トゥルーエンド後
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「エリオ。お前、何が欲しいんだ」
俺に押し倒されたばかりのボスは畳の上に寝そべりながらそう口にした。衝動的に押し倒してしまった側であるオレの心臓はこんなにもうるさいのに、あなたときたらずいぶん冷静なものだ。荘厳な光を放つ瞳が少しずれたサングラス越しにオレを見つめている。見られている、というよりもそれは、暴かれているというのに近かった。テーブルの上で倒れているビールの入ったコップがその中身を少しずつ畳へ染み込ませていく。ああ、ただボスと呑みたくて家に上がらせてもらっただけだったのに。今さら言っても信じてもらえないだろうな。
このあいだ夢を見た。ボスが仕事中に命を落としてしまう夢だ。詳しくは覚えていないけれど、この人はぼろぼろになりながらも最後まで立派なままその生を終えた。耐えきれない辛さとこの人の部下であることの誇らしさを感じる、妙に現実感のある夢だった。
目を覚ましたオレに残されたのは涙で湿った枕と強い焦燥だ。もしその夢が現実だったら、オレはどうしていたんだろう。なにも言えずに終わるのか。こんなにも彼が欲しいのに?
ぞっとした瞬間に、焦燥への歯止めが自分でもきかなくなった。そんな状態で呑みになんて来てしまったから、結果的にこういった失態を招く羽目になってしまった。
「エリオ」
ボスがまたオレの名前を呼ぶ。オレの頭は酒が回っているのも相俟ってほとんど使い物にならなくなっていた。ただばかみたいに、オレの名前の形に動くボスの唇を見る。奪えてしまったらどんなにいいか。ものすごく怒られるんだろうなあ。
何も言わないオレに痺れを切らしたのか、ボスは大きなため息をひとつつく。かと思えば、突如その手をオレの頬にそっと添えた。心臓がひときわ大きく跳ねる。
「言ってみろ」
何が欲しい?とボスはまたオレに問いかけた。いくつもの皺や小さな傷が刻まれた彼の手はあたたかい。頬にその感触があるだけで、正気ではいられなくなりそうだった。時計の秒針がいやに大きく聴こえる。普段かっちりと着こなされているボスのスーツがオレのせいですこし乱れていることに気がついてしまえば、もう心のブレーキは完全に言うことをきかなくなった。
「言ったら、ちゃんとくれます?」
「さあ、わかんねえな。けどよ」
言わなきゃ何も始まらねえだろ。そう言ったボスの眼差しが、よりいっそう強くオレを刺した。何人もの人間と対話をしてきた瞳。その相手は時に武器を持つ凶悪犯だっただろう。あの人を返してと泣き叫ぶ被害者家族でもあったはずだ。いくつもの年月を越えてきたその網膜は今この瞬間、オレだけを焼きつけてくれている。憧憬も欲望も何もかもがない交ぜになった感情で、絞り出すように彼を呼んだ。
「ボス」
「ん?」
「が、欲しいです」
ボスが欲しいです。そう告げた声は情けなく掠れてしまっていた。彼の目尻がゆるりとほどける。
「やらねえよ」
えっ、と思わず大きな声を出してしまった。なんだかんだくれるのだとばかり考えていた、無意識に。焦るオレを見つめるボスの口角はわずかに上がっていた。なんだか意地の悪い笑顔だ。もしかして、わりと酔っているのだろうか、この人。
「どうする。逃げちまうぞ、お前の欲しいもん。手錠でもかけるか?」
問いかけられた言葉の返答に窮する。ひとまず、怒られはしないようだ。なら唇くらい奪ってしまってもいいんじゃないだろうか。あなたのそれがオレの名前に歪む前に、その音を吸い取ってしまったって。今ならきっと許される。……ボスはオレに甘いから。
「いま手錠ないんで、いったんこれで」
そう口にして、彼の唇を捕らえた。彼の中にある熱を探りながら、貪欲な心はまるで呪われているかのようにもっとこの人が欲しいと叫んでいる。近頃巷ではオカルトが流行っているけれど、恋や愛より厄介な呪いというのは果たして存在するんだろうか?なんて、こんなことを訊いたらあなたは困ってしまうかもしれないけど。
ひとまず確定しているのは、オレがボスを求めてもボスはそれを咎めない、ということだけだ。いまだ抵抗を試みないその手のぬくもりを感じながら、そう考えた。
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