人気のない、しかしよく魚がかかるいわゆる穴場にアキラは俺を連れ込んだ。そこからもうすでに嫌な予感はしていたのだ。いちおう俺たち二人は恋人同士とかいう体で出来上がってはいるから、二人で釣りに行くことはそりゃままある。アキラから俺を誘うことだってしばしばあるし、このスポットに二人で来るのも初めてってわけじゃない。ただ、表情だ。アキラの表情の色がいやに現実離れしていた。いつもよりもっと明るいというか、吹っ切れたような顔をしていたのだ。こういう顔をしているときのこいつはたいてい(俺にとって)良くないことを考えている。ただでさえ普段から俺たち二人の関係にこいつは引け目を感じているので、それから発展したこいつが吹っ切れるほどの俺にとって良くないことといえば、…予感はびしばしと俺の頬をはたいていく。

「別れよう」

そして案の定のこれだった。釣り竿を海に落とすまいと掴んでいるのが精一杯だ。いま魚がかかっても、たぶん釣れない。それだけは絶対に嫌で、アキラの言葉を受けてすぐに俺はルアーを海から引っ張り出した。釣り竿を横に置いて、アキラのほうを向く。するとアキラも海に落としていたルアーを上げて釣り竿を自分の隣に置いた。その目は真剣だ。顔全体で見ると、やはりちょっとすっきりしたような表情を貼り付けている。ふざけんなよ。

「俺たちは男同士だし、年の差だって少なからずあるだろう」
「別れねえ」
「…話を聞け」
「絶対嫌だ」

アキラが困った風に眉を下げた。さっきまでの大人然とした表情が一瞬にして崩れていく。ざまあみろと思った。この関係によって俺はお前の将来を縛ってるだとかなんだとかこいつはよく言うのだが、それから俺を解放できるからってそこまで嬉しそうにされちゃあ、俺としてはたまったものじゃない。どうしてこいつはそのことに気がつかないんだろうか。やっぱり変なところで抜けている。だいたいお前、俺のこと好きじゃないのかよ。別れるんだぞ?寂しさとかないのかよ。おおかた寂しさよりも俺を自由にできる喜びのほうが今は打ち勝ってるんだろうが、それも今だけだぜ、お前。あとで絶対泣くぞ。ていうか泣けよ。

「お前はそれが俺のためになると思ってんのかもしんねーけど」
「…なんだよ」
「そんなもん全然俺のためになんねーし、第一」
「第一?」
「第一、お前がいなきゃ…」

一瞬言葉が途切れる。べつに先の言葉に照れたわけじゃない。ただ声に出しているうちに俺はいよいよ自覚したのだ。お前がいなきゃ、俺は誰に褒めてもらえばいいんだよ。誰に撫でてもらって、誰に話を聞いてもらって誰の温もりを感じれば、誰を愛して誰に愛してもらえば、…。ほぼ無意識に、ぽつりぽつりと言葉は唇から出ていった。俺はこいつに対してこんなことを思っていたのかと、そう自覚してしまった。遠き残光、いまだ消えはしない暖色の愛。まるい輪郭は俺の世界そのもので、不変の存在。柔らかい海の中でたたずむ幼い日の記憶が不意に脳をよぎった。途端になんだか、こいつと別れるのがほんとうに嫌だと心の底から思えてきて、へんに泣けてきてしまう。みっともなく震える手を握りこんで水滴が頬を伝う前に下を向いた。いまアキラがどんな顔をしているのか、俺にはわからない。

「夏樹」

黙りこんで俯きつづける俺のことを、アキラは存外優しい声で呼んだ。その呼び方の端々には、確かに俺への大きな愛情が込められている。やがて褐色の腕はそろそろと俺を包んで、アキラはその手で数回俺の頭を撫でた。いやに落ち着いてしまうのが恥ずかしい。少しの間そうやって俺を抱きしめていたアキラは、やがてぽろりと独り言を呟くかのように、何気なくひとことを発した。

「お前俺のことお母さんか何かと思ってないか?」


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