甘い話


「なまえさぁーん」

自室で仕事をしていると、ふらふらと包丁くんが歩いてきた。どうしたの、と聞けば、わっと抱きついてきて、潤んだ両目で私を見上げる。

「甘い匂いがいっぱいだよぉ……」


厨に行っても、お菓子はないって言われるし、と若干の涙声で告げる包丁くんに、私は笑いが零れた。すん、と鼻を鳴らせば、確かに強く香ってくる、秋特有の甘い花。なるほど、お菓子の匂いと勘違いしても、しょうがない。これなあに、と聞いてくる包丁くんに、答えを教えようと口を開きかけたところで、ぱたぱたと駆けてくる、いくつかの足音。

「なまえ、こっちに包丁きて……あー、居た……」
「あっ、ちょっと包丁! なまえさんの懐は俺のだよ!」
「いや違うだろ……」
「お、やっぱりなまえのとこだったろ?」

後藤くん、信濃くん、不動くんに貞宗くん。包丁くんも含めて、短刀ばかりが勢揃いだ。どうしたの、と聞けば、後藤くんが、頭を掻きながら教えてくれた。

「なんか急に、包丁が「甘い匂いがする」、って言い出して」
「今の時間ならおやつ作ってるんじゃない、って教えたら厨に走り出して」
「けど、今日のおやつは万屋で買ってきた、って言われて」
「じゃあこの匂いは何だよぉ、って走った包丁を、俺らが追いかけてきた、ってわけ」
「なるほど順を追った説明ありがとう」

実に分かりやすかった。しかし誰もこの香りの正体に行き当たらなかったんだな、と面々を見て、思い出す。この中で一番早い後藤くんでも、来たのは11月も下旬。既に花は散っていた。全員が、この花の香りを経験するのが初めてだ。

「じゃあ、ちょっと庭に出てみようか」
「うぅ……?」

包丁くんの頭を撫でて、私は庭へと目を向ける。ついでに歌仙さんにも報告しなきゃだなあ、と頬が緩むのを抑えられなかった。


短刀5人を引き連れて、自室からほど近い場所を目指す。一歩踏み出す度に、甘い香りは噎せ返るように溢れていった。

「うわ、匂いの中に居るみたい……凄く甘いね」

私の手を握って離さない包丁くんだけれど、今は匂いの正体が気になるのか、あちらこちらをときょろきょろ視線を動かしていた。後藤くんや不動くんは、強い香りがきついのか、少しだけ顔をしかめている。苦手、って表情には見えないから、きっと他の子たちよりも鼻が少し利くのかな、と思った。信濃くんと貞宗くんは、特に気にした様子は無さそうだ。
とある木の前で、私は足を止める。小ぶりな橙色の花が群がって咲く、この木からは、一際強く、甘い香りが発せられている。

「……こ、れが、甘い匂いの正体?」
「そうだよ。小さい花でびっくりしたでしょ?」

呆然と呟く信濃くんに、私は頷いた。金木犀って言うんだよ、と名前を言えば、みんなぽかんと木を見上げている。
香りの強い花だから、あまり近づきすぎても匂いを楽しめないな、と思うのだけれど、花を見るには近づかないと分かりづらい。本当に、小さい花なのに、香りはどこまでも届くのだから、毎年凄いなあと感心してしまう。

「……おや、なまえじゃないか。短刀たちを連れて、散歩かい?」

金木犀の香りに浸っていると、私の名を呼ぶ声が聞こえた。振り向けば、籠を抱えた歌仙さんと光忠さん、堀川くんに、太郎さん、蜂須賀さん……って結構多いな?
貞宗くんが、「みっちゃん!」と嬉しそうに名前を呼ぶ。貞ちゃんも一緒に居たんだね、と、光忠さんは笑った。

「お散歩っていうか、みんなこの匂いが気になってたみたいだから」
「ああ、成る程。突然香り出すから、初めて経験すると驚くだろう?」
「お、おお。めちゃくちゃ驚いた……」
「花の匂いって、近づかないと分からないものばかりだって思ってたよ」

後藤くんと信濃くんの言葉に、その気持ちはよくわかるよ、と蜂須賀さんが頷いた。

「俺たちも、去年は驚いたものだ」
「すわ敵の襲来かと、身構えたものでしたね」
「そんなこともあったのかよ……」
「あはは、一番驚いてたのはなまえさんでしたね」
「ああ、うん、まあね……」

好きな花だから、って植えた木が、敵襲だと勘違いされて、確かに驚いた。考えれば、彼らは知識は持っていても、実際に経験するのはまた別の話で。姿を得てから五感で感じるもの全てが、初めてなのだと、改めて感じたものだ。

「それで? みっちゃんたちは籠持って何しに来たんだ?」
「ああ、そうそう。金木犀の香りがしたからね、早めに摘んでおこうと思って」
「摘む?」

貞宗くんの言葉に、光忠さんは籠を持ち上げた。どうやら、知らせるまでも無かったみたいだ。

「うん、この花をね、今から摘むんだよ。その後、お酒にしたりシロップにしたり」
「シロップで作る洋菓子は、去年も好評だったからね。今年もと思ったのさ。まあ、あの味を一度体験してしまうと、今年も作らずにはいられないね」
「お菓子! お菓子作ってくれるの!?」

お菓子という単語に、包丁くんが目を輝かせて食いつく。堀川くんは、もう2,3日後になると思うけどね、と苦笑した。

「やったあ、お菓子ー! えへへ、楽しみだなあ」

無邪気に笑う包丁くんの頭を撫でれば、彼はくすぐったそうに口元をほころばせた。

「ここ、人妻はいないけど、なまえさんは優しいし、お菓子もたくさんあるから好き!」
「おー……。人妻はちょっと用意するの難しいよね」
「なまえ、きみ、混乱してないかい?」

うーん、喜んでいいの、かな。うん。好きだって言ってくれてるし、いいのかも。
ちょっと癖があるけれど、可愛らしくも頼もしい新入りさんだ。
- ナノ -