青空の果て







「………」

うっすら開けた目には、真っ白が映った。それが突然開いた事による光なのか、天井の壁の色なのか、ぼんやりする頭でははっきりしない。
僅かに気怠さの残る身体を起こせば、手首には包帯。あぁ…見られたか、と何処か他人の事のように包帯を見つめた後、ベッドの端にあった学生服のブレザーに手を伸ばした。

「じゃあ、失礼します」
「あぁ…ご苦労」

ベッドとその向こうを仕切るカーテンから、僅かに声がした。聞き覚えのある声に一つ息を吐いた。今出ていけば面倒なことになる、脳がそう告げている。
伸ばしていた手を下げ、枕に顔を押し付ける様にして寝直せば、瞳にじんわりと涙が浮かんだ。

(あぁ…私は……)

このまま枕に顔を埋めて死んでしまえたらいいのに。窒息死…になるのだろうか。本当はそんな勇気もない癖に、そんなことばかり考えてしまう私の脳内。手首の躊躇いの跡も、未だこの世を捨てられないで足掻く滑稽な私を表しているようで、ただただ苦しかった。



「…なんだ、起きていたのか」

シャッとカーテンを開く音がした後、星月先生の声が聞こえた。近付く気配に気付けなかったなんて最悪だ。

「起きたなら声を掛けろよ?…痛むところはないか?」
「いえ…」
「そうか、もう少し休みたいなら構わんが、どうする?」
「……帰ります」
「………」

いつ顔をあげようか悩んでいたら、ベッドのすぐ近くまで星月先生が近付いてきて、私の身体を勢いよく反転させた。まさかそんなことをされるとは思っていなかった私の身体は意図も簡単に回り、僅かに紅くなってしまったであろう私の目は星月先生に晒されることになった。

「…っ……!」
「そんな顔をして、痛むところはないと…お前は言うんだな」
「せんせ…」
「言いたくないのなら無理には聞かないつもりだが、いつもこんな事をしているのか」

こんな事、と言うのは多分掴まれた手首の包帯の先の事で、当たり前だけど手当てを施したのは星月先生だったんだと改めて思った。

「いつも…ってわけではないですけど…」
「どちらにせよあまり関心はしないな。悩みがあるなら聞くぞ?」
「………、」

言ってしまえば楽になるんだろうか。こうして、私から目を背けずに居てくれた大人は星月先生が初めてで困惑してしまう。私は静かに、感情を吐露するように口を開いた。


…いつだって私は大人にとって扱いにくい子供だった。異端児、そう呼ばれるのが適任な…そんな自分。子供らしく振る舞えず、可愛げのない子供と親には言われ、教師からは突出したもののない、褒めにくい生徒と位置付けられていた。
そんな生活はやがて私から希望を奪い、青空の果ての絶望にばかり目を向けていた。私を私として見てくれる人は居ない。私は無価値な人間だ、その感情を押し付けるように傷をつけた。
つけたからといって何かが変わるわけでもなく、余計に惨めになる心。

「…私、昼間の空が嫌いで、夜の星に少しだけ希望を持っていたんです」

私もいつか、真っ暗な世界に光を灯したい…星月学園に入学したのはそんな思いからだった。
実際は光を灯すなんて出来なくて、なにも変わらなかったけど、こうして話を聞いて貰えたことは無駄ではなかったように思う…いや、思いたい。

「…馬鹿だな、お前は」

一連の話を聞いていた星月先生は一つため息をついて、立てるか?と私をベッドから起こそうとした。

「ついてこい。今なら問題ないだろう」
「あの…何がですか」
「来ればわかる」

有無を言わせないそれに、私は黙って従うことにした。






星月先生が連れてきた場所は屋上庭園で、昼間の青空が全体に広がっていた。手をがっちりと掴まれてしまっているから、逃げ出すことも叶わなかった。

「授業中でよかったな、貸しきりだ」
「……?」
「夜でないのは残念だが、まぁ仕方ないな」
「…何がですか」

独り言のように呟くものだから、なにも知らされないまま付いてきた私はただ困惑してしまう。すると星月先生は空を指しながら口を開いた。

「例えばこの空を見て、ある者は青くて綺麗と答えたんだ。しかしまたある者は、青すぎて気味が悪い…と答えている」
「……はぁ」
「つまり、見方というのは誰もが同じじゃないんだ。青空を見て、夜は天体観測が出来るかなと思いを馳せる者をいるし、昨日晴れてくれればよかったと嘆くものもいる。お前もそうなんだよ」

空に向けていた視線をまっすぐに私に向けてくる。一瞬どきりとして逸らそうとしたけれど、握られた手に力が込められてしまって、視線を動けなくさせられてしまった。

「花野を正しく評価してくれる人間が周りに居なかった、ただそれだけの事だろう」
「…………」
「視野を広く持て。学生時代の視野なんて狭いものだぞ。社会に出れば花野に向けられる目も変わるさ。現に俺はお前を扱いにくいとは思わないし、強いて言えば心配だ」
「星月先生…」
「この学校の教師だって諦めるのは早いぞ。直獅…陽日先生なんかはきっと、お前の中の教師像とはかなりかけ離れているはずだからな」

屋上庭園で繰り広げられる話は、私が絶望しかないと思っていた人生に一点の光を見出だし、やがてそれが私の中の何かを変えるきっかけとなっていった。






…あの日から5年。
星月学園を卒業した私は、久しぶりに母校を訪れた。迷わずに保健室に立ち寄れば、あの日のままの姿で星月先生がそこにいた。

「来たか」
「お待たせしました」
「いや、そんなに待っていたわけじゃない。…行くか」

私の手を引いて、星月先生は私を屋上庭園へと連れていく。あの時と違うのは、私の手を握る手に込められた力。柔らかく、包み込むようなその感触に頬が緩んだ。
屋上庭園の空はあの日と変わらず青空が広がっていて、その陽の眩しさに視界が僅かに歪んだ。

「大丈夫か?」
「…はい。あの…星月先生」
「誰も居ないときは?」
「……琥太郎さん」

なんだ?と僅かに口元をあける彼。屋上庭園で感情を吐露した日から、私は琥太郎さんへの想いを秘かに募らせ、卒業式の日に想いを伝えた。卒業してから逢えなくなってしまうとかよりも、ただ私が変わるきっかけをくれたお礼と、彼への想いを伝えたかっただけだったのだが、想いを受け入れてくれた時には涙が出た。

『姫が言わなくても、卒業したら俺から言うつもりだったよ』

そう告げる彼もまた、自らの置かれている立場を考えた上で、私に想いを告げるのを躊躇っていたらしい。

「私…青空の果てには絶望しかないと思ってたんです」
「……………」
「でも、違ったんですね」

絶望と決め付けていたのは、人に愛されたいのに愛されない私。愛されないと最初から諦めて閉ざしていた心だった。

「琥太郎さんに出逢えてよかった…私を変えてくれたのは貴方だから」

見るもの全てが色付き、触れるものへの想いが変わる。そんな素敵な世界へ誘ってくれたのは、しっかりと握られたこの手。

「…変わろうとしたから、変われたんだ。姫は世界を諦めながらも、その中で何とかしたくて、何とかなりたくてもがいていただろう」
「あの頃はそうは思ってませんでしたけど、結局未練なく逝けなかったのは、救って欲しかったからなんでしょうね…」

不安的な位置から私を導いてくれた手を握りしめたら、握っていない方の手が私の頬を撫でた。
その感触が気持ちよくて、瞼を閉じたらそこに唇の感触。

「続きは後で…な?」

意地悪に微笑む貴方の後ろには晴れ渡った青空があった。









青空の果て

(あの空の下から始まった)
(絶望を塗り替える物語)
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それっぽい表現は遠回しにしましたが、不快に感じた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。
この小説は、奥田美和子さんの青空の果てをイメージして書いています。イメージなので、実際の歌詞とはかなりかけ離れていますが、琥太にぃを書くときはこれをベースに書きたいなとずっと考えていたので、叶って嬉しいです。

20120613




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