16巻で律が100%になれなくて怪我してモブ止めた設定
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ぐにゃり、といつものように兄さんのスプーンが曲がった。母さんが困ったように眉を寄せ、「こら、シゲ」とお決まりの言葉を投げる。
「その癖ぜんぜん直らないわねえ」
「いいじゃねえか、スプーンぐらい」
ハハハと笑う父さんに母さんが反論する、ありふれた日常のワンシーンだ。僕も微笑みながら兄さんの表情を見やる。兄さんはいつものようにはにかみ笑いを浮かべている、と思ったのに今日は違った。
兄さんの顔は具合が悪そうに白く染まって、目にはうっすらと涙が溜まっている。スプーンを持つ手はかすかに震えていた。明らかに様子がおかしい。兄さん、と声をかけるとその肩がびくりと跳ねた。
「律」
か細く頼りない、吐息のような声だった。たった二文字の言葉の輪郭がかわいそうなくらい歪んでいる。どうしたの、と言いながら肩に手を伸ばそうとした瞬間、兄さんは弾けるように席から立ち上がった。父さんと母さんがびっくりした様子で兄さんに目を向ける。
「ごめん。今日は食欲がないから、もういいよ」
怯えたようにそう言ったあと、兄さんはふらふらと歩きながらリビングを後にした。母さんの「シゲ、大丈夫なの」という声を背中に受けても何の返答もない。
「大丈夫かしら。ちょっと様子見てくるわね」
「あ、母さん。僕が行くよ」
「でも……」
心配する母さんに大丈夫だからと伝えて僕も席を立つ。なんとなく、僕が行かなければならないような気がした。……僕は罪を犯した人間だ。何かあったとき、彼の受け皿になる責任がある。
部屋の扉をノックしても兄さんの返事はなかった。ドアノブに手を伸ばすと簡単にそこは開く。ちらりと中を窺えば、少し想像していたとおり部屋がぐちゃぐちゃに荒れていた。本や筆記用具が散乱し、その中心に兄さんがへたりこむように座っている。
「兄さん」
僕が呼べばその人はまた体を大きくびくつかせた。ゆっくりとこっちに振り向き、律、と呟く。そのとたん彼の瞳からどんどん涙が溢れてきた。
「だめなんだ。どうしたって力は消えてくれない」
「どうしてもスプーンは勝手に曲がっちゃうし、ストレスが溜まるとこんなことになる。家族が、律がいる場所でこんな危険なもの持っていたくないのに」
「僕は最低だよ、律。最低の人間として生まれてしまった」
兄さんの僕を見る目は恐怖に染め上げられていた。でもそれは兄さんのせいじゃない。もちろん兄さんの中の「あれ」のせいでもない。紛れもなく僕のせいなのだ。この人の美しかった感情、希望を抱くべき未来を僕はあの日に奪ってしまった。仕方がなかった、この人を止めるには。そう何度自分に言い聞かせようとしたかわからない。
「律。僕はどうしたらいいんだろう。僕は僕が怖くて仕方ない」
そして僕のことが怖いんでしょう?わかっている。僕の顔を見るたび口の端を引きつらせる最近のあなたを見ていると胸の奥が痛みで破裂しそうになる。部屋に足を踏み入れて、兄さんの目の前に腰を下ろした。兄さんは距離を取ろうと後ずさりかけるので、腕を掴んでそれを止めた。ひどくおびえた瞳だ。手の届く場所に僕がいることがこの人はおそろしいんだ。
兄さんをきつく抱きしめる。浅い呼吸が首筋に聞こえた。震える肩を強く抱いて背中を何度もさする。
「兄さん、大丈夫だよ。僕はこれからもっと強くなるから、もう傷つかないんだ。もし傷ついたとしてもあなたにそうされるんなら構わない。少しも怖くない」
「僕が嫌なんだよ、律。やめてよ、離してよ」
「だめだよ兄さん。僕たち兄弟なんだから」 
いつか兄さんに言われた言葉を唇でなぞる。いくら彼を苦しめたとしても離れる気なんて毛頭なかった。彼が僕にそうしたように、いやそれ以上に僕はこの人のすべてを受け止めていかなくてはならない。だって僕がそばにいるかぎり、この人は「普通」に生きられるのだ。
彼の両頬を包みその涙を拭う。どうしようもなく申し訳なくて、かわいそうで、愛しくて、前髪を手で掬い額にキスをした。
「律」
僕は最低だ、と兄さんが繰り返す。僕は涙の跡の残る彼の頬にもキスをし、最後に唇をふさいだ。間違ってるよ兄さん。最低なのは僕のほうだ。
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