゃないか?」
「お前は主の扱いが雑じゃないか?」

即時突っ込みを入れた山姥切長義が、はあ、と息を吐く。少し強ばっていた肩が、力を抜いたように緩んだ。

「珍しい苗字、ねえ……。なるほど、そういえばここの審神者は学校の仕事と兼業をしていたんだったね」
「知っていたのか」
「配属先の情報は最低限調べるものだよ」

なめらかにやりとりが行われる二人を見て、私は口を挟むタイミングを見失った。ええと、うん。

「で、主の主張はどうなんだ。あくまでさっきのは俺の推測なんだが」
「あ、えと。……まさにその通りなんですけども」

日本ではよくある光景だ……と言うには私の経験に基づきすぎているので断言しないけれど、大抵の場合、同じ苗字の人が複数いる場合は名前で呼び分けるし、逆に同じ名前の人がいる場合は、苗字で呼び分けるだろう。
なおかつ、私の職場は、それなりの児童数を擁する学校である。

「国広、という名前で三人顕現していたので……名前の違う部分を呼び方に決めたというか……」
「和泉守は兄弟を国広と呼んでいるが」
「彼は堀川くんの本差しじゃん……」
「太鼓鐘は」
「光忠さんからいっぱいお話聞いてたから、貞ちゃんさんっていうイメージが先行しちゃったやつです……」

堀川派が揃ったタイミングでは、私はまだ本丸に訪れることもなく、定着してしまった呼び名を修正することが難しかった。逆に、顕現までに本丸でたくさん話を聞いた太鼓鐘貞宗は、むしろ貞の名を呼ばない方に違和感を覚えるようになった。

「そう……。君の言い分は、受け取ったよ」

二つの青が、まぶたの下に隠れる。
……私が歌仙さんたちに名前を知られたとき。初期刀相手であったのに不信感を抱いた。だというのに、彼へは名前の軽視を認めろだなんて、傲慢にもほどがある。
山姥切国広は言った。「あれが、本歌が『山姥切』長義と名乗るのであれば、その名を依り代にした存在だ」と。
息を飲んで次の言葉を待つ私に、山姥切長義は目を開き、口を開いた。

「この写しを、山姥切の刀ではないと認識していた点は優。だけれど、知りながら山姥切の呼称を使っていた点は不可」
「うっ」
「良……いや、可、かな」
「うん……?」

首を傾げる私に、君の今の評定かな、と、元監査官さんは笑った。……笑った!

「であれば、正しく俺が山姥切の刀であるという認識はして貰えそうだね。……けれど形式的に俺を『山姥切』と呼ばせたところで、今すぐ君に俺を山姥切の刀と認めさせるのは難しそうかな」

なんせ、山姥切の号を苗字と思うような主だからね、と言う。俺たちの号は苗字と名前ではないんだがな、と横の金色が続けた。

「それで? この本丸に国広の名が三振、山姥切の名が二振。君は俺たちを、どう呼んでくれるのかな」

ああもちろん、この写しを今後も山姥切の名で呼ぶのは不可だよ、と注釈を添えて、山姥切長義は笑った。
ぐ……答えってもう絞り込まれているような気がするのだけど!

「……。さっき、ふたりが来るまで、資料を調べていました」
「そのようだね」
「ふたりの名にまつわる、様々な記述を見ました」

山姥切の名前は、どちらにもあると言えるし、どちらにもないとも言える。
彼らは付喪神で、名前は確かに、彼らを形作る物語の一要素でしかないのだろう。けれどその一要素こそに人々の思いが募り、物語を成して顕現しているものもいる。
「山姥切」という伝承こそが名である彼らの物語は、「山姥切」という名前と切り離すことは出来ない。
名前があり、名前に募った人々の思いがある。どちらも揃って、ここにいる刀剣男士たるふたりは存在している。
だから私は、ふたりをこう呼ぼう。

「国広くんと、長義くん。……今の私には、どちらをも山姥切の名で呼ぶことは出来ない」
「なるほどね。君はそう、結論を出したと」
「けれど、山姥切の名について、考えることをやめたいわけじゃない。今まで考えてこなかったやつが何を、って話だけど。二人揃って見えてくるものが、あるかもしれないから」
「ふうん……。まあ、今後に期待、かな。分からないからと思考を止めるよりは、よほど良い」

俺を山姥切の刀と認識したら、いつでも「山姥切」と呼んでくれて良いんだよ、と言ってから、彼は一度言葉を切った。

「改めて。俺は長義が打った本歌、山姥切。聚楽第での作戦において、この本丸の実力が高く評価された結果、配属された刀だ」
「ようこそ、本丸へ。山姥切長義。この本丸の審神者、常磐なまえです。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく……なまえ」

うっそりと、二つの青は緩く笑む。涼風はほんの少しだけ、長義くんの銀髪を揺らしていった。
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