春の話


木々の先で膨らんでいたつぼみが次々に綻び、雪解けの地面を若葉が覆う。本丸の季節も、すっかり春めいてきていた。
桜にツツジ、たんぽぽ。色鮮やかな庭は、毎日見ても見飽きない。ついうっかり仕事の手が止まってしまうのも、何度目だったか。

「おや、その様子では、また歌仙に怒られるのではないか?」
「ふわっ! ……って、三日月さんか、びっくりしたー」

今日も今日とて仕事の止まった手を指摘され、思わず肩が跳ねる。すわ歌仙さんのお小言か、と身構えるくらいに繰り返している訳で情けないんだけど、意外なことに私の部屋を訪れたのは、歌仙さんではなく三日月さんだった。背景の桜と藍色の髪と狩衣のコントラストが美しすぎて平伏したくなった。
驚かせないでよー、と苦笑すれば、驚かしたつもりはなかったんだが、と鷹揚に笑う三日月さん。

「なまえは、あまり仕事が捗っていないようだなあ」
「うっ、……だって、花がとっても綺麗で見とれちゃって」
「まあ、分からなくはないが」

後で困るのはなまえだろう? と言われればぐうの音も出ない。ほら、頑張れ、と三日月さんが隣に座り込んだので、思わずぎょっとして彼の顔をのぞき見れば、三日月さんはにこにこと笑顔を浮かべるばかりだ。

「あの、三日月さん?」
「うん? せっかくだ、なまえの仕事が終わるまで、俺もここに邪魔しようと思ってな。なんせここは、一等日当たりがいいからなあ」

効果音は、ほけほけ、だろうか。ほら、さっさと終わらせて花見でもするぞ、と言われれば、少しばかりやる気ゲージが回復する気がした。
さわさわと、風が草木を揺らしていく。舞い散る花びらがふわりと吹きこんで、書類を彩った。
桜の花びら、といえば。

「そういえば、三日月さんが来たのって、この季節だったよね」
「うん? ……そうだったな」

春先、花の盛りに、彼はこの本丸へと現れた。4時間、の表記を見たときは、慌てふためいたのをよく覚えている。恐る恐る使った手伝い札、初めて相見えた、三日月宗近という刀剣男士。
ようやく会えた、という喜びは、春の花と共にやってきた。
それから間を置かず、私に兼業の話がやってきたのだったか。つまるところ、彼と私が本丸で過ごした時間は、ほぼ同じくらいだ。

「じゃあ、私が本丸に顔を出すようになってから、そろそろ1年かぁ」

審神者に就任してから1年はとうに過ぎたが、本丸に来てからは、これでようやく、1年だ。

「そうか、なまえも俺と同じか」
「本丸に来てからは、だねー」
「そうか、そうか」
「……嬉しそうだね?」

はて、そう見えるか? と笑う三日月さんの後ろに舞っている桜は、果たして本物の花びらか、それとも。
指摘するのも野暮だろう、私は口をつぐんで仕事に戻ることにした。
さて、さっさと片付けて、歌仙さんに花見でも提案しよう。今からだと遅いって言われるだろうか。明日になるかな、それとも今からでも張り切って料理を作ってくれるだろうか。

「ほら、なまえ。手が止まっているぞ」
「うわっ」
「全く、これでは歌仙も気が気でなかろうな」
「いいい今が春だからだよ! 普段はもうちょっと頑張ってるよ!」
「なら今日も頑張るぞ、なまえ」

考えにふけるとすぐ手が止まるのは悪い癖だ。三日月さんに指摘されて慌ててペンを手に持つ。
うっ、こんな良い天気の日に小難しい書類とかやりたくないな!

「終わったら、俺と万屋にでも行くか」
「わぁいなまえさん頑張るよー!」

そんなことを言われればがぜん頑張りたくなりますね! 現金? そりゃあ大事な大好きな刀剣男士からのお誘いですよ! 乗らない主が居るんですかね!?

「歌仙も苦労するなぁ」

はっはっは、と伸びやかな笑い声が執務室に響く。ふわりと温かい風が、私と三日月さんの髪を揺らしていった。
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