バッドエンド後
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本当にこれでいいのかな。トマトスープの水面に映る自分の顔を見つめながら、漠然と頭に浮かべるその言葉。本当にこれでいいのかな。またルルが太った。餌のあげすぎだろうか。本当にこれでいいのかな。朝ごみ出しに出向いたとき大家さんに捕まって40分程長話に付き合わされてしまった。近所の人々はみんな口を揃えて俺達のことを仲良し兄弟だと言っているらしい。本当にこれでいいのかな。さっき兄さんが俺がテレビを見ていたのにチャンネルを勝手に別のものに変えた。ちょうど盛り上がってるところだったのに、と不満を洩らすと悪い悪いと謝りながら苦笑していた。本当にこれでいいのかな。…本当にこんな平和の中にいていいのだろうか?


「いいのかな、これで」

それは夕飯の最中だった。自分でも呆れるほど脈絡も何もなくそう切り出した俺は、さていったいどんな顔をしているのだろうか。俺の言葉を聞いた兄さんは、もうすっかり黒に塗り固められた左手をぴくりと動かせる。俺が負わせてしまった火傷の跡は、今はもう特別目立つものではなくなっていた。俺のせい、いや、俺のおかげで、なのだ。…皮肉という2文字が頭を掠めたのはきっと気のせいだ。トマトスープを掬ったスプーンを口に運ぼうとしていた兄さんは俺の言葉を聞いた途端にその動きを止めて、そうしてゆっくりとスプーンを赤の海に沈めて手を離した。銀が皿に当たる微かな音が響くのをきちんと確認して、それから俺のほうへ視線を向ける。まるでスロー映像のようにすべて緩慢なその動作は、どうしようもない優しさを纏って網膜を襲った。痛いくらいの慈しみを前に、縫い止められたかのようにここから動けなくなる。何かの大きな予感が俺を縛りつけているのだ。だって、すこし眉を下げて微笑んだ兄さんは纏われた優しさの完成形であり、ふたりの罪が成した遺恨そのものだったのだから。あの日、頬に差した赤の臭いが鼻腔のずっと奥のほうでつんと蘇る。死と潮の香りが混ざり合ったあそこで、俺なんかのために、そう言ったのは誰だったのか俺はよく覚えているはずじゃないか。

「今日もおまえの料理は美味しいよ」

聞いたことのないような、表しようのないような声で兄さんはそんなことを言ったので、俺ははっとして目を大きく開く。それは兄さんの捨て身の愛そのものだった。ごめんという言葉を押し込めて、だめだという正義を静かに殺して、兄さんが提示した愛のまみれ尽くす未来だったのだ。もう兄さんはとっくに世界なんてものを捨てて、俺をきっちり真摯に愛してくれているんだ。俺だけしかいないだなんて陳腐な台詞をきっと躊躇いもなく口にしてくれるんだ。今さら、そんなことに気づいた。今になって、何もかも今になって気づく。ばかみたいだって思う。でも、もうずっと一緒にいて、離れることなんてなく終わりまで寄り添って、俺も真剣に誠実に兄さんの愛に応えたい。そうも思った。毎日あの宝物のような女の子の夢を見て涙を流している。けれどもう、そんな夢も見ることがないくらいに、俺はこれから兄さんを愛していくのだ。果たしてそんなことができるのかは、きっと誰にもわからないが。少なくとも俺はいま兄さんへの愛おしさで泣いていた。正義から目を背けてくれた兄さんが今はただただ格好良くて、好きだと思うのだ。そうだ、確かにこれは胸を張れる終わりじゃあない。罪という重荷はこれからも俺たちの隣に居座り続ける。それでも、例えば今日は天気が良くて、兄さんとずっと一緒にいられて、いつも以上に緩やかで優しい時間を過ごすことができた。今はそれでいいじゃないか、これこそ兄さんと俺が求めて、そしてたどり着いたありふれた小さな幸せの姿じゃあないか。静寂のようで押しつけがましくない、落ちない汚れがすこしついているだけの純粋な愛。これはそういうものなんだって、兄さんはそう言いたいんだろ?愛ってきれいなばかりじゃないもんな、なあ、これも素晴らしい愛なんだよな。

「兄さん、もう兄さんだけなんだ」
「ああ」
「愛してるよ、愛してる。愛してるんだ」
「俺も愛してるよ」

ずいぶんと昔から俺にはおまえだけだったよ、と、兄さんは笑いながらそう続ける。その目尻がちかりと光ったように見えたけど、視界が涙でぼやけるせいでもうよくわからない。うわごとのように愛してると繰り返すと兄さんは必ずそれと同じに、たまにそれ以上に俺も愛してるよと返してくれるので、俺はもうなかなか涙が止まらないのだ。ああ、幸せだ。俺はいま幸せなんだ。兄さんが傍にいるから、俺はこれからも安心して生きていってもいいのだ。どうしてこんな簡単なことに今まで気づけなかったんだろうか。
昨日うるさいGHSを壊した。きっとこれでいいんだ。
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