「師匠、一緒に暮らしませんか」
その日の調味市には雪が降っていた。最近じゃ珍しいほどの、ここらの気候からすれば数十年に一度くらいだろうというほどの大雪。モブは時間どおりに駅で待っていた俺の前に現れて、開口一番そんなことを言った。ポケットに入れている手を握ったり開いたりしながら弟子が向けてくる視線からそっと逃れる。
「唐突だな、モブ」
「今日来る途中でずっと考えてたんです」
モブは高校でぐんと背が伸びて、俺を越えるとはいかないまでも目線はかなり近づいてしまった。横を向けばすぐその目にぶつかることにいつまで経っても慣れないのはきっと俺だけなんだろう。きつく巻かれたマフラーの隙間から白い息が漏れている。その鼻が少し赤い。昔、宇宙人を呼んだときのことを不意に思い出した。あれからもう何年が経ったのか。
「今日居酒屋予約してくれたんだろ?早く行かねーと時間過ぎるぞ」
「駅の近くだから、まだ時間ありますよ」
モブはじっと俺を見つめていた。相変わらずその眼差しは純粋な感情で満ちていた。下を向けば土の混じった雪がいろんな人間の足跡を残している。遠くのほうで家族連れの笑い声が聞こえてきた。
「別にいいんだぞ、何かしようとしてくれなくても。お前はお前のしたいように生きりゃいいんだよ」
「したいように生きてるから言ってるんですよ」
「モブ、刷り込みって知ってるか?」
「それ以上言ったら怒ります」
最近いつもこんな感じだ。昔のように言葉で操れたためしがない。口から生まれてきたような人間だと言われている男の面目は丸潰れだった。はあ、と嘆息すればモブと同じ色の息が宙に消えていく。
「俺はもういいんだよ。たまにこうやってお前と会って、メシでも食えればそれでいい。想像してたより悪くない人生だったってのは最後には絶対に思える。……俺はお前を利用してた。そんな人間がこうして許されてるだけで有り得ないくらいの恩恵を受けてる。だからこれ以上はもういらん。これからは自分のためだけに人生を使え、モブ」
モブは俺の言葉をじっと聞いていた。その視線は一瞬も俺からはずれない。外気に晒されつづけた耳がじんじんと痛んだ。透明な静寂のあと、モブが引き結ばれていた口を開く。
「さっきも言いましたけど、したいように生きてるからこう言ってるんです。自分の気持ちは大事にするって中学のときに決めたから。僕が自分のために師匠を選ぶことを、師匠が否定する理由はないんじゃないかな」
真実の色をしたモブの目がちかちかと光った。鼻の頭を赤くした男は、寒空に似合わないほど温度のある微笑みをこっちに向けてくる。かすかに口角の上がった口が言葉をなぞるように「師匠」と俺を呼んだ。
「欲しいものとかしたいこととかあったら全部言ってください。僕が僕のために叶えたいから」
頬に触れた雪の冷たさとかポケットの中で冷える手とか、そういうのが全部どうでもよくなってしまいそうで困った。お前はどんどん大きくなっていくな。俺は着いていくのに必死だよ、いつも。寒すぎるせいか花粉症か知らないが視界がにじむ。ずる、と鼻水を啜ったあと、モブの差し出してきた手を我ながらぎこちなく取った。
「お前が好きだよ」
「はい」
「あと、犬飼いたい」
「はは。わかりました」
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