「足立?」
「そう、足立さん」

あのひとってどこか目を惹く雰囲気を発していないか。そう陽介に言ったら、あいつはうーんと眉を寄せて唸った。どうやら彼を気にしているのは俺だけのようだ。同じクラスの足立透、いついかなる時も参考書と顔を突き合わせている通称ガリ勉男。俺は彼を密かに意識していた。呼び捨てにするのはなぜか落ち着かないのでこっそり足立さんと呼んでいたりするが、別に彼が留年していたりするわけではない。ただ単純にそうあるべきだという気がするだけだ。彼はなんだか不可思議な、解明できない違和をこの世界でひとり纏っている。ように思う。それは恐らく俺にしか感知できない小さな何か。正体はまったく確定できない、ぐにゃぐにゃした透明。いや、少し濁っている?彼だけが夢のひとであるかのようなこの漫然たる不思議を誰かと共有してみたかったのだが、みんな足立さんの話に対しては鈍色に瞳を曇らせるだけだった。みんなにとってはまるで虚無のような存在なのだという。俺は毎日ひとりで歯噛みしていた。


「足立さん、いまひとり?」
「そうだけど」

ある日思いきって声をかけてみた。うっかり口を滑らせ足立さんと呼んでしまったのは完全に俺の失態だ。しかし彼は特に反応を示さず、むしろいつもどおりといった風な態度で俺に返事をする。ここで肥大する新たなる違和感。すこし会話をしただけでなんだかあまりに彼が馴染んだ。馴染むと言ってもまた別の違和感を掘り起こしたような、形容しがたい感情の上でだが。その日俺は彼と昼食を食べた。そして翌日もほぼ強引にそうした。その次もそのまた次も、俺は彼の傍にいる道を歩んだ。友達と時間を過ごす機会は目に見えて減り、しばらくするとなんだかもうこの世界には自分と彼しかいないような気さえ起こしていた。馬鹿げた話だけれど。


「ねえ、足立さん」
「なに」
「透さんって呼んでもいい?」

マフラーが恋しくなる季節、ある日の帰り道のことだ。白い息を吐きながら彼に告白するようにそう問いかけた。この時期になると俺はいつもどおり彼に恋をしていた。あれ、いつもどおり?何かおかしい気がする、ああでもそんなこと今は至ってどうでもいい。俺は足立さんという言葉によって引かれた一線を越えてしまいたいのだ。空はいまの俺の胸中を表しているかのように暗く染まっていて、ともすれば何もかもを飲みこんでしまいそうな予感さえ横切る。いまはすっかり心地よくさえなった違和は相変わらずちくちくと俺をつついた。目前の足立さんは、うーんと考えこむ仕草を見せる。その後ぽつりとこう言った。

「たぶん、無理じゃあないかな」

彼は無表情だったけれど俺は首を傾げた。駄目ではなく、無理なのだ。当然俺はどうしてですかと問いかける。ちくちくざわざわ。そういえば、空が赤黒く世界を渦巻いている。空ってこんな色をするものだっただろうか。いや、何も間違いはないな、これは俺だって慣れ親しんでいる彼らしい空だ。どろどろと美しいそれはいつしか空を垂れて足元を通り、彼のところにたどり着いていた。彼、足立さんは俺の目をちらりと見て、場違いな白を吐き出しながらふっと笑う。彼の笑顔を見たのは、実はこれが初めてだった。

「そういうシステムは組み込まれてないからね」


ピリリリ、とけたたましい電子音。はっと勢いよく目を開けた俺は、一気に頭の片隅へと追いやられた学生服の彼が願望の産物だという事実を急速に理解する。気だるい体を起こして携帯のアラームを鳴り止ませた途端、なんだか嬉しいような寂しいような気持ちがぐるぐると胸の内を渦巻き始めた。携帯は未だこの掌の中。一度それを開いてしまえば、あとは自分の理性など関係なく指が迅速に現実の彼との繋がり方を辿った。手中のそれはプツ、プツという聞き慣れた機械音を奏で始める。やがてもしもし、って一言で俺の耳を浸したのは紛れもなく現実の彼の声音だった。

「どうしたの、こんな朝早くに」
「高校生のあなたにも恋をする夢を見ました」
「…あ、そう。で?」
「それだけです」

深い深いため息をついた彼は、あんまり変な用で電話してこないでくれるかな、と苦笑混じりに俺に告げてくる。ああもういつもの大人であって刑事であって俺の叔父の部下である足立さんがそこにいるのだなと思うと、安心と残念が混ざり合うかのような不可思議な感覚に襲われた。だから俺は、すこしの好奇心を持ち合わせながらちょっとした賭けに出てしまったのだ。

「すみません。透さん」
「…気色悪いよ、それ」

やめてほしいんだけど。彼はそう吐き捨てて、これから仕事だからとかなんとか言ってほぼ一方的に二人を繋ぐ見えない糸をちょん切ってしまった。ツーツーと電話がないている。なんだか俺は彼のそういった答えに妙な安堵を抱いた。ああやっぱりここでも、そんなシステムは組み込まれていないんだなと。考えると自然に破顔してしまうくらい落ち着いて泣きたくなったので、もう一度ベッドに飛び込んではははと笑った。ああ、朝食の匂いがする。なんて真実的な朝だ。
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