緊急任務の話.06


書庫の前には、左文字兄弟と博多くんが控えていた。私は歌仙さんを伴い、書庫の扉に手を掛ける。とくに違和感もなく、扉はすっと開いた。何度も入った、見慣れた書庫。のはずが、書庫の中央に、見慣れないものが堂々と鎮座していた。

「……あれ、は」
「良いものでは、ないだろうね」

歌仙さんの声は固い。だって、私でも分かる。これは、ここにあってはいけないものだ。

書庫の中央に置かれている、小さな机の上に乗っているのは、一言で言うなら壺だった。煤けた黒い壺。木蓋がしてあり、壺は紐で縛られ、べたべたとお札が貼られている。奥に見える本棚の輪郭が歪んで見えるから、元凶は壺から発せられているのだろう。見ていることすら、恐ろしく思えた。
ふるりと震える肩を、隣からしっかりとした腕で抱き込まれた。触れる温もりが、恐怖を少しだけ、和らげてくれる。安心しろと、言葉にするまでもなく言ってくれているようで。

「やっかいだね、近づくこともままならない」
「……でも、あれを壊さないと、何も変わらない、よね」

左文字兄弟も、博多くんも、書庫を覗き込んでは盛大に顔をしかめた。本丸の空気を、強く侵蝕していく禍々しさ。歌仙さんも、書庫に入ることが難しいと言った。きっと、香炉の結界は、この禍々しさを、刀剣男士達から隠すためにあった。本丸に張ってある結界の大本は、恐らく、これだ。
どうにかして壊したいが、歌仙さんは近づけないようだ。博多くんたちは、冷や汗をかいている。後ろを振り向けば、石切丸さん達も顔色が悪い。私以上に、刀剣男士達の方が影響を強く受けているようだ。逆に今まで書庫に結界があって、良かったと思うべきか。いやでも、そもそもこの壺が原因で外界との接触を完全遮断されている訳だし、その解決に動いていた訳だし、なにも良かったことないな、うん。
刀剣男士が近づけないのなら、人間の私が行くしかあるまい。すう、と深呼吸をして、一歩、震える足を、書庫へと踏み出した。

「……なまえ!? 何をやっているんだ、待て、危ない!」

滅多に聞くことのない、上擦った声が背後から聞こえる。だが、引き戻されないあたり、やっぱり歌仙さんは書庫に踏み込めないのだろう。戻れ、と声がする。きみが行く必要は無い、別の方法を考えよう、と。だけれど、香炉を壊してしまった以上、この壺の邪気にあてられる彼らを、指をくわえて見ているだけなんて、絶対に出来なかった。いつ、事態が悪化するかなんて、誰にも分からないのだから。
一歩、足を出す度に、壺へと近づく。景色の歪みが大きくなってきたのは、きっと気のせいではないだろう。香炉の結界があったから、大事に至らなかったのかもしれない。だが既に、制御装置は壊れている。
壺の前に立つ。両手を、壺へと伸ばす。制止の声が強くなる。

ぴたり、と。

手が壺に触れると、一瞬、軽い静電気のような痺れが手のひらに起こる。持ち上げようと、手に、力を込めて。

「……!」

ぴしり、ぴしりと、壺の口を塞いでいた木蓋に亀裂が走る。驚いて反射的に壺から手を離してしまい、反動で壺はかたりとふらついた。
同時に、壺の木蓋は内側から壊され、黒い何かが勢いよく飛び出てきた。黒いものは、とてつもない早さで、私の左肩にぶつかる。
ぶつかる──、違う。刺さって、いる。

「──なまえ!」

黒いものが飛び出してきて、刺さった勢いで、私の身体はいとも簡単に書庫の外へと飛び出した。どれだけ勢いがあったのか、背中をふすまに強かに打ち付け、しかもぶちやぶって広間にまで投げ出された。
背中はひりひりと痛むが、肩はその比ではない。どくどくと、心臓が肩に移ったのかと思うほど、疼いている。加えて、ひどく、熱い。

「なまえ、おい、大丈夫か、声は聞こえているか!?」
「……っ」

誰かが、上半身を起こしてくれる。後ろにいるのか、もたれ掛からせてくれているようだった。周囲に足音が響いている。
……全く、壺の中になんてもの入れてくれてんだ。
涙まで浮かんできたらしい目を、瞼を無理矢理持ち上げて開く。背中も肩も痛いが、意識が混濁するほどじゃない。それに、刺し傷も勢いがあって痛くはあったが、広い範囲で怪我を負った訳ではないので、止血さえしっかり出来れば、きっと大丈夫だろう。めっちゃくちゃ、痛いけど。腕持ち上がらないけど。
怪我のない右手で、涙を拭う。顔を覗き込んでいるのは、薬研くんだ。

「大将、意識はあるな、俺が分かるか!?」

首を緩く縦に振り、やげん、と呼べば、釣り上げられていた眦は少し下がった。薬研くんは私から視線を外すと、「大将は無事だ、心配ない!」と大声で叫んだ。視界に捉えていたみんなが、視線を書庫の方から逸らさないまま、小さく頷く。
誰かにもたれ掛かったまま、薬研くんの手入れを受けながら、目の動く範囲で状況を確認する。
外れたふすまの向こう、書庫の入り口を壁ごと破壊して鎮座するのは、黒くて大きな図体を持つ、何か。言葉で言い表しようもない、何と明言するのが難しいものだった。
ただひとつ、はっきりしているのは、あれが私たちの敵である、と、いうこと。
段々と、呼吸が整ってくる。
刀を抜き、壺から出てきた何かと対峙する私の仲間たちを見て、その奥に我が物顔で居座る化け物を見て、ふつふつと込み上げてきた怒りは、言葉となって発される。

「──全員、遠慮するな、やれ」



屋内戦ならば独壇場だと言わんばかりに、まずは短刀たちが向かっていく。小さな身体と数で、化け物を翻弄する。足を切った後藤くんに手が向かえば、手首から先を、乱くんが切り落とす。切り落としても再生するようだが、その時には既に、彼らは別の場所を攻撃している。
攻撃が多くなり、段々と再生のスピードが落ちてくると、脇差が攻撃に加わり、短刀は半分が銃兵での援護に回る。鯰尾くんと骨喰くんの息のあった攻撃に、化け物はふらついている。よくよく見ていれば、どうやら彼らは攻撃しながら外へ、外へと追い込んでいるらしい。
広間にまで到達すれば、打刀も加わる。長谷部さんの強烈な一撃が腕を切り落とせば、大倶利伽羅さんの追撃が胴を薙ぐ。打刀の一撃は強烈で、化け物の身体はまるで誘われるように広間を横切り、縁側へと動いていく。
もがいているのか、悪あがきか、大きく薙ぐように振られた腕を、安定くんが一刀両断の元に切り落とした。

「僕たち、今すごく怒ってるんだよ」
「だから、さっさと大人しくやられてくんない」

加州くんが背後から渾身の一撃を叩き込めば、化け物はとうとう縁側から足を滑らせて庭へと落ちた。屋外に出れば、太刀と長物組が待ち受けている。岩融さんの攻撃で袈裟懸けに斬られたかと思えば、死角から槍の攻撃が刺さる。

「まあ、なまえが受けた痛みに比べりゃあ、こんくれぇどうってこたねえだろ?」

日本号さんもなかなかに言ってくれる。知らず、苦笑が零れた。間を置かず、大太刀の追撃が入る。化け物の再生スピードは、もう追いつかないのか、1箇所を再生する前に、2箇所、3箇所が切り落とされていく。
輪郭も保てないのか、ぼろぼろと崩れていく化け物に、太刀の攻撃が入る。

「覚悟しろっ!」

獅子王くんが、足を切り落とせば身体は大きく傾く。再生しようとしているのか、切り落とされた箇所にもやのようなものが現れるが、形作ろうとしてはふつり、ふつりと消えていく。限界が近いのだろう。

「まさかここでも鬼退治することになるなんてねぇ」

のんびりした口調で、けれど鋭い一撃を加えたのは髭切さんだ。眼はぎらぎらと鋭く細められているし、口調の割にかなり怒っていらっしゃるようだ。
化け物の身体は四肢をなくし、再生もままならない。次の一撃が決め手だろう、と見ていると、広間を誰かが猛スピードで駆け抜けた。
翻る黒い外套は、彼が縁側を蹴り飛び出したことで、裏地の牡丹を鮮やかに咲かせた。頭上に構えられた刃が、彼と共に、たった1箇所をめがけて振り下ろされる。

「──首を、差し出せっ!」

寸分の狂いもなく、刃は化け物の首、と思われる場所を断った。胴が地に伏せ、端から溶けるように消えていく。黒いもやの最後のひとかけらが完全に消えたところで、歌仙さんは刃を鞘へと収めた。
ふと、その場で天を仰ぐ歌仙さんにつられて、私も視線を空へと向ければ、墨を零した夜のようだった空が、水で薄められたように明るくなっていく。あっという間に、外には青空が広がり、太陽の光がさんさんと降り注いでいた。

「終わった、のかな……」

小さく呟いた私の言葉を肯定するように、懐に入れていた端末からピリピリと甲高い電子音が鳴り響く。ああ、音が鳴ると言うことは。

「なまえ様っ、外部との通信が回復致しましたー!」

こんのすけが隣へ駆けてきて報告してくれる。目が潤んでいるのは、指摘しないでおこう。
みんなが刀をそれぞれの鞘へと収めていく様を見ながら、大きく息を吐く。庭先から吹き込む風が、髪を揺らして、確かに終わったのだと、私は実感した。


緊急任務・本丸ノ異変ヲ解明セヨ!.06
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